古本に挟まれていた、著者の訃報を知らせる4枚の記事。栞には多すぎる、付箋にしては重すぎる…?/名探偵のままでいて⑥

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/4

第21回『このミステリーがすごい!』の大賞に輝き、早くもベストセラーに! 2023年話題のミステリ小説『名探偵のままでいて』をご紹介します。著者は人気ラジオ番組の構成作家としても活躍中の小西マサテル氏。かつて小学校の校長だった祖父は、レビー小体型認知症を患い、他人には見えないものが見える「幻視」の症状に悩まされていた。孫娘の楓(かえで)はそんな祖父の家を訪れ、ミステリをこよなく愛する祖父に、身の周りで起きた不可解な出来事を話して聞かせるように。忽然と消えた教師、幽霊騒動、密室殺人…謎を前にした祖父は、生き生きと知性を取り戻し、その物語を解き明かしていく――。古典ミステリ作品へのオマージュに満ちた、穏やかで優しいミステリ小説『名探偵のままでいて』より、第1章を全7回でお届けします。今回は第6回です。今日は祖父の体調がよさそう――。楓は、古本で買った瀬戸川猛資氏の評論集に挟み込まれていた4枚の訃報記事を祖父に見せてみることに。

名探偵のままでいて
『名探偵のままでいて』
(小西マサテル/宝島社)

 近所のミッション系の幼稚園の降園時刻なのだろう。

 家の前を通り過ぎる子供たちの童謡らしき歌声が聞こえてきた。

 調子っぱずれなところが逆に可愛い。

 祖父の頰も自然と緩んでいた。

 秋の日は釣瓶落とし――

 とはいえ日が暮れるまでは、まだ時間の猶予がありそうだった。

「実はね。おじいちゃんに見てもらいたいものがあるの」

 楓は黒いバッグから、瀬戸川氏の評論集を取り出した。

 もし祖父がいつものように椅子で眠っていれば、持参した洗い立てのブランケットを体に掛け、その横でゆっくりと読んで帰るつもりだった。

 だが。

 今の祖父ならば、あるいは――

 祖父は、ガウンのポケットから取り出した縁なしの老眼鏡を高い鼻にかけ、それでもいくぶん本を手元から離しつつ、感慨深げにいった。

「瀬戸川先輩の遺作じゃないか。わざわざ買わずともぼくがあげたものを」

(貰えないわ。そんなに大切にされてる幸せな本を)

 楓は内心で、くすりと笑った。

「確か絶版になっていたはずだが、よく手に入れたものだね」

「今は中古本専門のネット書店があって、かなりの稀覯本(きこうぼん)でも意外と簡単に買えたりするのよ。それでね――実は本の中に、こんなものが挟み込まれていたの」

 楓は本を開き、改めて四枚の訃報記事をテーブルの上に取り出してみせた。

 

『ミステリや映画評論で活躍 瀬戸川さん逝く』

『瀬戸川さん逝去 惜しまれる才能』

『多層的な批評の時代 瀬戸川さんが遺したもの』

『瀬戸川氏語った ミステリと映画の幸せな逢瀬』

 

「うん。当時、全部目を通したよ」

 それらの見出しをちらりと見やっただけで、祖父はぽつりと寂し気にいった。

「他に二社が記事を出したかな。もちろんぼくはすべてスクラップしてあるがね」

「そうなのね」

 楓は改めて、祖父の記憶力に舌を巻く。

 病気のせいでごく最近の出来事の記憶はすっぽりと抜け落ちたりするが、昔のこととなると、引き出しが自在に開くのかもしれなかった。

「でね、おじいちゃん――問題はここからなんだ。これってありそうでなかなかない、いわゆる〝日常の中のミステリ〟だな、と思うの」

 なるほど、と祖父は頷いた。

「つまり、ミステリのテーマはこうだな。『いったいどこの誰がなんの目的で、この四枚の訃報記事を本の間に挟み込んだのか』というわけだ」

「そのとおり。だいたいまず、栞にしては多すぎるでしょ。でも付箋にしては訃報記事って、なんだか空気が重すぎると思わない?」

「まるでハリイ・ケメルマンだな」

 祖父は眼鏡を外しながら昔のミステリ作家の名前を口にした。

 ケメルマンの代表作『九マイルは遠すぎる』は、パブの隣客たちの会話の中で飛び出した「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」というたったひとことのセリフから、前日に起きた殺人事件の全容を一瀉千里(いっしゃせんり)に解明してしまう、とことん論理性のみにこだわった名作ミステリだ。

 そのとき――唐突に、祖父がせがんだ。

「楓。煙草を一本くれないか」

 

 七五調の語呂の良さもあってか、その言葉はどこか呪文のような響きを伴っていた。

 楓は書斎の鏡台の引き出しから、青い煙草の箱を持ってきた。

 フランスの煙草、ゴロワーズ。

 さして高価な煙草ではないが、かといって、どこででも手に入る代物でもない。

 楓が神保町の古本屋街を巡る際、知る人ぞ知る小さな雑貨屋で買い求めるのが常だった。

「火を点けてくれるとありがたい。そう、それでいい。手が震えるのでね。ひとりでいるときは吞まないようにしているんだ」

 祖父は、煙草を「吸う」とはいわず「吞む」という。

 今のような嫌煙社会ではなく、煙草が酒と同じように当たり前の嗜好品として認知されていた頃の名残りなのだろう。

 若い頃から煙草は週に数本を嗜む程度であり、最近も吞むのはごく稀のことだ。

 それだけに楓としても、これくらいの愉しみは残しておいてあげよう、と思う。

 祖父は煙草を吞むと、しばし陶然とした表情を浮かべた。

 楓はゴロワーズの香りが嫌いではなかったが、干したままになっているTシャツに匂いがつくのを恐れ、少しだけ窓を開ける。

 祖父はゆっくりと紫煙をくゆらせながら、より明瞭な口調で「さて――」といった。

 まるで煙草により、その知性にブースターのスイッチが入ったかのようだった。

「楓はこの材料から、どんな物語を紡ぐかね」

 

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