芥川龍之介『杜子春』あらすじ紹介。ドラ息子の仙人修行。最後に望んだのは、仙人ではなく人間になることだった――

文芸・カルチャー

公開日:2023/4/10

 古典の説話をもとにした作品も多数手がけた芥川龍之介。中でも『杜子春』は、馴染みが薄い中国の作品を原典としており、未読の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 そこで今回は芥川龍之介『杜子春』のあらすじをわかりやすく紹介します。教訓的な要素を残しつつ読みやすくアレンジされているので、ぜひ一度触れてみてください。

杜子春

『杜子春』の作品解説

『杜子春』は同名の中国伝奇小説をベースにした、芥川龍之介の短編小説です。原典では主人公・杜子春が死後、女性に生まれ変わり受難が続きましたが、本作では展開が異なっています。

『杜子春』の主な登場人物

杜子春:唐の都、洛陽に住む自堕落な浪費家の若者。

鉄冠子:片目眇(斜視または独眼)の老人。杜子春に導きを与える。

虎と蛇:仙人修行をする杜子春を喰らおうとする。

神将:神兵を率いる、金の鎧に三叉戟の大男。

閻魔大王:鬼どもを統べる地獄の主。

杜子春の父母:畜生道に落とされ、共に痩せ馬の姿となった。

『杜子春』のあらすじ​​

 ある日の夕方のこと、金持ちの息子だったが、財産を使い果たし路頭に迷っていた杜子春は、ひとりの老人に出会う。

「何を考えている?」という老人の問いに対し、「今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えている」と正直に答えると、老人は埋蔵金の在り処を彼に教え、忽然と消えてしまった。洛陽一の金持ちとなった杜子春だったが、贅沢三昧で数年後には金を使い果たしてしまう。そんな中、現れたのはいつかの老人。同じ問いに同じ答えを返すと、またも埋蔵金が手に入った。

 そして案の定、浪費を繰り返す杜子春。金が底をつき、人心は離れ、ついに三度目に現れた老人に「人間に愛想が尽きた。あなたを仙人と見込んで弟子にしてほしい」と頼み込む。老人は「いかにも私は鉄冠子という仙人である」と身元を明かし、仙術で彼を神聖な山である峨眉山の絶壁に連れていくと、自分が戻るまで沈黙して待つよう伝える。

 言いつけを守る杜子春に、次々と試練がやってくる。虎と蛇にも臆せず、神将の脅しにも屈しなかった彼は武器で突き殺されるが、地獄の閻魔大王にすら黙秘を続けた。

 際限ない責め苦を経てなお強情な杜子春の前に、閻魔大王は痩せ馬と化した両親を引っ立てる。鬼に鉄鞭で打たれる両親を前にしても無言を貫くかと思われたが、恨み言も言わず息子を案じる母親の姿に思わず「おっ母さん」の叫びが漏れる。

 気がつくと杜子春は、夕刻の洛陽に佇んでいた。仙人にはなれなかろう、と微笑む鉄冠子。すると杜子春は「むしろ良かった、仙人になれるとしても鞭で打たれる父母を見るくらいなら黙っているわけにはいかなかったから」と言う。

 そして「お前はもう仙人にもお金持ちにもなりたいとも思っていない、では何になりたいのだ?」と尋ねる鉄冠子に対し、彼は「これからは人間らしい、正直な暮らしをする」と答える。仙人はその言葉を忘れぬよう諭し、泰山の麓の一軒家を彼に与えて去ってゆくのだった。

<第65回に続く>

あわせて読みたい