ヒャダイン連載 【第2回】『世界から猫が消えたなら』を読んで、ほろりとした。

更新日:2013/8/9

本当は大切だったものが悪魔によってこの世の中から消されていく

「猫を飼いたいな」っていうと、周りのスタッフから全員反対されました。ますます社交性がなくなるって理由(怒)

 なによりまずね、読みやすいんですよ文章が。LINEで読んでもらえるように、と意識されたのかもしれませんが、極端に口語的でもないのにスルスルと読める。まるで自分がものすごいリテラシーを手に入れたかのよう! 文の塊が大きくないんですよね。改行がとても多いし、わかりにくい言葉も少ない。どれだけ少ない情報で相手に最大限を与えられるか、という意識が見えてきます。そこらへんがやはり映画プロデューサーならではなのかな、と思います。限られた時間の中、ここのカットを何フレーム伸ばすか、あえてこのシーンを全部捨ててしまう、とか、そこいらの映像職人的な気概を感じました。あと、情景描写が素晴らしい。派手なロケーションは一つもないんですよ。なんですけど読後はまさしく映画を観た後かのよう。若干魂を吸い取られてグターーっとする感じね。

 さて、内容はさっき引用した通りなのですが、一日一日と主人公にとって大切なもの、中には気づいていなかったけど本当は大切だったものが悪魔によってこの世の中から消されていくのです。消されることによって主人公はそれがどれだけ自分の人生に影響を及ぼしていたかを深く深く考えることになるんです。消されるものは悪魔からの提示であって、チョコレート、電話、映画、時計、猫、と提示されていくわけなのですが、どんどん消され、そして自分の死が近いことを見つめるうちに主人公は今までの人生において引っかかっているもの、刺のようなものを直視するようになるのですね。

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目を背けたくなることに、やさしく、ふんわりと目を向けさせてくれる本

母親を思い描くとき自分がガキだった時の母親のルックスが出てくるのは俺だけかな

 今回の主人公の場合は、30歳独身男性。彼女なし。猫とふたり暮らし。見つめる対象は初恋の彼女だったり、家族だったり。特に、母親。そう。この小説はきっと男性読者と女性読者で感想が少し変わるんじゃないかな、て思うほどマザコン具合が強いのです。波瀾万丈あって早くして亡くなってしまった母親に対する愛情と、その母親を大切にしていない(と思っていた)父親との確執が物語の軸となっているのです。何かの調査で「男性のほとんどがマザコンである」なんて読んだことあるんですが、僕もそれには賛同で、昔の冬彦さんレベルじゃないにせよ(引用が古すぎる…)多かれ少なかれ男はマザコンだなあと思っています。

 僕もこの主人公とほぼほぼ同世代。この年代になると周りの知人がどんどん結婚をしていき、子供を作っていきます。自分の下に家族を形成していくんですよね。僕、最近思うんですけど人間の生態ていうか成長過程ってすごく計算されたものなんだなあ、と思っていて、マザコン男に焦点当てるとすると、心のどこかで母親最強! だと思っていながらも大好きな彼女と結婚して子供を作る。子育ては大変なことばかりで結婚生活だって恋愛とは全然違う。全く楽じゃないんだけど気づいたら嫁、そして子供の為に毎日汗を流して働くようになる。子供が大きくなるにつれ学費もかかるし大きい家に引っ越すために住宅ローンも考える。そうやってどんどん「オトナ」として成長していって、だけどその時間の流れを同じく母親も歩いていて、ふと実家に帰ったらあのイキイキとしていた母親がシワだらけ、もしかしたら病気になっていたりボケていたりしているかも。もちろん愛をもって接するとは思うのですが、その頃には自分の下にも家庭がある。帰る場所が他にある。その時点でマザコン卒業、とはいかないにしても、かなりマザコンが軽減されているのではないでしょうか。

 少し長くなりましたが、この小説の主人公も僕も独身30代。帰る場所がない。いや、自分の部屋だけ。主人公の場合は部屋にいる猫だけ。そんな中、自分の死期を宣告されて大切なモノを一つ一つ消されて気づくのは家族のぬくもり。家族の大切さ。忘れてしまっていたはずの家族とのエピソードが随所に湧きでてきます。そのやさしさ、やわらかさに読者である自分は涙がポロリポロリと出て来ました。リリー・フランキーさんの『東京タワー』のあとがきか何かで読んで納得したのですが「これは自分が現実社会で近親者を亡くした時の悲しみを前もって準備させてくれる本だ」と。誰しも訪れる家族の死。見ないふりしていても一年一年と近づいてくるその瞬間。目を背けたくなることに、やさしく、ふんわりと目を向けさせてくれる本だと思いました。