四十二の罪を否定する問答に老人はたじたじ。心臓を秤に乗せた結果、老人は汚れは裁かれてしまうのか…/ファラオの密室⑥

文芸・カルチャー

更新日:2024/1/19

ファラオの密室』(白川尚史/宝島社)第6回【全7回】

舞台は、紀元前1300年代前半、古代エジプト。死んでミイラにされた神官のセティが、心臓に欠けがあったために冥界の審判を受けることができず期限付きで地上への復活を許されたタイミングで、地上では前代未聞の大事件が起きていた。なんと、ピラミッドの密室に保管されていたはずの先王のミイラが、棺の中から消えていたのだ…。これはエジプト全体を揺るがす事態だった。
2024年・第22回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作の『ファラオの密室』は、タイムリミットが刻々と迫るなか、地上に復活した神官セティが、エジプトを救うため、ミイラ消失事件の真相に挑むミステリー小説です。

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ファラオの密室
『ファラオの密室』(白川尚史/宝島社)

「――死者ウセムトよ。お前は噓をついたことがあるか」

 静かながら威圧的と感じるマアトの問いに、ウセムトと呼ばれた老人は、副葬品であろう『死者の書』を顔の正面に掲げ、震える声で読み上げる。

「汝、背を逆しまにして現れる炎よ。我、偽りを口にせざりき……」

「死者ウセムトよ。お前は、人を殺したことはあるか」

「汝、巌窟より来たる数多の影を吞みこみし者よ。我、何者の命をも奪わざりき……」

「死者ウセムトよ。お前は、誰かに呪いをかけたことがあるか」

「汝、炎の緑なる者にして、ヘト・カ・プタ……」

 そこで、ウセムトは大きく咳きこんだ。

 咳が止み、静寂が訪れると、ウセムトの震えが大きくなる。見るからに怯えていた。無理もない、とセティは思う。この場の一挙手一投足で、永遠の生を得るか、怪物の餌になるかが決まるのだ。

 マアトはなにも言わず、冷めきった目で震える男を見下ろし続けた。ウセムトは爪が喰いこむほどに死者の書を握りしめ、一言一句間違えるまいとばかりに言葉を絞り出す。

「……ヘト・カ・プタハより来たる者よ。我、何者にも禍言を投げざりき……」

「……死者ウセムトよ。お前は――」

 この調子で、質問とそれへの答えが続いた。死者の審判で行われる、四十二の罪を否定するための否定告白である。神官書記であるセティは、当然に質問も答えも知り抜いていた。だが、市井の者であれば、答えに窮することもあろう。想定問答が記された死者の書は、ほかの祈りの句なども書き加えられ、実用品としてもお守りとしても、死者を助けるために必ず副葬されていた。

「死者ウセムトよ。お前は神を冒瀆したことがあるか」

「汝、寂寞の地より出で来る、齎し与える蛇よ。我、神を汚せしことなかりき……」

 その答えを以て、すべての否定告白が終わる。マアトは無表情のまま、秤を手に掲げた。

「では、これより審判を行う。……ネフェル、心臓を持て」

 先ほどセティに声をかけた従者が、ウセムトへと歩み寄る。おもむろに右手を掲げると、それをそのままウセムトの胸部に突っ込んだ。

「ひっ」

 ウセムトは小さく悲鳴を上げ、腕で自らを庇う。従者が静かに手を引き抜くと、そこには脈打つ心臓が握られていた。

 心臓を抜かれた当のウセムトは、不思議そうに自分の体を検めたあと、ぽかんとした顔で自らの心臓を眺めた。ネフェルと呼ばれた従者は、ウセムトの態度を意に介した様子もなく、しずしずと歩き、壁の周囲を大きく回って、ゆっくりとマアトのもとへと向かっていった。

 静寂、そして、間。これから自らの運命が決まることを考えれば、ウセムトは正気ではいられないだろう。それを示すように、彼の心臓はネフェルの手の中で激しく拍動していた。

「――死者ウセムトよ。己が運命を見届けよ」

 マアトが厳かに宣言し、秤の一方にネフェルから受け取った心臓を置く。秤が心臓のほうに傾くとともに、ガチャン、と音を立て、ウセムトの体がびくりと跳ねる。

 少しの間を置いて、マアトは髪に挿していた羽根を引き抜き、もう一方にそっと載せた。

 秤がゆらり、と動きはじめる。もどかしくなるほど緩慢に、ゆらり、ゆらり、羽根が下がり、心臓が下がり……。これが静止したとき、心臓がわずかでも羽根より下にあれば、その心臓はアメミットの餌となり、ウセムトの生はそこで終わる。

 心臓は、秤の上で激しく動いていた。そのせいで、なかなか秤は止まらない。セティからはその背しか見えないが、きっとウセムトは目を見開き、拳を握りしめて秤を見つめているだろう。

 やがて、ゆっくりと動き続けた秤が、止まる時が来た。

 遠目では、微差がわからない。セティの目に、秤は――釣り合っているようにも見えるが、ほんの少しだけ、心臓のほうが下がっているようにも見えた。

「……それでは、判決を言い渡す」

 マアトが厳かに言う。思わずセティも息を吞んで見つめる。

「――死者ウセムトよ。お前がイアルの野の地を踏むことはない」

 一瞬の間。直後、ウセムトは大声で喚きはじめた。

「噓だ!! なにかの間違いです!!  私は――」

「ネフェル、止めろ」

 マアトが疎ましそうに言った直後、ウセムトが体を仰け反らせ、絶叫した。遠目に見やると、ネフェルの爪が、秤から取り上げたウセムトの心臓に深々と喰いこんでいる。そこから、血がぼたぼたと垂れていた。

「心臓はアメミットに。面倒だ、体も放りこんでおけ」

 マアトが眉一つ動かさず命じる。ネフェルは心得たように無言で一礼すると、倒れて動かなくなったウセムトの体を引きずって、広間の右手の扉の奥へと姿を消した。

<第7回に続く>

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