【第2回】 菅野結以の“ことば結い” 『わたしたちに許された特別な時間の終わり』 岡田利規
更新日:2013/8/6
かんの・ゆい●1987年、千葉県生まれ。モデル活動のほか、東京FMやINTER FMの番組でラジオパーソナリティ、映画評の執筆連載、自身のコスメブランドのプロデューサーを務めるなど活動は多岐にわたる。公式ブログ:http://ameblo.jp/kanno–yui/ twitter:@Yuikanno
まず、タイトルがいい。
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
一目見ただけで記憶の中のある場面が呼び起こされたり、どんな話なのかを勝手に想像してしまうタイトルというのは素晴らしいから、内容がどうであれとりあえず読まなくてはならない!と、どこか半強制的に思っている節があるわたしは、本屋さんでたまたま見つけて手にとったこの本のタイトルから連想した“モラトリアム”という言葉に頭の中を粛々と支配されながら、すぐにレジへと向かったのでした。つまりはタイトル買いってやつです。
2003年3月のイラク戦争が始まる直前、出会ったばかりの若い男女が渋谷のラブホテルでテレビもつけず時計も見ずに過ごしたたった5日間の、たった81ページの短いお話です。
はじめに言っておくと、この話には優れた名言や格言たるものも存在しなければ、尊敬すべき人物だって登場しません。
頼りない若者たちの空虚な日々と曖昧な関係、淡く不確かな時間だけがそこにはあって、ふわふわと夢見ているようなのにとんでもなくリアル。いや、きっとリアルではないはずなのに不思議な生々しさがある、と言った方が近いかも。
だけど、きらきらとしたドラマもファンタジーも都合よく日常にポンと落ちてくることなんてそうそうない、ということがわかるくらいにはもう大人になってしまったわたし(や、あなた)には特別な一冊にだってなり得るから。誰もに受け入れられる話ではないと思うけれど、紹介します。
ブッシュがイラクに宣告した「タイムアウト」が迫る頃、偶然知り合った男女が、渋谷のラブホテルであてどない時を過ごす「三月の5日間」。疲れ切ったフリーター夫婦に忍び寄る崩壊の予兆と無力感を、横たわる妻の饒舌な内面を通して描く「わたしの場所の複数」。人気劇団チェルフィッチュを率いる演劇界の新鋭が放つ、真に新しい初めての小説。第2回大江健三郎賞受賞作。
【Yui’s Choice】
あ始まったんだねやっぱり戦争。
軽い、ふざけるな、と思う人も中にはいると思う。でもこの話の中に、ドキッとするほど強烈な鮮やかさをもった自分を見つける人もいると思うんです。今世界中で確かに起こっているどんな事にも興味がない、どうでもいい、という訳では決してなくて。ただその全てに現実味がなくて、自分にはなす術がなくて、だから見て見ぬふりを続ける人々。
登場人物たちの会話には「なんか」「なんとなく」が頻出するし、見方によっては風が吹いたら簡単に飛んでいってしまいそうなほど軽く薄っぺらい話でもあります。
なのにこんなにもこの話が心の奥底に留まり続けて、渋谷に行くたびにそれが疼いたりするのは何故なのだろう?そして「わたしたちに許された特別な時間」とは、一体どんな時間なのだろう?
【Yui’s Choice】
時間が私たちのことを、常に先に先に送り出していって、もう少しだけゆっくりしていたいと思っても聞き入れてくれないから、普段の私たちは基本的にはもうそれをすっかりあきらめてるところのもの、それが特別に今だけ許されている気がするときのあの感覚だ
世間の流れとは一時隔離されたような、あの感覚。非日常的で、非社会的な、現実とのあらゆる問題とも向き合わなくていいほんの僅かな時間。
簡単に言ってしまえばそんなのってただの現実逃避に過ぎないのだけれど、それがどうしようもなく必要であり救いになる時というのが人には確実にあるんですよね。
例えば身近にできるもので言えば、好きなアーティストのLIVEに行ったりだとか、映画のストーリーに没頭して思いきり泣いたりだとか。あるいは旅行中、あるいは恋人との優しい時間の中で。
いつまでも続くわけではない、永遠にここにいられるわけではないと理解しながら、そんな時間の概念をも一瞬忘れさせてくれるような、奇跡みたいな瞬間の煌めき。例えばそれが“まとも”な幸せとは違っていても、そんなことは関係がなくて。ただ自分にとって特別であることが、何よりも重要で。
それは、普段こちらの存在なんて一切無視したまま淡々と続いていく世界と自分との繋がりを感じられる、唯一の手段であるのかもしれません。
そしていつかそんな時間はしっかりと、躊躇なく、確かな必然性をもって終わるのです。
撮影場所:下北沢 ピリカタント書店
【Yui’s Choice】
永遠にずれ続けていきたいと思っていることの許される特別な時間の終わりが始まった
終わりが、始まる。
終わりはそのほとんどが一瞬の出来事ではなくて、じわじわと小さな予感が積み重なって完成するものなんだよなあ、ということをふと考える。
それは仲間と楽しくお酒を飲んだ帰り道、明るんでいく空を見てじんわりと酔いが醒めていくあの感覚と似ているかもしれない。
それは土曜日から何の計画もなくだらだらと家で過ごした日曜日の夕方、サザエさんを見て感じるほんのりとした憂鬱とも似ているかもしれない。
「永遠なんてない」と実感する小さな出来事の数々を憂う暇さえなく、特別な時間を体験した後のわたしたちはまたそれぞれの生活へと帰っていくけれど。夢のような時間を生きたという事実はその後の自分をひどく苦しめると同時に、やっぱりそれってとても幸せなことだよなぁとどうしても思ってしまうのです。
【Yui’s Choice】
見上げると、左右を建物に仕切られた狭い空の可視エリアの中に太陽はあった。空はくぐもっていて、雲とまったく変わらない色をしている。でもこの色こそ私たちにとってほんとうの空の色だ。
感動も興奮も、人生観を大きく揺るがす大事件だってこの本の中にはないけれど。
愛も未来もない閉鎖的な空間の中で、それでもって体を重ね続けた2人の虚しい行為は生への渇望としか思えなくて、人間ってなんて悲しくも愛おしい生き物なんだろう、と甘い余韻に胸がチクリと痛むのでした。
>菅野結以の追加ショットはこちら(「読みたガール365」に登場!)