ヒャダイン連載 【第4回】「久保ヒャダ」で貰ったから、『何歳まで生きますか?』を読んでみた

2013/4/16

両親、ファンの皆さんもいなくなったら別に生きてても死んでてもどっちでもいい

天国のイメージ。本当は雲って乗れないんですよね…。

 まず「何歳まで生きますか」。僕はあまり生に執着がなくて、いつ死んでもいいやくらい思っているのですが、最近そうもいかないなあ、と思います。本の中でも「死んだ人がもし仏になるとしたらその人は幸せなわけで、それを遺された人が悲しむのは『あれしてればよかった』『もっと会ってればよかった』などの後悔などの感情だ」って書いていてその通りだな、と思っていて、両親はピンピンしているし少ないけど友達もいる。それにこういう仕事をしているからたくさんのファンの方々がいる。もしぱったり僕が死んだらそういった皆さんが悲しんでしまう。僕自身は死んでどうなろうがどうでもよくても、周りの優しい人達がよくない。あと、ネットで時々「死んでしまえ」みたいなことを書かれるのでもし死んだら、そんな奴らの思うツボで悔しい。僕の仕事は曲作りとか歌を歌ったりしているんですが、自己表現のツールとして音楽を使っているわけではなくて、聴いている皆さんが楽しんでもらえればなあということで音楽を作っています。それは死生観にも影響しているんだなあと思います。本の中にも同じ意見の方がいて、「ああ、わかるなあ」となんだか嬉しくなりました。もし両親もいなくなって、ファンの皆さんもいなくなったら別に生きてても死んでてもどっちでもいいなあ、なんて思います。こんなこと書いたら「せっかくいただいた命なのに、ワガママなこと言うな」と思われるかも知れません。そうかもしれないのですが、こればかりはやはり人それぞれ。絶対的な答えはないと思います。もちろんこうして今命がある、ということは「生かされている意味がある」とは思っています。

一日一日を必死に生きていたら「死」についてあれこれ悩むこともない。

不老不死の薬。虫と毒草はマスト。

 これは違う方が言っていたのですが「歳をとったら制作する物のレベルが落ちる」これも激しく共感できるんですよね。やはり音楽は流行り物。常に流行に敏感でいつづけなきゃいけない。動画サイトとか見ていて20代前半の人が作った音楽が「新しくてすごいなあ」なんて思うこともあります。自分が40、50と加齢していくにつれそういう感情が強くなるのかなあ、なんて思うと鬱々としてしまいます。
 もし自分が植物状態になって、創作もできずただ生きているだけの状態になったら何の意味があるのだろう。なんて思ったりもしていましたが、この本の中の一人が、そういった状態になっても生きている姿に「生」を感じたという意見があってこれまた考えなおさせられました。貧困層などの死の現場をたくさん見てきたライターさんの意見で「貧しい国の人は今日を生き抜くことに精一杯、『死』についてあれやこれや考えている暇なんてない」とあったのですが、ハっとしました。一日一日を必死に生きていたら「死」についてあれこれ悩むこともない。僕の大好きなミュージカル「RENT」のテーマとして”No Day But Today”というのがあるのですが、今日という一日をとにかく悔いのないように生きること、それが大切なんだな、と改めて思いました。

 どんなシーンでも、「死」について語ることはとてもデリケートなことで、それぞれ意見が違い相容れないものだから、ある種のタブーとしてみんな口を閉ざしがちになるものですが、この本においては自然体でそれぞれが「死」について語っています。それによってより強く「生」を意識できる、そんな感じ。目を背けたい「死」。この本を読むと少しフラットに向き合えることができました。おすすめです。ちなみに久保先生は一人だけ「不老不死」を所望されていました。さすがだと思いました。

今日の一句

死ぬ前に 食べたいものは 塩水うに