WEB官能&BL(12)住吉いこ『花のころはさらなり』

更新日:2013/8/6

 地下鉄の改札を出て、教えられた番号の出口から地上へ抜けると、そこは川沿いに長く整備されたウッドデッキの遊歩道だった。散歩をしたら気持ちよさそうだ。手すりに近づいて覗き込むとその一段下にも道があり、桜並木が延々と続いていた。街灯が淡い若葉と萼片をまだらにまとう枝を照らしている。

 もう春も終わりだな、としばらくぼんやりしてから、最後の身だしなみチェックをしなきゃとバッグの中のポーチを探っていると、背後から声を掛けられた。

「真澄ちゃん」

 この声。この発音。すこしがさがさしてるけど決して粗野じゃない。笑うとちょっと高くなる。

 久野さんの声だ。

「あ、はい」

 慌ててバッグの口金を留め、真澄はぱっと振り返った。

「お久しぶりです。あの、きょうはお忙しいところありがとうございます」

 そして顔を見るより先にぴょこっと頭を下げる。我ながら優雅さに欠ける一連の動作を後悔したけれどもう遅い。

「いや、別に忙しくはないけど……」

 その後に続く言葉が気になってそろそろと顔を上げると、懐かしい笑顔があった。目じりに浅いしわ、というよりは爪で押したような細いくぼみができて、きれいに前歯が覗く。出会い頭にはいつだってそんなふうに鮮やかに笑ってくれる人で、真澄は嬉しかったし、他の人にだって見せるんだろうと想像して心が曇る時もあった。

「真澄ちゃんに、そんな大人みたいな物言いされると、嬉しいような寂しいような複雑な心境だな」

「……昔はそんなに傍若無人でしたか?」

「そういうわけじゃない。とりあえず、店に入ろうか。ゆっくり話そう」

 川べりに立つホテルを指差した。

「お腹空いてる? ならバーの前にレストランに行こう」

「いえ」

 真澄はかぶりを振る。

「食事はもうすませてきました」

「そう? だったら助かる。俺、夜ってほとんど食べないんだよね。どうしても飲むのが中心になっちゃって――」

 そこで真澄が笑っているのに気づくと歩きながら「前もこの話したっけ?」と尋ねる。

「はい、昔教えてくれましたよ。満腹すると舌が鈍るからせいぜい軽いアテしか口にしないって」

「そうかあ」

 久野は「ぼけたな、俺も」と大げさに天を仰いだ。それから真澄を見て「覚えててくれてありがとう」とさらりと、でも適当じゃない口調で言う。そうそう、どんなささいなことでも、感謝を言葉にするのを怠らない人でもあった。

「そんな……」

 だって好きだったから、覚えてるに決まってます。そう口に出す勇気はなかったから話題を変えた。

「久野さん、どうして後ろ姿だったのにわたしが分かったんですか?」

「真澄ちゃん?」じゃなく確かに「真澄ちゃん」と呼んだ。あのころとは髪の色も長さもぜんぜん違うし、あのころ着なかった膝上丈のワンピースなのに。

「分かるよ」

 自信たっぷりに久野は答える。

「どうして?」

「だって真澄ちゃんの脚は昔からまっすぐに長くてすごくきれいだもん」

「えっ」

 急に自分の格好がものすごく無防備に感じられ、思わず服の裾を手で押さえた。ふくらはぎの間を通り抜けていく風が涼しい。

「そんなに警戒しなくてもめくらないから」

「警戒っていうか、え、ただびっくりして、だって昔は、配達中でジーンズしか穿いてなかったのに」

 ああそうか、だから詰まるところただのリップサービスだったんだ、と今度は別の意味で恥ずかしくなったが、久野は「穿いてたって分かるよ」と言った。

「きれいな脚はすぐに」

「たくさん見て目が肥えてるからですか?」

「女の子の脚はいくら見ても飽きないよね。桜と一緒で」

 否定しないんだ。十八歳に後退したような幼い嫉妬を一瞬覚えて、けれどすぐに自らの立てたパンプスの足音で二十五歳に戻ってくる。くだらない軽口で拗ねてどうする、だいたいそんな権利もないくせにみっともない。

「どっちかというと、声掛けてからの方が不安になったよ」

「え?」

「脚は昔のままきれいだったけど、ほかは昔よりずっときれいになってたからさ」

 ありがとうございます、とにっこり笑えばいい。大した意味なんかない、社交辞令だ。そう分かっているのに、真澄は赤くなった顔を見られないようにうつむいた。

「久野さんは」

「ん?」

「……何か、ちゃらくなりましたね」

「そうきたか」

「だって……」

「ほらほら、先に入って」

 またしても久野は「そんなことないよ、本気だよ」とは言ってくれないのだった。ドアマンの恭しいお辞儀とともに正面玄関の扉が開かれ、真澄はホテルの中に足を踏み入れる。敷き詰められたじゅうたんはヒールの硬さを静かに受け止める。

 

 

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