ヒャダイン連載 【第10回】ラブホに憧れているので『性愛空間の文化史』を読んでみた。

公開日:2013/10/15

変幻自在のネオネオポップアイコン ヒャダイン(前山田健一)による気ままな読書感想文!

 ども。ラブホテル、って行ったことあります?俺、33年間生きてきましたけどないんですよね・・・。よく小さいころドライブに連れて行ってもらったのですが、その際田舎にいくとでっかいお城みたいなラブホが建っていて、いずれもネーミングセンスがえげつなくてワクワクして見ておりました。あ、厳密に言うと、行ったこと無いことはなくて、というのも拙作「ヒャダインのじょーじょーゆーじょー」という曲のジャケ写を撮るときにに「元ラブホテル」という貸しスタジオに行きました。入り口から「顔がさされない」受付があったり、ごてごての内装があったりして、異空間、そうアナザーディメンションに迷い込んだ感じがしてたまんなかったです。

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 さてさて。そんなラブホ。日本独特の文化と言われていますよね。そもそも「ラブホテル」という言葉自体が和製英語ですからねえ。お城のような外観で独特のルールがあるようなラブホテル。このある意味クールジャパンな文化を知っておきたい!ということで読んでみました。

 

『性愛空間の文化史』

金益見/ミネルヴァ書房

現在、日本にはラブホテルと呼ばれる施設があるが、カップルが利用する貸間には、連れ込み宿やモーテルなど様々な名称が付けられ、消えていった。姿・形は変わっても同じシステムや機能を持った空間が、なぜ時代によって変化してきたのか。本書では、日本の貸間空間の変遷をもとに、外観や経営者の変化を取り上げ、その名称が人々の性意識を色濃く反映させてきたことを解明する。『ラブホテル進化論』の著者が描く、待望の通史。

 うわ。ミネルヴァ書房。大学の頃よく読んだなあ。著者が1979年の大阪出身女性ということでなんだか親近感。文体も難解ではなく、何度も総括もしてくれているしあと資料のイラストも多いので大変読みやすいです。そして何よりラブホが今の形になったのは文化的にちゃんとした理由があって、いろんな原因が重なりあって出来たものなのだということがよくわかります。

 

ラブホの起源は上野の不忍池にあった

♨←昔はこれがセクシーアイコンだった

 で、ラブホの起源ですが、以前この連載でウラ日本史の本を読んだ感想文で書いたんですが、上野の不忍池の周りのあった「出合い茶屋」にあるようですね。「不忍池に蓮を見に行きませんか」という暗号がチョメチョメへの誘い文句だったらしいです。まあ、粋というかなんというか。それが江戸時代のお話し。その後「連れ込み旅館」というものが流行し始めます。これの著述が面白かったー。「男性が女性のハンドバッグを持って、それを追いかける形で女性が男性の後ろをついていって旅館に入る。そして女中さんに「ハンドバッグを取られて連れ込まれたの」とわかりきった弁解をするというお決まりのシステムがあったようです。そこから「連れ込み」という言葉が使われるようになったとか。連れ込み旅館自体も実はそもそも昼間の時間貸しをする為に作られたものではなく普通の旅館だったようなんですね。それが昼間に「休憩」として時間貸しをしたら料理も出さなくていい、回転率もいい、人件費もかからない、ということでいいことだらけ。こりゃいいや、ということで連れ込み旅館に形を変えていったようです。

 連れ込み旅館はその後部屋にお風呂とトイレを備え付けているところが増え、ますます人気が出たようです。というのも、当時旅館のお風呂とトイレは基本共用で、お風呂待ちの時間だけでどんどんお金が取られてしまうという非効率なシステムだったので、この備え付けというのは大変キラキラした存在だったようです。で、それがもとで「風呂が備え付けられている旅館」ということで温泉マークが連れ込み旅館の暗号として使われるようになったという!知らなかった!「サカサクラゲ」とも表現されていたこの温泉マーク「♨」実は、連れ込み旅館すなわちラブホの隠語だったわけですね。本著では当時の新聞広告のスキャンをたくさん載せており、のきなみ温泉マークがついております。途中から警察によって温泉マーク使用が禁止されるんですけどね。

 そもそもなんですが、なぜ「連れ込み旅館」が必要だったのか、という話をしないと日本のラブホ進化を話せないと思うのですが、当時の若者、そして若夫婦は実家ぐらし、もしくは長屋、壁の薄い部屋で子供と寝ている、など、チョメチョメを家でするのが非常に難しい時代だったんですね。確かに思いますもん。友達で「歳の離れた弟が出来た」なんていう人の両親、いつどこでチョメチョメしてたんだろう、と。まさか子供が寝た後なんてリスキーなことなのかしら。声を押し殺して?ある意味燃える。そういったストレスを解放するために連れ込み旅館が機能していたのですね。狭小住宅の日本ならでは、ということだ。