ヒャダイン連載 【第11回】話題になっているので『失踪日記2 アル中病棟』を読んでみた

公開日:2013/11/19

アル中病棟はなんだか楽しそう!?

今までのアル中患者の自分の中のステレオタイプ。色んな人がいることを知った

 さてさて。そんなアル中病棟は団体生活で色んな患者がおり、もちろん全員アル中なのですが、様々な人生の末のアル中であって、その個性的な面々の描写が本当に細かい! なんだか楽しそうにも感じてくるんですよね。病院だけではなく、アルコール依存の人たちが集まるフォーラムのような自助施設もあり、その特徴や個性豊かな参加者を見ていると、愛着が湧くほどです。(実際にいたら愛着どころの騒ぎじゃないでしょうが…)基本、この病棟は刑務所とは違うので強制的な縛りはそこまでなく、地域は決められているけれど外出も可能で、経過次第では外泊も許される。院内も自由で、ほんと年齢層がバラバラな人が集まった合宿所のような雰囲気。罪を犯したわけではないですからね。病気であり、彼らは患者なのですから。しかしスリップ(飲酒)したことがバレると通称・ガッチャン部屋という独房に入れられる、という。リーダー格の女性が仕切っていたり、その取り巻き、他、新人に詐欺行為をする嫌われ者やけんかっぱやい人。同じものに苦しむ仲間、他者を見ることによって、作者は客観的に自分自身を見つめ直しているのではないか、と僕は思いました。前作のホームレス時代もそうですが、作者は集団の中の個々を作家視点で客観的に見つめることで自分自身をも俯瞰しして、改善の方向に向かっているのではないか、と思います。というのも、僕自身もマンガ家さんと同じような職業・作曲・作詞家でありまして、部屋にこもりきってウンウン言って作品を生み出す仕事です。こういう毎日を送っていると箱庭の中で全てが完結してしまい、外の世界との繋がりを感じにくくなってしまいます。自分の中の世界だけが膨れ上がり、それに伴い諸々の感情も必要以上にブーストされることもあります。そんな時、僕はテレビやラジオの仕事、レコーディングやミックスなどの作業でたくさんの人と同じ時、同じ場所を過ごすことによって、集団の中の個としての自分、そして他の人達と接することで自分というものを俯瞰して見ることができるんじゃないかな、なんて思っています。

誰にでもなりえる依存症。支える優しさも必要

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すごく用を足したいのに便器の前でガマンするのはまさに苦行!!そんな人を責めるのは確かにちょっと…ね…。

 本作では作者が回復し、退院をするまで描かれているのですが、やはり未来への不安や断酒の苦しみが最後に描かれています。そりゃそうですよね。これから続いていく人生、一滴たりともお酒を飲んではいけないのですから。もしかしたらハプニング的にお酒を口にしてしまって、元に戻るかもしれない。誘惑に負けて飲んでしまうかもしれない。それが何十年も続く、と考えたら心が持ちませんよね。脳みそはもうアルコールの受け入れ体制万全なわけですから…。ドラッグもそうだけど、理性ではいかんともしがたい状態になった後、その原因を断つというのは、苦行そのものですよね。「そんなの自業自得じゃねえか」とバッサリ言う方もいると思います。そちらのほうが大多数だと思います。ドラッグに手を染めた芸能人の復帰会見に世間が厳しいのを見ると、それは当然だし、そういう反応であるべきだ、と僕は思います。しかし、体が中毒体質になった後にそれを一切断とうとする苦しみは、僕らには想像すらできない、まさに地獄そのものなのだろうな、とこの本を読んで思いました。地獄の思いをして耐えているのに、仕方はないとはいえ世間から罵詈雑言を浴びせられたら「ああ、我慢するのがバカらしい」とまた「スリップ」してしまうのではないでしょうか。倫理的には責め立てたいし、それは仕方ないかもしれないけど、この本にあるように「アル中になったきっかけがわからない」、すなわち誰にでもなりえる依存症。支える優しさも必要だ、と痛感いたしました。

今日の一句

アル中の 怖さを知った 優しい本