官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第37回】いおかいつき『推定恋情』

更新日:2014/3/6

「藤野です」

 ドアの前に立ち、ノックをした後、室内に向けて呼びかける。どうぞと答える声が中から聞こえてきて、恵吾はドアを開ける。

「まあ、座りなさい」

 立ち話では終わらせられない話があるのか、松下が応接ソファを恵吾に勧め、自らもその向かいに座った。

 恵吾の部屋もデスクの他に来客用の応接セットは備え付けられているが、この部屋のものは一段と豪華だった。華美ではなく、明らかに質が違うのだ。松下が顧問を務める会社は全て一流どころで、それに見合ったもてなしをすべきというのが、松下の考えらしい。

 そう言うだけあって、松下は自身の身なりにも気を遣っていた。いつもオーダーメイドのスーツに身を包み、綺麗に磨かれた革靴もイタリアの有名ブランドのものだと聞いている。恵吾の立場ではそこまで真似するのは無理でも、せめて並んで歩いても恥ずかしくない程度のスーツを着るようにはしていた。

「この事件なんだがね」

 向かいに座った松下が、早速とばかりに一週間前の日付の朝刊を差し出し、社会面を開いて見せた。

 これと同じ新聞ではないが、松下が指差す記事は恵吾も目にした記憶がある。都内のマンションで男性が刺殺された事件だ。

 刑事事件を扱う弁護士事務所なら、松下が気にするのもわからなくはない。だが、ライフ法律事務所は民事専門、しかも顧客の大半は企業だ。個人の、しかも刑事事件を扱ったという事例を恵吾は聞いたことがなかった。

「これが何か?」

「ここにもう一人、刺されて重傷の被害者がいると書かれているだろう? 小笠原晃司(おがさわらこうじ)さん、三十二歳。君と同い年だな。その晃司くんは小笠原グループ会長、小笠原隆彦(たかひこ)の孫なんだよ」

 ようやく松下の言わんとすることがわかってきた。本来なら、関わるはずのない殺人事件も、松下が顧問を務める小笠原グループの一族が関わっているとなれば、放っておくわけにはいかない。おのずと恵吾がここに呼ばれた理由もわかってきた。

「私にその事件を担当しろということですか?」

 先を読んだ恵吾の問いかけに、松下はそうだと頷く。

「孫の晃司さんはまだ入院中だが、退院を待たずに逮捕されることになった。警察の取り調べも病院で行われるそうだ。君には至急、病院に駆けつけ、その対応に当たって欲しい」

「どうして、私なんでしょうか?」

 返事をする前に、抱いて当然の疑問を先に解消する。この事務所には他にも弁護士が山ほどいるのだ。恵吾以上の経験を持つ弁護士も多い。

「キャリアが長くても、皆、民事専門で、刑事事件を受け持ったことがない。こう言っては何だが、同じ条件なら、若い君のほうが柔軟に対応できるだろう」

 松下はまずそう答えてから、大事な話をするのだとばかりに、声のトーンを一段落とす。

「それに、小笠原グループの顧問も、今は私が代表となって担当しているが、いずれは誰かに引き継がなければならない。その候補に君を考えてるんだよ」

「ありがとうございます。先生にそう言っていただけるだけで光栄です」

 いささかオーバーなくらい、恵吾は感激の言葉を口にする。ここでの地位を上げて行くには、トップの松下から気に入られなければならない。今でも他の弁護士に比べると優遇されているほうだが、まだ満足はしていなかった。

「君を後押しするために、今回の一件はいいチャンスだということはわかるだろう?」

 松下の問いかけに、恵吾は力強く頷く。

 そこまで言われては断ることなどできなかった。殺人事件はおろか、そもそも刑事事件を担当したことが一度もないのだが、なんとかやりきるしかないだろう。しかも絶対に勝たなければならない勝負だ。

「晃司さんはどちらの病院に?」

「京成大付属病院だ」

「それでは、早速、行ってきます」

 幸いにして、今は難しい案件を抱えていない。恵吾が顧問を務める会社はどこも順調で、定期的な業務しかなく、物足りなく感じるほどだった。

「わかった。連絡しておこう」

 これで話は終わったとばかりに、松下は席を立ち、秘書の白井(しらい)に内線電話をかけ、恵吾に資料を渡すようにと命じた。

 恵吾も立ち上がり、ドアに向かいかけたが、ふと思いついて足を止める。

「最後に一つだけ……」

「なんだ?」

「晃司さんは犯人ではないんですよね?」

 松下は晃司については何も言わなかった。孫も刺されていたはずなのに、被害者とすら言わなかったのだ。それが引っかかっていた。

「大事なのは犯人かどうかじゃない。いかにして小笠原の名を汚さない結果にするかだ」

「……わかりました。全力を尽くします」

 松下の意図は充分に伝わった。恵吾は頭を下げ、松下の部屋を後にした。

 確かに松下の言うとおりだ。自分が弁護士になるまでは、『弁護士』は正義の番人だと思っていた。けれど、現実は真実の追求をすることではなく、依頼人の利益を守ることだと学んだ。今回の事件も、もし晃司が犯人ならば、いかにしてその罪を軽くするか、情状酌量を狙うかを恵吾は考えなければならない。

 自室に戻り、手早く出かける準備をしていると、白井が資料を届けに来てくれた。目を通すのは病院に向かうタクシーの中でもできる。恵吾は資料を手にして、そのまま事務所を飛び出した。

 

 

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