官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第38回】有允ひろみ『MIRROR』

更新日:2014/3/12

 「これが、先週行った土壌と水質の調査結果報告書です。施工するにあたって、もう少し広範囲の調査が必要ではとの指摘がありましたので、それについては現在調整中です」

 私の言葉に、日に焼けた顔がこちらを向く。

「設計書に変更があったと聞きましたが」

 くっきりとした眉に男性的な目元。すっきりと伸びた鼻梁の下にはやや大きめの唇が、固く結ばれている。健全なスポーツマンを具現化した様な、整った顔立ち。以前から見知っていた彼だったけれど、こんな風にまともに顔を合わせるのは、今回が初めての事だ。

「ええ。土地取得の件で、ちょっとした問題が起きてしまって……」

 軽く頷いて、私のデスク右側にある椅子へと誘導する。そこにあるデスクトップパソコンには、既に必要なデータが準備してある。二人並んで腰かけたところで、書類の差し替え部分を指先で示した。

「それに伴って、諸経費の概算値も大幅に見直しが必要になります。月末までに詳しい数値を出すよう常務に言われておりますので、このデータを……」

 画面を切り替えると同時に、無意識に右肩を揉む。肩の痛みに、思わず顔を歪める。

 黒色のディスプレイの中、隣にいる岩崎君の目線が、私の横顔にじっと固定されているのが目に入った。

 つ、と横を向く。まともに視線が合う。

「多岐川主任、肩、辛そうですね」

 そう言って微笑む岩崎君の口元から、真っ白な歯がこぼれる。

「ええ、もう慢性化しちゃって。あ、……コーヒーでも淹れましょうか」

 おもむろに席を立ち、部屋の入口近くにあるブースに行く。そこにあるディスペンサーのボタンを押し、二人分のコーヒーを抽出する。

 岩崎君が海外事業部に異動になってからというもの、彼に関する様々な噂が秘書室にまで聞こえてくるようになった。

 学生の頃バックパッカーで、アメリカ中を旅していたとか、高校の時、サッカーで全国大会までいっただとか。自宅でじっとしていることなんかめったになく、週末はいつもどこかに出掛けているとか、目下付き合っている女性はいないとかなんとか。

 今朝秘書仲間の里美が仕入れた情報によると、是非にと頼まれて地元の少年サッカーチームの臨時コーチをしているという。

 アクティブで社交的な好青年を体現しているような彼。通称エリート事業部と謳われる海外事業部のこと。そこに、引き抜きという形で異動して来た彼に、何人もの女性社員が熱っぽい視線を送っているのは確かだ。

 トレイに二人分のコーヒーをのせ、歩き出す前に、ごく浅いため息をつく。

 本当のことをいえば、ちょっと前まで私もそのうちの一人だった。いや、そんな大袈裟なものなんかじゃない。社内で岩崎君を見掛けた時、少しだけ心臓が高鳴ったという程度のもの。他の女性社員の様にあからさまにその姿を目で追ったり、声高に彼に対する賞賛の言葉を口にしたことなど一度もない。

 ただ、なんとなくいいな、と思っていた。数多くいる男性社員の中でも、ひときわ背が高く目立つ彼のことを、ちょっといいな、と思っていただけの話だ。

 

「どうぞ」

 書類を繰る岩崎君の前に、湯気の立つ紙コップを置く。

「ありがとうございます」

 こちらを向く彼の目元が、ふんわりと綻ぶ。

 すっきりとした二重目蓋の目尻が、笑うことで少し下がり気味になる。男性的な顔つきをしているのに、ふとしたしぐさひとつで、あどけない少年のようになる。

(これじゃ、もてるはずよね……)

 そんなことを思いながら、コーヒーを一口飲む。コップを持つ岩崎君の左手に、大きな絆創膏が貼られている。

 きっと、グラウンドでボールを追っている最中、名誉の負傷でもしたのだろう。彼の様に活動的な人は、たくさんの人に囲まれ、大空の下で和気藹々と物事を楽しんでいる姿が似つかわしい。私の様に、こぢんまりとした付き合いを好むインドア派の人間とは、住む世界や、思考回路が異なっている。

 日に焼けた彼の肌と、紫外線をほとんど知らない私の肌。私が好む休日の過ごし方など、岩崎君にとっては、きっと退屈極まりない時間でしかないのだろう。

 手にした紙コップを、偶然同じタイミングでデスクに置いたところで、説明を再開する。途中いくつかの質問を受け、その都度必要と思われる受け答えをする。彼の頭の回転の良さにも助けられて、思ったより早く説明を終えた。

「では、今週末までに必要な書類を常務に、提出してください」

「はい。承知しました」

 彼の返事に口角を上げて頷き、正面にある時計で時間を確認する。

 そろそろ東常務が、取引先との会食に出掛ける時間だ。待機している運転手の山岡さんに、道路状況と出発時間の確認をしなければならない。デスク左手にある受話器に手を伸ばそうとしたその時、遠慮がちな、だけどはっきりと意志を持った岩崎君の声が後ろから聞こえてきた。

「あの、多岐川主任」

「はい?」

 振り返ると、大柄な岩崎君が、妙にかしこまった姿勢でこちらを見つめている。

 

 

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