官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第64回】中島桃果子『【お試し読み】甘滴恋情事~その指で私を濡らして~』

公開日:2014/11/18

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 なんとなくそんな気分だった。

 せいろそばをくるみダレで食べながらぼんやりしていると、男の声がした。

「うかない顔ですね」

 君志乃が顔をあげると、ハス向かいの席に男が腰をおろしながらこっちを眺めていた。なぜか目があったときにどきん、とした。

 店はがらんとしていて、そのとき君志乃と男の他に客はいなかった。

「いえ、まあ。そんなこともないんですけど」

 そう言って目を伏せて微笑むと、男は厨房に向かって「鶏南蛮」と声をかけ、再び君志乃に向き直った。

「玉芳庵(ぎょくほうあん)ですか?」

 玉芳庵とは艶ノ香湯の旅館名だった。君志乃は頷いた。

「そうですか。あそこの湯はいい。ねえ」

 どことなく含みのある言い方に聞こえたが、それは自分が秘密を知っているからだと思い直して、君志乃は、「ええ」と微笑んだ。

 そのときに、なにか、いつかもこうしてこの男と笑いあったことがあったような既視感がして、君志乃の胸は再びざわめいた。

 男はそれから別段ぺらぺら話しかけることもなく、鶏南蛮が来るまでは手に持っていた一冊の文庫本を読み、鶏南蛮が来てからは黙々と蕎麦を食べていた。

 他人との距離感のとりかたを知っている男なのだと君志乃は思った。それでいて、ひとりでいる女にぐいと入ってくる度胸もあって。

 女には慣れているのだろうな。

 それもそうだ。着流しを粋に着こなし、その手入れも行き届いている。そして意志の強そうなきらっとした瞳は、仕事に自信があって成功してるからだろう。職業柄、すぐに初対面の男を分析してしまうきらいが、君志乃にはある。

 ――わたしのお店に来たら、いいお客さんの感じ。

 そこまで考えて、君志乃は心の中でくすり、と笑った。

 グズグズ食べていた君志乃が食べ終わり、出ようかなと思う頃、あとから来たその男が席を立ったので、同時に席を立つのも無粋だと思った君志乃は、まだその食事の余韻を楽しんでいるふりをした。

 男が会計を終わらせて、軽くこちらに会釈をしてから出て行ったのを見計らって、君志乃も席を立った。

「お代なら頂いています」

 おかみさんにそう言われたのは、お金を払おうとしたときだ。

「え? さっきのあの方にですか?」

「はい、そうですが」

 君志乃は「なんてこと!」と呟いて、それからおかみさんに、「わかりましたどうもごちそうさま」と声をかけて店を飛び出た。

 知らない男に奢って貰うというのもなにかおかしなことだ。

 なんだろう、この週末はおかしなことばかり起きる。

 駅に向かう大きな道に出て首をふって人影を探すと、駅の方に下る道とは逆の、登り方向に男の背中が見えた。駅に向かわないということはここいらの人間か。

 君志乃は小走りで男を追うと、息を切らしながらその背中に向かって声をかけた。

「待ってください!」

 男は、ゆっくりと振り返り、君志乃をみとめると、少し笑ってこう言った。

「綺麗な女性に息を切らしながら“待ってください”と言われるだなんてぐっときますね」

 君志乃は大きく息を吸い込み、

「冗談やめてください。あの、これ」

 と、十銭硬貨を差し出した。

「奢っていただくあれではないですから」

 男はその開いた手を上から握って君志乃の方に戻した。

「そうでもないかもしれません」

「え?」

 男は君志乃の声には応えず、君志乃のうなじのあたりに顔を近づけて言った。

「いい香りだ。いい女の、生身の香りですね」

 そして男は、君志乃の顎のところに手を添えた。あまりに無駄がなく自然な動きであったので君志乃もされるがままになった。男はこう言った。

「ずっと会いたいと思っていた。ほんとうに、長い間。君志乃さん」

 君志乃は突然名前を呼ばれて驚いて、ほんの少し後ずさった。男は君志乃の頭の中でいろんな思考がかけめぐるその前にこう言った。

「粋元(いきもと)です。粋元硯(すずり)。自己紹介遅れて申し訳ありません」

 これから長いおつきあいになると思いますのでどうぞよろしく。

 差し出されたその手を、君志乃はしばらくぼうっと眺めていた。胸のざわめきは、胸の高鳴りにかたちを変えた。ドクン、と胸が波打つのを君志乃は感じていた。

 ダメだ、こんな風に出会ってしまったら。

 引き返せない。うまくいえないけど。

 君志乃は息を小さく飲んで、差し出されたその手に自分の手を重ねた。粋元硯は、その手を強く握った。

「また近々、東京で、改めて会いましょう」

 粋元硯はふわりと笑った。無防備な笑顔だった。その笑顔を前に、君志乃は、しらっとした風にしているだけで精一杯だった。

 

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