官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第77回】斉河燈『恋色骨董鑑定譚~幸せの欠片~』

公開日:2015/3/3

 仕事を終えたのは午後六時だ。

 仕事着である桜色の着物から紺色の小紋に着替え、車で向かったのは『バーミリオン』というクラシックホテル。以前経営の立て直しに関わった経緯のあるこの場所で、今夜は特別な人と会う予定があった。

「有礼さん、お待たせしました……!」

 大階段を駆け上ってロビーに着くと、ソファにゆったりと座っている彼が顔を上げる。軽く撫で付けた白髪交じりの黒髪に、上品な灰色の長着と黒の羽織がしっくり似合う。袂に腕を突っ込んだ姿がサマになるのは四十二歳らしい落ち着きの所為もあるだろう。

 津田有礼さん――骨董鑑定士を生業とする彼こそがわたしの恋人であり同棲相手でもあり、最近、婚約者となった人だ。

「あの、中丸(なかまる)さんはもういらしてますか? すみません、金曜だからか道が混んでまして、遠回りしたら時間ギリギリになってしまって……もうお待ちいただいてますよね?」

 訊ねると、有礼さんの視線がわたしの体を往復する。結い上げた髪から真新しい履物を履いた足元までを撫でるように。そしてわたしの質問には答えないまま言った。

「なんだ、わざわざ新しい着物一式で来たのか。改まった場でなし、簡単な格好でいいと言っておいたのに」

 初めて着る小紋を見て『なんだ』とはどういう了見だろう。捻くれ者の彼のこと、人前で褒めてくれるとも思っていなかったけれど。

「改まった場じゃないなんて、まさか。ホテル『バーミリオン』のレストランというだけで格式高いですよ。それで、中丸さんは? 筧(かけい)さんも同席されるんですよね」

 急いだほうがいいと思う。のんびりと構えている彼を急かすように、わたしはロビーの先に続くエレベーターホールを示す。

 今夜、これからわたしが有礼さんとともに会う予定になっている相手というのは、彼が寄稿している骨董専門誌『赤銅』の編集者である中丸さんだった。是非にとディナーへのお招きをいただいたのだ。

 中丸さんの狙いにはだいたいの見当がついている。

 ここ『バーミリオン』のボールルームに展示中のとある自動人形……大正時代に作られたオートマタについてだ。わたしと有礼さんは管理部部長を務める筧さんから、その謎を解き明かしてほしいという依頼を受けて調査をした経緯がある。

 本日のディナーには筧さんも招待されていて、つまり中丸さんはオートマタの発見から謎解明に至るまでの顛末を『赤銅』の誌上で発表しないかと言いたいのだ。

 人形はホテル『バーミリオン』での展示が評判を呼び、マスコミにも何度か取り上げられて一躍有名になっているからあやかりたいのだと思う。雑誌を通して骨董の普及に励みたい中丸さんの気持ちはわかる。

 とはいえオートマタの調査内容には、明かせない部分が多々あるのだ。記事にしようとすれば虚偽を記さねばならなくなる。それは数々の骨董品の真贋を見極めてきた有礼さんの信条に反する。だからわたしたちは再三にわたって中丸さんの提案を断り続けてきた。

 けれども中丸さんは食い下がり、せめて食事だけでもと手を合わせてお願いされ、いよいよ無碍にできなくなって今日の日を迎えることとなったのだった。

「中丸のことなら気にするな。いっそ待たせておけばいいんだ」

 急かすわたしを横目に、有礼さんはまだのんびりとソファに体を沈めている。

「なにをおっしゃるんですか。大切なビジネスパートナーですのに」

「何度断ってもしつこく喰らいついてきて、この忙しいときに呼び出す傍迷惑なビジネスパートナーだがな。ああ、原稿を中断してまで来てやるんじゃなかった」

 焦るわたしの前で彼はひとつ息を吐いてから、緩慢な動作で立ち上がる。そこに伴うのはかすかな衣擦れの音だけ。体つきに無駄がなければ所作にも無駄がないなんて、本当に見事だと思う。

 初めて会ったときから、彼はこうだった。

 生活感がなくて、俗世間とは関係のないところで生きているような印象の人。一度興味を持ったら止められなくなって、あとは坂を転げ落ちるようにわたしは恋に落ちたのだ。

 ぴんと伸びた背中に見惚れつつついてゆくと、エレベーターホールにたどり着く。人で賑わうそこはホテル『バーミリオン』名物の大階段を見下ろす、レトロな石造りの間だ。和と洋がしっくりと馴染み合う空間は、訪れた者に長年培われたホスピタリティの真髄を見せてくれる。

(何度眺めても素敵だな)

 同じく歴史ある建物で働く身として、啓蒙を促されている気分。これからも、こんなに素晴らしい施設が日本にあることを広く知らしめ、残してゆく活動に力を注いでいけたらいい。

 エレベーターの扉が開くと、有礼さんはさりげなくわたしの肩に手を当てて先に乗せてくれた。他に同乗するお客さまの姿はなく、わたしたちはその狭い箱の中でふたりだけになる。

「……ふたりきりで出掛けるときに着ればよかっただろう」

 呟く声は、扉が閉まると同時に右耳へと囁き落とされた。

「せっかくの品のいい小紋を、わざわざ私以外の男に披露してやることはないんだ」

 不機嫌さの滲んだ低い響きには、それでもほんの少しの甘さがある。腰には長い左腕がいつの間にか巻きついていて、わたしは彼の体の左に軽く抱き寄せられながら頬を火照らさずにはいられなかった。

 まるで、似合うよ、と囁かれたかのようで。

 

 

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