官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第77回】葵居ゆゆ『恋獄の椿姫』

公開日:2015/3/26

「お疲れさま翡翠。これ、よかったら藍佳(らんか)くんに持って帰って」

「なに?」

「焼き菓子だよ、表通りの桃輪堂(とうりんどう)の。あそこの旦那がくれてね」

「桃輪堂の焼き菓子! ありがと、藍佳が喜ぶ」

 紙の包みを受け取って翡翠は目を輝かせた。弟の藍佳は甘いものに目がないのだ。理央は照れたように頭をかきながら、喜んでもらえてよかった、と言った。

「藍佳くんのことは俺も気になってるんだけど、ここのところ忙しくて様子を見にいけなかったから。元気にしてる?」

「なんとか風邪ひかずに頑張ってるよ。忙しいっておまえ、ピアノ弾き以外になにかはじめたのか?」

 鏡の前に置かれた水差しから水を飲み、翡翠は髪を整え直す。鏡越しに理央を見ると、彼は曖昧に笑った。

「うん、まあね」

「犯罪だけはやめとけよ。理央、危なっかしいんだからさ」

「翡翠にお説教される日が来るとは思わなかったな。小学校の頃は悪戯(いたずら)ばっかりしてたの翡翠のほうだろ」

「いつの話してんだ」

 怒ったふりをして睨んだが、理央の優しげな顔を見るとつい笑みが零れた。理央は幼なじみで、今住んでいる部屋も、この仕事も、彼が世話してくれたのだ。

 気だてがよく真面目で誠実な理央が、異国人に占領されてなにもできずにいる現状を苦々しく思っているのは、翡翠もよく知っていた。知っているから、心配にもなる。

「おまえには感謝してるから、危ない橋は渡ってほしくないんだよ。俺だって金はほしいけど、まっとうな範囲で実入りのいい仕事を探すほうが、今後のためだろ」

「心配してくれてありがとう。翡翠は見た目よりずっと優しいところが好きだよ」

 理央は冗談めかして言い、時計を見て慌てて腰を上げた。もう一度舞台に出てピアノを弾くのだ。翡翠のうたうのにあわせて五曲、歌なしで五曲。時間を気にしつつ、理央は翡翠を心配そうに見る。

「翡翠、これから挨拶しにいくの? あの、商人だっていう人」

「行くよ。ご贔屓さんだし」

「あの人、よくない噂があるって前も言っただろう? アルビオンの軍人にいい顔している裏で、スターツともこそこそ繋がってるらしい」

 連合軍の要は、大陸を東西に分ける山脈の西側ほとんどを領土とするアルビオンだ。多くの植民地を持つアルビオンから独立したスターツは、その出自もあっ てアルビオンとは仲が悪いと言われている。大陸の西南の半島にあるイリヤは商業を中心に発展した小さな国が集まってできた連邦で、かつては文化や商品が交 流する中心地でもあった。そのため、「東部の母」を自称し、自国の文化以外には冷淡なルテニア帝国とは長年の確執がある。二大国家であるアルビオンとルテ ニアは、その間にある土地や国をめぐって、こちらもまた長いあいだ争いを繰り返してきた。

 決して一枚岩ではない連合軍は、『東』を手に入れるためにだけ、手を組んだのだった。だが、そんな相手にも耶斑は負けたのだから、翡翠は皮肉っぽく肩を竦めた。

「“同じ”連合軍じゃないか」

「スターツとアルビオンの仲が悪いの、翡翠だって知ってるよね。それに、耶斑人なのに、あんな……」

「わかったわかった、ほら、演奏開始時間に遅れるぞ」

 皮肉にも真面目に返してくる理央のいつまでも続きそうな台詞を遮ると、理央は一瞬悔しそうな顔をして、それからため息をついた。

「もう行くけど――今はまだわからないけど、目処がついたら翡翠にも話すよ、俺が新しくはじめようとしてること。翡翠は大事な幼なじみだし、一緒に頑張りたいんだ」

「そりゃありがとう」

 真面目な理央らしい台詞に翡翠が小さく笑うと、理央は表情を和らげ、じゃあまた明日ね、と控え室を出ていった。彼を見送ってから、翡翠は髪に飾った椿の花の位置を直して、贔屓にしてくれる客に挨拶すべく店に出た。

 目当ての男はすぐ見つかった。たっぷりと腹の出た身体をアルビオン風のスーツに押し込んだ五十がらみの背の低い男は、近づく翡翠を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。

「やあ、今日もいい歌声だったよ。さ、こっちに来て隣に座りなさい、なにか食べさせてあげよう」

「ありがとうございます、馬所(まどころ)様」

 そつなく微笑んで、翡翠は言われたとおり彼の隣に腰を下ろす。革張りの長椅子はやたらふかふかして座り心地が悪いが、姿勢を崩さないよう背を伸ばして座ると、馬所は小さい目を嬉しそうに細めた。

「本当に、こんなところに置いとくにはもったいないねえ翡翠は。アルビオン人ばかりのバーでもルテニア人ばかりのバーでも人気が出るよ」

「そうだといいんですけど、一度断られていますから」

「訪ねた店が悪かったんだよ。もっと高級なところでないとねえ、スターツ人の多いところは駄目だろう、彼らは野蛮で文化的素養が低いんだ。強がったところで、まだまだアルビオンには頭の上がらない国だからねえ」

 得意げに葡萄酒の入った洋杯を揺らし、馬所は長椅子の肘掛けに背中を預けて翡翠を眺めた。彼が連合軍の人間相手に商売をしているのは翡翠も知っていた が、具体的になにを扱っているのかよくわからない。しかし、いつでも羽振りがよさそうだった。それでも、同じ国の人間といたほうが落ち着くのか、この酒場 にちょくちょく顔を出しては、翡翠がうたった後はいつも食事をさせてくれる。

(金に汚い人かもしれないけど、順応できないよりはいいと思うんだよな)

 好きか嫌いかでいったら好きにはなれないけど、と思いながら翡翠は馬所を見返した。いかにも企みごとのありそうな顔の彼は、まだ年若い給仕が運んできた 肉料理や乾酪の載った豆の煮込みを「おあがり」とすすめてくれ、翡翠は箸をつけた。馬所は料理のかわりに葡萄酒を飲み干し、翡翠は瓶から洋杯に注いでやる。

「酌をするのも上手になったねえ。きみと懇意にしたい客も増えただろう」

「馬所さんが一番贔屓にしてくださいます」

 翡翠の愛想笑いに、馬所は満足そうに笑った。

「アルビオンでは、きみのように美しい、歳若い男を愛でる文化が伝統的だそうだよ。もちろん、表立っては金銭的な援助をするだけということになっているらしいが、裏では夜の奉仕に使うそうだ。女ではなく男というところが、歪んでいるねえ」

「異国ですから、習慣が違うのは仕方ありません」

「耶斑の少年は彼らに人気があるんだ。肌がきめ細かいのがいいそうだ」

 つう、と視線が首筋から開いた胸元を撫でるのを感じ、翡翠は眉をひそめた。耶斑では男を抱きたがる男はおかしいとされているのに、最近はそういう西洋文 化のせいか、酒場でうたっていると色目を使われることが増えたのが腹立たしい。馬所は若い女が好みのはずだが、視線はねばつくようで不快だった。

 翡翠の嫌悪の表情を見てとって、馬所が笑う。

「もちろん、きみに身売りをすすめているわけじゃない。ただ、以前から連合軍人の出入りするような高級なところでうたいたいと言ってたろう? 最近懇意に しているアルビオンの方がね、私がきみの話をしたら、一度会ってみたいと仰ったんだよ。ぜひ会ってみたらどうかと思って、その心の準備のためにこんな話を しただけだ」

 親しげに肩を叩き、安心しなさい、と馬所はもっともらしく頷いた。

「紳士的で身分も高い方だから、向こうの評判に傷がつくような無理強いはなさらない。一回会ってうたってみせて、気に入ってもらえれば高級酒場にも出入りできるようになるよ。会いたいだろう?」

「――そうですね、是非」

「服は私が用意してあげよう。そんな売女みたいな服は嫌がられるだろうからね、白いシャツと黒いズボンを買ってあげるから」

「シャツとズボンならあります。そこまでしていただかなくても」

「いやいや、いいんだよ。ジュリアス様に失礼があってはいけないからね」

 件のアルビオン人はジュリアスというらしい。よほど大事にしたいコネみたいだな、と皮肉っぽく思いながら、翡翠は「ありがとうございます」としおらしく頭を下げてみせた。

 身売りは冗談ではないが、職場を変えられるかもしれない機会はありがたい。この酒場の主は親切だが、耶斑人ばかりの酒場と異国人の集う酒場では手にできる金額が倍も違う。一日に稼げる額が高くなれば、それだけいい薬も買えるし、滋養のある食べ物だって買える。

(藍佳のためだ、ちょっとくらい気色悪いのなら我慢するさ)

 そのためなら、誰に頭を下げるのも苦ではないし、国をのっとった連合軍に媚びる歌をうたうくらい、まったく気にもならない。細かいことにこだわったって、生きるのが苦しくなるだけだ。無力だからこそ、手段は選んでいられない。

 結局生き残ったものが勝ちなんだ、と思いながら、翡翠は肉料理を頬張った。

 

 

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