官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第83回】朝来みゆか『潮風はいじわるな恋の運命』

2015/4/30

朝来みゆか『潮風はいじわるな恋の運命』

 偶然に再会した幼なじみは、新進気鋭の作曲家になっていた。とびきりかっこよく才能あふれる彼・流太に「両親の前で恋人のフリをしてほしい」と頼まれたなぎさは、困っている友達の頼みだからと快く引き受けるのだが、ひょんなことから同じ家で一ヶ月間暮らすことに! 最初はただの友達にすぎなかったのに、生活を共にしていくうち、なぎさはどんどん流太に惹かれていき……。ありのままに生きているだけで出会える恋はきっと運命。素直になれるスローでナチュラルな甘い恋♪

 どこかで見た顔だけど、思い出せない。臼井(うすい)なぎさは落ち着かない気分で、隣席の男をうかがった。

 男は足元に布地のバッグを置き、チケットと座席の背の部分に示されている番号を照合し、はおっていたパーカーを脱いだ。

 誰だろう。どこで出会ったんだろう。

 普段、なぎさはヨガインストラクターとして、専門スタジオやフィットネスクラブでレッスンの補助を担当している。習いにくるのは女性がほとんどだ。そもそも仕事で関わった相手ならば忘れない自信がある。

 だとすれば、プライベートだろうか。ジャンルを問わず音楽を聴きに出かけるのが、ここ数年の休日の過ごし方になっている。

 きっと前にも、ミュージックホールやライブハウスですれ違ったに違いない。そう自分に言い聞かせ、ざわついた心をなだめた。

 今日は海外でも活躍する指揮者、新垣美波(にいがき・みなみ)のコンサートを楽しみにしてきたのだ。S席のチケットは、昨日迎えたばかりの誕生日を自ら祝うつもりで用意した。

「春のコンサートにご来場いただき、誠にありがとうございます。間もなく開演いたします。携帯電話の電源が切られているかお確かめください」

 客席が暗くなり、誰かの咳払いが響くほどに静まる。

 
 

「ただいまから十五分間の休憩とさせていただきます」

 客席の千五百人の視線を一身に集め、オーケストラの数十人を引っ張る彼女の指揮はすばらしかった。

 入場時に受け取ったチラシの束から、なぎさはアンケート用紙を探した。

 鞄を下敷き代わりに使い、ペンを走らせる。賞賛の言葉を書き連ねた後、鞄を床に下ろそうとした。鞄につけたバッグチャームが椅子の肘かけに引っかかる。左隣からすっと手が伸びてきて、絡んだチャームをほどいた。

「……ありがとうございます」

 初めて男と目が合った。髪の色は明るく、瞳には小さな光が宿っている。

 古い記憶に思い当たった。小学校時代、同じ教室にいた男の子かもしれない。あの頃は短く切りそろえた黒髪だったけれど。

 話しかけようとしたとき、アナウンスが流れた。

「間もなく第二部を開演いたします」

 二十年前の記憶を掘り起こす。

 幼い横顔は脳裏に浮かぶのに、名前が出てこない。

 なぎさのもどかしさとは裏腹に、演奏は順調に進み、いつの間にか最後の曲に移っていた。

 晴れやかなメロディの曲だった。これまでの演目はチャイコフスキーとショスタコーヴィチで重々しかった。戦車の行軍を見送って肩がこった後に自転車レースを見学する気分で、すっかり心地よくなった。

 なぎさはペンを握り、アンケートの余白に『最後の曲がよかった!』と記入した。音符マークもつけ加える。暗がりの中、パンフレットをめくれば、新垣流太(りゅうた)……日本人作曲家の手による交響曲らしい。

 そのとき、はっきり思い出した。江藤(えとう)流太。年度の初めに転校してきて、次の学年に上がる前にまた転校していった、一年間だけクラスメートだった男の子。

 オーケストラがアンコールに応え、終演後のざわめきがホールを満たす。

 隣の男が席を立った。

 金髪に近い頭を見失わないよう、なぎさもあわてて後を追う。タイダイ染めのロングスカートが座席にこすれて静電気でまとわりついた。

 「江藤くん」

 ホールからロビーに出たところで、男が足を止めた。

 「江藤くんだよね」

 名前が出てくれば、思い出をたぐるのは難しくない。

 二人で日直を務めたこと。

 クラスの全員を招いたなぎさの誕生会に来てくれなかったこと。今から思えば、また転校することが決まっていたから遠慮したのかもしれない。でも、「友達百人計画」を遂行中だった幼いなぎさは残念な思いをしたのだ。

 「突然声かけてごめんね。今こっちに住んでるの?

 二十年ぶりだから、憶えてないかな? 私、臼井なぎさ。ほら、第二小で一緒だった」

 男の目には疑問符も感嘆符も浮かばない。

 反応の薄さに、もしや他人の空似かな、と不安になる。江藤くんではないのだろうか。

 男はなぎさの手の中の二つ折りの紙に目をやり、静かに言った。

「アンケート、熱心に書いてたね」

 こちらのことなど気にしていないようで、実はしっかり見られていたようだ。なぎさはおずおずと答える。

「すばらしい指揮だったから」

「あのさ」

 男が何か言いかけた。そのとき、ダークスーツの男性が近寄ってきた。

「流太さん、お花ですけど、配送の手配しておきましょうか」

 やっぱり江藤くんだ、となぎさは嬉しくなる。感情をあらわにしないクールなところも変わっていない。

「お願いします」

 流太が答えると、スーツの男性は承知しました、と言って階下へ向かった。コンサートの運営スタッフのようだ。

 わずかな違和感が胸に残る。ロビーに飾られた花の香りを吸い込み、訊ねた。

「江藤くん、今、何やってるの?」

「ごめん。その名前で呼ばれたのが久々すぎて、動揺してた。新垣美波の弟やってる」

「え?」

「親の再婚で、苗字変わったんだ」

「ええ?」

 何でもない声で言う流太に、なぎさは戸惑った。

 美波と流太が姉弟、ということは――。

 

2013年9月女性による、女性のための
エロティックな恋愛小説レーベルフルール{fleur}創刊

一徹さんを創刊イメージキャラクターとして、ルージュとブルーの2ラインで展開。大人の女性を満足させる、エロティックで読後感の良いエンターテインメント恋愛小説を提供します。

9月13日創刊 電子版も同時発売
  • 欲ばりな首すじ
  • 艶蜜花サーカス
  • やがて恋を知る
  • ふったらどしゃぶり