少女が好き過ぎる30代男のある意味幸せな末路とは!? 田山花袋『少女病』|連載第1回

エロ

2015/5/30

 栄えある(?)「愛おしき変態本の世界」第1回作品に選ばれたのは、田山花袋の『少女病』という短編だ。田山花袋をよく知っている人はそれほど多くないと思うので、まずはプロフィールから紹介しよう。

たやま・かたい 1871年(明治4年。これは旧暦で新暦では1872年)、群馬県(当時は栃木県)邑楽郡館林町出身。1886年、一家をあげて上京。漢詩や漢文を投稿するようになり、1891年尾崎紅葉に入門。作家として作品を発表し始め、後に國木田獨歩や島崎藤村らと交流するようになる。1899年、博文館編集局に入社、仕事の合間に執筆活動を行う。1904年には日露戦争で従軍記者を務めた。1907年、代表作『蒲団』を発表。1930年(昭和5年)死去。

 田山は「自然主義」の作家として知られるが、フランスから輸入された自然主義文学を「現実を赤裸々に描写するもの」という意味に変えてしまったのが、明治40年に発表した『蒲団』だ(私小説の始まりの作品とも言われる)。弟子として家に下宿させていた女学生に恋をした30代の男(作家・妻子あり)が「俺は師匠だから」と気持ちを押し殺して我慢していると、女学生に彼氏ができてしまう。怒ったおっさんは郷里の父親を呼びつけ、女学生を破門にして田舎へ帰らせる。しかしいなくなると恋しさのあまり「くっそー、抱いときゃよかった! おっさんの俺はもう終わりだよ!」と女学生が寝ていたふとんやパジャマの残り香をスーハースーハーしながら涙する…この衝撃のラストは、発表時にセンセーションを巻き起こしたそうだが、当時は姦通罪があり、自由恋愛もできない時代なので当然のことだろう。そして作品のモデルは自分自身、女学生も彼氏にもモデルがいたというから驚くばかりだ。今だとプライバシーの問題から裁判沙汰になる可能性もあるだろう。それにしても「そういうオチだったのか!」と思ってしまうタイトルだ。

 今回紹介する『少女病』はその問題作『蒲団』の数カ月前に発表した短編だ。もちろんこれもモデルは自分自身。もともと作家だったが、今は出版社で働くおっさんが主人公、ということからもこれは田山なんだろうなぁとわかる。ホント、♪ありの~ままの~(ちょっとネタが古いですが)と歌いたくなるくらい大胆な作家だ!

 『少女病』の主人公の名は杉田古城。猫背で獅子鼻、反っ歯で色が浅黒く、頬ヒゲが顔の半分を覆った、ちょっと恐ろしいようなむさ苦しい見た目の37歳だ。見た目とは裏腹に文学者であり、少女小説を書いていた若い頃には喝采された作品もあったが、現在は雑誌社に勤務。既婚者で、25、6歳の妻、4歳くらいの男の子と6歳くらいの女の子がいる。杉田は毎朝千駄ケ谷駅から甲武鉄道(現在の中央線・総武線)に乗り、神田錦町の雑誌社まで通勤しているのだが、通勤電車で見かけた少女たちに対し、あれこれと妄想をつのらせるのが大好きなのだ。

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 込合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今迄にも既に幾度となく其の嬉しさを経験した。柔かい衣服が触る。得ならぬ香水のかおりがする。温かい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪の匂いと謂うものは、一種の烈しい望を男に起させるもので、それが何とも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。
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 自分お気に入りの美少女はどこから電車に乗るのかを記憶し、毎日決まった電車に乗る杉田。そしてひとりの時にはその姿を思い出して楽しむのだが、褒めるところのないブスには異様に冷たい!(ヒドい)

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 かれの知り居る限りに於ては、此処から、少くとも三人の少女(おとめ)が乗るのが例だ。けれど今日は、何うしたのか、時刻が後れたのか早いのか、見知って居る三人の一人だも乗らぬ。その代りに、それは不器量な、二目とは見られぬような若い女が乗った。この男は若い女なら、大抵な醜い顔にも、眼が好いとか、鼻が好いとか、色が白いとか、襟首が美しいとか、膝の肥り具合が好いとか、何かしらの美を発見して、それを見て楽しむのであるが、今乗った女は、さがしても、発見されるような美は一ヵ所も持って居らなかった。反歯、ちぢれ毛、色黒、見た丈でも不愉快なのが、いきなりかれの隣に来て座を取った。
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 そして会社で美文を書こうものなら「杉田君はそんないかつい見た目だけど、少女好きだからね!」と揶揄され、友人たちには「あいつはほら…オナニーしすぎて変になったんだ。一種の病気だよ」(当時、自慰行為はしてはいけないものとされていた)と噂される。しかし杉田はそんなことには構わない。そして思う。俺はどうして若い頃に少女と熱烈な恋をしなかったんだろう! くんくんニオイを嗅がなかったんだろう! ああっ、俺はもう37のおっさんじゃないか! 少女と恋なんてできない! そんな俺は死んだほうがいいんだ! あ、でも妻子はどうする?…そんなことはどうでもいい。少女を抱きたい! 抱いたら、この濁った血が新しくなるのに!(本当に重度の少女病だ…)

 そんな思いが募った帰り道、御茶ノ水駅から乗った満員電車で、杉田はもう一度逢いたいと願っていた美人令嬢(令嬢かどうかはもちろん杉田の妄想)に遭遇する。乗り合わせた黒い色の服を着たおっさんたちを「カラス」に例え、美少女はその群れに取り巻かれた「鳩」だ、と賞賛する杉田。そしてこんな美少女がいつか結婚するなんて許せん、その日を呪ってやる、と杉田は興奮状態に!

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 美しい眼、美しい手、美しい髪、何うして俗悪な此の世の中に、こんな綺麗な娘(こ)が居るかとすぐ思った。誰の妻君になるのだろう、誰の腕に巻かれるのであろうと思うと、堪らなく口惜しく情けなくなって、其結婚の日は何時だか知らぬが、其日は呪うべき日だと思った。白い襟首、黒い髪、鶯茶のリボン、白魚のような綺麗な指、宝石入の金の指環―乗客が混合って居るのと硝子越になって居るのとを都合の好いことにして、かれは心ゆくまで其の美しい姿に魂を打込んで了(しま)った。
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 乗車する際に無理して車掌のいるところへ割り込み、扉の外に立って(現在の電車とは構造が違う。「甲武鉄道」で検索をかけると、どんな電車だったのかがわかる)真鍮の丸棒を掴んで乗っていた杉田はガラスの向こう側にいる美少女を凝視し続ける。しかし車内はどんどん混んでくる。そして市ヶ谷駅を出発した電車のスピードが上がった時、少女に見とれていた杉田は人に押されて電車から落ちてしまう!

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 ピーと発車の笛が鳴って、車台が一二間ほど出て、急にまた其速力が早められた時、何うした機会(はずみ)か、少くとも横に居た乗客の二三が中心を失って倒れ懸(かか)ってきた為めでもあろうが、令嬢の美に恍惚(うっとり)として居たかれの手が真鍮の棒から離れたと同時に、其の大きな体は見事に筋斗(とんぼ)がえりを打って、何の事はない大きな毬のように、ころころと線路の下に転り落ちた。危ないと車掌が絶叫したのも遅し早し、下りの電車が運悪く地を撼(うご)かして遣って来たので、忽(たちま)ち其の黒い大きい一塊物は、あなやと言う間に、三四間ずるずると引摺られて、紅い血が一線長くレールを染めた。
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 この後、小説は非常警笛が鳴るシーンで終わる。美少女に見とれていて電車から落ち、運悪くやって来た反対側の電車にあっという間に轢かれて死んだ杉田。果たして彼は幸せだったのだろうか? 思うに、年を取れば取るほど少女と関係することは難しくなり、その存在は一層遠いものとなる。そしてもしかしたら実の娘に手を出す、という危険も未然に防いだのかもしれない。少女病を患う杉田が美少女に見とれたことが原因で轢死したことは、ある意味幸福な末路であったのかもしれない。

 自然主義の作家である田山は、毎日の通勤電車でこんな妄想をしていたのだろうか? 田山は『露骨なる描写』という著作で「自分は只々自然の一事実の痛切に各人の精神に響いて来るより他更に何等の脚色(しくみ)をも思想をも見出さぬのである」と記している。ありのまま書いてますよ、と言う田山。小説というのは読み手の想像に委ねられるものだが、果たしてその真相は?

 明治~大正に活躍した田山には、日露戦争の時代を背景にした青年の挫折と不遇な人生を描いた『田舎教師』や、戦場で兵士が死にゆく様を描いた『一兵卒』といった小説、また名文と評される紀行文などもある。群馬県人ならほぼ100%が知っているという「上毛かるた」では「ほ」の札で「誇る文豪 田山花袋」として登場しているが、一般的に注目されることが少ないのはとても残念なことだ。田山花袋、これを機に読んでみてはどうだろう。

 次回「第2回」では日本初のノーベル文学賞受賞者・川端康成の作品を紹介します!

文=成田全(ナリタタモツ)

【参考図書】
『私小説名作選 上』(中村光夫:選 日本ペンクラブ:編/講談社)
この他にも全集や単行本、電子書籍などがある。漢字など表記が違う場合もあるが、記事ではこの本を参考とした。