火に焼かれる娘さえ見殺しにする壮絶な“創作欲”―芥川龍之介『地獄変』| 連載第6回

2015/7/25

「愛おしき変態本」第6回は、日本一有名な文学賞である「芥川賞」にその名を残す、大正時代に活躍した芥川龍之介の『地獄変』をお送りする。

あくたがわ・りゅうのすけ 1892年(明治25年)東京市京橋区入船町(現在の東京都中央区明石町)出身。辰年辰月辰日に生まれたことから「龍之介」と名付けられる(さらに辰の時刻だったという説もある)。1914年東京帝国大学在学中、菊池寛らと『新思潮』(第3次)を刊行、処女小説『老年』を発表し、1916年『鼻』が夏目漱石によって激賞される。帝大卒業後に海軍機関学校で英語教師を務め、1918年に大阪毎日新聞社の社友となり、本格的な作家活動に入る。主な作品に『羅生門』『芋粥』『蜘蛛の糸』『藪の中』『侏儒の言葉』『河童』『歯車』『或阿呆の一生』など。1927年(昭和2年)7月24日、田端の自宅で致死量の薬物(何の薬物だったかについては諸説あり)を飲み自殺。

 芥川の初期の作品は古典文学を下敷きにしたものが多く、平安時代などを舞台にしていることから「王朝物」と呼ばれていて、『羅生門』『鼻』『芋粥』などは『今昔物語集』から話が取られている。また日本のみならず、中国の古典からは『杜子春』、キリシタンものから『奉教人の死』などが生まれている。『地獄変』は鎌倉時代に成立した『宇治拾遺物語』をベースにした作品だが、いくつかの話が組み合わされ、筋や結末も変えられており、内容はオリジナルになっている。

『地獄変』の舞台は平安時代。登場人物である絵師の良秀は、50歳過ぎで背が低く、骨と皮だけのガリガリなのに、唇だけが獣のように気持ち悪いくらい真っ赤で、容姿や立ち居振舞いが猿に似ているため「猿秀」などと揶揄されている男だ。しかもケチで愛想が悪く、恥知らずで怠け者なのに、強欲、横柄、傲慢と性格も最悪なのだが、絵だけは天才で、描き始めると狐憑きに遭ったように部屋にこもり、寝食も忘れるほど没頭するという。その腕は大殿様からも一目置かれるほどで、「本朝第一の絵師」を自認している。

 そんな変態の塊みたいな良秀だが、実の娘のことはとても可愛がっており(親とは似ても似つかないほど愛嬌があり、思いやりもある)、もし娘に言い寄るヤツがいたらゴロツキを雇って襲わせかねない、というほどの偏愛ぶりなのだ。その娘、縁あって大殿様邸で働いているのだが、良秀は絵の褒美をくれるという大殿様に「じゃあ娘を返してくれ」と暴言を吐くなど、身分の違いなんてどこ吹く風な傍若無人っぷりなのだ。

 そしてなんとも恐ろしい題名『地獄変』の由来だが、これは良秀が描いた屏風絵のことを指している。大殿様から描くように命じられたものなのだが、これが普通の地獄絵とは構図も描かれる内容も違い、一面に紅蓮の炎が渦巻き、偉い人からホームレスまであらゆる身分の人が描かれているという。中でも明らかに他と違うのが…。

 が、その中でも殊に一つ目立って凄じく見えるのは、まるで獣の牙のような刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者が累々と、五体を貫かれておりましたが)中空から落ちて来る一輛の牛車でございましょう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾(すだれ)の中には、女御、更衣にもまがうばかり、綺羅びやかに装った女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白い頸(うなじ)を反らせながら、悶え苦しんでおりますが、その女房の姿と申し、又燃えしきっている牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせないものはございません。云わば広い画面の恐ろしさが、この一人の人物に輳(あつま)っているとでも申しましょうか。これを見るものの耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝わって来るかと疑う程、入神(にゅうしん)の出来映えでございました。

 見たものしか描けないという良秀はこの地獄絵を描くため、道端の腐乱死体をじっくり見てスケッチする、地獄の夢を見る、弟子を裸にして鎖で縛り上げる、フクロウに弟子を襲わせるといったムチャクチャなことをやるのだが、それだけでは足りず、どうしても描けないものがある、と大殿様にお願いをしに行く。それがこの「中空から燃えながら落ちてくる牛車」であり、その中には火に焼かれて悶え苦しむ女性がいて、この絵に感じる恐怖はその部分に集まっているといっても過言ではないほど凄まじい部分だ。良秀は大殿様に、目の前で牛車を燃やして欲しい、そして出来るならば…と恐ろしいお願いをする。

「どうか檳榔毛(びろうげ)の車(※上流階級の人が用いた牛車の一種)を一輛、私の見ている前で、火をかけて頂きとうございまする。そうしてもし出来まするならば――」
 大殿様は御顔を暗くなすったと思うと、突然けたたましく御笑いになりました。そうしてその御笑い声に息をつまらせながら、仰有いますには、
「おお、万事その方が申す通りに致して遣わそう。出来る出来ぬの詮議は無益の沙汰じゃ」
 私はその御言を伺いますと、虫の知らせか、何となく凄じい気が致しました。実際又大殿様の御容子も、御口の端には白く泡がたまっておりますし、御眉のあたりにはびくびくと電(いなずま)が走っておりますし、まるで良秀のもの狂いに御染みなすったのかと思う程、唯ならなかったのでございます。それがちょいと言(ことば)を御切りになると、すぐ又何かが爆ぜたような勢いで、止め度なく喉を鳴らして御笑いになりながら、
「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上臈(じょうろう ※身分の高い女官)の装をさせて乗せて遣わそう。炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が、悶え死をする――それを描こうと思いついたのは、流石に天下第一の絵師じゃ。褒めてとらす。おお、褒めてとらすぞ」

 この狂気めいたやりとりの後日、燃やすための牛車が用意される。良秀が頼んだ通り、中には女性が縛られて乗っているが、大殿様は「罪人の妻だから大丈夫。女が燃えるのをよーく見て、手本にしろよ!」と言って、中を見せてやるよう指示する。松明に照らされた中を良秀が見ると…それはなんと自分の娘! 大殿様はこの娘を妾にしようとしたのだが、娘が言うことを聞かなかったこと、そして生きた人が乗る牛車に火を放ったところを見たいという傲慢な良秀の性根を叩き直すため、こんなむごい仕打ちをしたのだ。良秀は驚いて走り寄ろうとするが、すぐに火が放たれて牛車は激しく燃え上がり、娘は炎に包まれてしまう! ホント、昔の権力者って残酷…。

良秀のその時の顔つきは、今でも私は忘れません。思わず知らず車の方へ駆け寄ろうとしたあの男は、火が燃え上ると同時に、足を止めて、やはり手をさし伸した儘、食い入るばかりの眼つきをして、車をつつむ焔煙を吸いつけられたように眺めておりましたが、満身に浴びた火の光で、皺だらけな醜い顔は、髭の先までもよく見えます。が、その大きく見開いた眼の中と云い、引き歪めた脣のあたりと云い、或は又絶えず引き攣っている頬の肉の震えと云い、良秀の心に交々往来する恐れと悲しみと驚きとは、歴々と顔に描かれました。首を刎(は)ねられる前の盗人でも、乃至は十王の庁へ引き出された、十逆五悪の罪人でも、ああまで苦しそうな顔を致しますまい。
(中略)
 その火の柱を前にして、凝り固まったように立っている良秀は、――何と云う不思議な事でございましょう。あのさっきまで地獄の責苦に悩んでいたような良秀は、今は云いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしっかり胸に組んで、佇んでいるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ有様が映っていないようなのでございます。唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――そう云う景色に見えました。

 ところが父として娘を思って苦しい気持ちになったのも束の間、自分が描こうとする題材の美しさに恍惚となり、燃え盛る炎にじっと見とれる絵師・良秀…。その約1カ月後、ついに地獄絵を描き上げて大殿様に見せに行くのだが、完成した翌日の夜、良秀は首を吊って死んでしまう。自らが極めようとする美のためなら、実の娘が焼け死ぬところも描く。しかし芸術という憑き物が落ちた良秀は、生きる目的を失ってしまった。その姿は「唯ぼんやりとした不安」を感じ、35歳の若さで自殺した芥川の姿に重なるものがある。

 文藝春秋を創刊し、作家・ジャーナリスト・実業家として活躍した菊池寛は、一高時代からの付き合いだった芥川の葬儀で「友よ安らかに眠れ」と弔辞を述べ、芥川の死から8年後の1935年、友の名を冠した「芥川龍之介賞」を創設した。先日『火花』で第153回芥川賞を受賞した又吉直樹が、芥川が受賞を聞いたらどんな言葉をかけてくれるか、という質問に「芥川は僕みたいな髪型の奴は嫌いだと思います。ベートーベンの髪型をよく思っていなかったみたいで、それがすごく印象深い」と答えていたが、その記述は芥川の遺稿である『歯車』という作品にある。

僕は往来を歩きながら、いろいろの飾り窓を覗いて行った。或額縁屋の飾り窓はベエトオヴェンの肖像画を掲げていた。それは髪を逆立てた天才そのものらしい肖像画だった。僕はこのベエトオヴェンを滑稽に感ぜずにはいられなかった。………

「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」という一文で終わる、死の影に支配された『歯車』には芥川の悲痛な叫びがあり、ぜひ読んでもらいたい作品だ。

 ちなみに第153回芥川賞受賞作の『火花』と、羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』が掲載される『文藝春秋9月号』は、芥川が死去した際に刊行された昭和2年9月号『文藝春秋 芥川龍之介追悼號』の復刻版が付録となる「特装版」が限定発売される。芥川龍之介の遺稿3本と、菊池寛、谷崎潤一郎、山本有三による追悼エッセイなども掲載されているので、興味のある人は『地獄変』と一緒に読んでみて欲しい。

 次回「第7回」は、1951年に『壁』で第25回芥川賞を受賞し、ノーベル文学賞候補と言われた安部公房の作品を紹介します。

文=成田全(ナリタタモツ)

【著者プロフィール】
成田全(ナリタタモツ)
1971年生まれ。イベント制作、雑誌編集者、漫画編集者などを経てフリーとなり、インタビューや書評を中心に執筆。文学・自然科学・音楽・美術・地理・歴史・食・映画・テレビ・芸能など幅広い分野を横断した知識や小ネタを脳内に蓄積し続けながら、それらを小出しにして日々の糧を得ている。現在は出身地である埼玉県について鋭意研究中。