夏目漱石『吾輩は猫である』あらすじ紹介。猫の目から見た人間のおかしさ

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/12

『吾輩は猫である(角川文庫)』(夏目漱石/KADOKAWA)

 物語の語り手は、珍野(ちんの)家で飼われている雄猫。彼に名前はなく、自分のことを吾輩と呼んでいる。生まれてすぐに捨てられた吾輩は、生きるために迷走しているうちに珍野家にたどり着く。家主である中学の英語教師、珍野苦沙弥(くしゃみ)は変人で、胃が弱く、ノイローゼ気味で、なにかと苦労が絶えない(漱石自身がモデルとされる)。

 隣宅の雌猫、三毛子に吾輩は恋焦がれていたが、恋が実る前に彼女は風邪をこじらせて死んでしまう。この失恋は吾輩にとって大きな経験となる。その後も珍野家で暮らしながらさまざまな人間と出会う中で、彼は人間や物事を注意深く観察し、哲学するようになる。脚を4本もっているのに2本しか使わない贅沢さ。誰のものでもない地球を分割して勝手に所有地だと主張するおかしさ。伸ばしておけばいいのに髪をわざわざ整える不思議さ。猫の視点から見た人間は、実に変な生き物だ。

 苦沙弥の元教え子2人の結婚が決まり、珍野家では内祝いが行われた。吾輩は胃を弱らせた苦沙弥の晩年を思い、死が万物の定めならば、自殺とは賢い行為なのかもしれないなどと考えていた。悟りに浸っていた吾輩は人間が飲み残したビールを舐めて酔い、水瓶に落ちてしまう。もがいても爪を立てても水瓶からは脱出できない。吾輩は抵抗をやめ、自然に身を任せることにした。「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る」。彼は水の中に沈んでいった。

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文=K(稲)