『働くおっぱい』第2回「性職者の友人」/紗倉まな

エンタメ

更新日:2018/11/20

「一定のリズムで刻まれる喘ぎ声を聞くと、安心して眠くなる」のだそうだ。

 クラシック音楽ではあるまいし、そんな滑稽なことってあるの? とついつい首を傾げたくなるものの、口の周りに付着した精子を丁寧に拭き取り、私の顔面を新しく作り直しながら、メイクさんはいつもそんなことを口にする。

「盛んな喘ぎ声=撮影が順調に進んでいる証拠。うんうん、一安心。のんびり待ちますか」こんな感じ? 対して、現場が静かだと……。「あれ、なにかトラブルでも? 気になって扉をうっすらと開けてみる(そして“察して”扉を閉める)」うむ、こんな感じなのだろうか。まぁ人には其々、いろんな大きさ・形の物差しがあって、測る角度も異なりますからね…… って、それ、完全なる“職業病”じゃないですか。

 少しずつ「普通の基準」が世間とずれていくことへ底知れぬ恐怖を抱くと同時に、“アダルト現場の攻略法”を見つけなくては仕事を長く続けられない、そんな「性産業の宿命」の一端を見てしまったような気さえしたのであります。まぁかく言う私も、アダルト水にどっぷり浸かってしまったので(水位めっちゃ高い)、ちゃんとヤベェ奴なんだろうなぁ。自覚は十二分にあります。

 アダルトコンテンツを利用する人は男性が圧倒的に多いけれど、アダルトコンテンツを作る側には意外にも女性が多いということを、皆様はご存知でしょうか。女優さんは勿論のこと、現場制作のADさん、そしてメイクさんも年々女性率が高くなってきていて、AV村にも花のような匂いが毎年新たに吹き込んできているのです。(あ、男性だっていい匂いですよ……とものすごい勢いで補足します)。

 私はノーフレンド・イエスライフで生きてきたのですが、長年仲良くしてもらっている唯一の人がいるのです。それが、ヘアメイクのユリちゃん。

 私の場合、AVは月に一本というペースでリリースしており、一本につき、撮影拘束日数は一日~二日。故に、ユリちゃんとは月一という頻度で会うので、その一か月のうちに起きた面白い話を互いにシェアします。

“読書倶楽部”というのも作っていて(会員は一向に増えていない)、お気に入りの本を貸し借りしたり(そしてこれを書きながら、浅田次郎さんの本をまだユリちゃんに返していないことを思い出した。来月こそ返すぞ)、菅田将暉さんの横顔の美しさや中条あやみちゃんのフェイスは国宝級だという話で何度も盛り上がったりする。

 駄菓子を貪りながら、AV村で起きた新しい色恋沙汰や珍事件(ん?チン事件?)を共有するのは、楽しくて仕方がない。

 そんなユリちゃんの凄いところは、私の土偶のような顔に命を吹き込んでくれる“顔面作成力”だけではなく、一児(小学生の娘さん)の母でありながら、二十年近くこの業界で働いていることだ。

 結婚と出産。二大イベントなのか。二大恐怖なのか。二大幸福なのか。未経験の私にはとっては、未来はおろか、一生訪れることのない無縁な催しなのかもしれない。

 それでも、「出産と結婚」というのは、一度のみならず、何度でも――心が陽気な日や冷えつく夜でも容赦なく、頭に靄のように厄介に纏わりついてきては、ふと考えさせられてしまうのであります。

 朝早くに職場に行き、深夜に帰宅する。不規則な上に長い労働を繰り返す中で、一つの家庭を守り切れる人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。酷なことにも、どこかでほろほろと崩れ落ちていくものだってあるのではないだろうか。忙しい生活の中で、愛を深めたり、互いに慈しみ合う余力も時間も、優しい言葉を掛け合う気力も、なんなら、腹の中で命を飼い、そして産み、更には子供を育てながらも変わらず仕事に励むことは、本当に可能なのだろうか。

 一人身で生きていてもこんなにやることが山積みで大変なのに、今後、さらに幸せな厄介事が増えて心はキャリーオーバーにならないのだろうか……。なんて、まぁ、これも「未熟者の考え」と一喝されればそれまでですが、とはいえそんな拙い疑問はもろとも、ユリちゃんの実在によって完全に否定されてしまうのである。

 なぜならユリちゃんは、私が懸念しているような状況も乗り越え、現在もバリバリと不規則且つ長時間の現場を数多くこなし、家族と仕事、両方への愛にいつも満ち溢れているからだ。

 最初に書いたような職業病が加速して、卑猥なチャンネエ&チャンニイになってしまう人を私は何人も見てきた。「すみません、中出しって明日何連ちゃんでしたっけ?」とタクシーの中で平然と、監督と電話をしているマネージャーみたいな人たちである。麻痺である。ヤベェのである。隣で思わずせき込んで「中出し」という言葉を消そうとする。「中出し……」「ゴホっ!」もう手遅れだった。中出しは言いきられてしまった。しかしなぜ。なぜ。なぜ躊躇しないの。教えてプリーズ。ほらほら、運転手さんが動揺して信号を間違えたじゃないの。……あぁ、東京タワーは綺麗だなぁ(車窓越しの景色でどうにか自分の心を和ませる術)。

 長い間おなじことを繰り返していくと、心がどこか擦れていく。心の擦れの原因は、“慣れ”だ。この村ではさらに、性を酷使することに直面し続けて、どうしても普通と異常の線引きが緩くなってしまうことも、心の荒みに加えられてしまう。郷に入っては郷に従えの末路は、性への抵抗がなくなる反面で、性への清らかな執着を失うという側面があるのかもしれない。それが「日常」にまで流れ込んできたら、危ない。どこにも戻れなくなってしまう。しかしながら不思議なことに、長い間おなじことを繰り返していても、心が擦れない人もいるのだ。ユリちゃんみたいに。この違いとはいったい、なんなのだろうか。

 一度プライベートでユリちゃんと遊びに行ったとき、いつもとは違う佇まいに、私は大きなときめきを含めて驚いた。

 メイクをして、仕事場ではいつも結いていた髪を肩におろし、帽子をかぶって、綺麗なワンピースを着ているユリちゃん。現場での話は一切せず、これから一緒に観に行くライブの話で盛り上がるユリちゃん。女性を見てキュンっとするのは、こういうことなのかな。現場では付けていない結婚指輪が、とても眩しかった。

 当たり前だけど、仕事と普段は違うのだ。仕事も普段も、どこか一緒になってきてしまっていた自分が狼狽える。仕事のときの自分と普段のときの自分が溶けあい始めて、ついには重なり、境界線がどこにあったのかさえ見失う。

 そこで、なんとなく思ったことがある。

 心の擦れを濃くしているのは、もしかして「切り替えられていない」からなのだろうか、と。

 どこにいても、何をしていても、思考や行動も、どこか仕事が軸になってきてしまっている。シールみたいにペタっと貼り付いていたそれを、一度思いっきり剥がしてみたら、やけにすっきりとした。少しヒリヒリと痛んで、剥がして大丈夫なのかと心配になったけど。

 仕事の邪を具現化したようなこんなスマホも、家に帰ったらもういらないのさ、と飛行機モーーーーーーーード。連絡の物理的遮断。敬礼。以上。

 もう何が起きても知らねえ。知ったこっちゃねえ。強気なまま、布団の上に、ぽいっと投げ捨てる。とまぁ、まずは露骨なほどの、形から始める切り替え法を試してみる。

 明日の現場への気張った心構えや憂鬱さも、急に薄く平べったくなり、「その意気だぞ」と自分で自分の肩を叩いてみれば、これでいいんだと悠長な構え。明日のことは明日。今日のことは今日。仕事のことを考えない。家にいるときは巻き込まない。忘れる。それだけで、なんて気持ちが楽なんだろう。これくらいのラフさが、生きる上で丁度いいのかもしれない。

 同じ場所で長く働いて、それでいて清らかに、美しく気持ちを切り変えられるのは凄い技だな、と純粋に思った。心にまでメイクができるだなんて、すごい。それも華麗に。鮮やかに。的確に。希望の星を、発見してしまった。なりたい人を、見つけてしまった。とりあえず、ユリちゃんに本を返すことだけは忘れないようにしないとな。

バナーイラスト=スケラッコ

執筆者プロフィール
さくら・まな●1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。著書に瀬々敬久監督により映画化された初小説『最低。』、『凹凸』、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』、スタイルブック『MANA』がある。

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