HOMEMADE家族・KURO処女作『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』/第2話

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公開日:2019/4/3

 ヒップホップグループ「HOME MADE 家族」のメンバー、KUROさんが「サミュエル・サトシ」の名で小説家デビュー! ダ・ヴィンチニュースでは、その処女作となる『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』を40回にわたり全文公開します!

 本作は、マイケル・ジャクソンになりきってパフォーマンスをするエンターテイナー(インパーソネーター)を題材に、KUROさんが取材を重ねて書き上げた渾身のフィクション。この小説のモデルになった人物は、マイケル・ジャクソン本人に「Excellent!」と言わしめた程のクオリティを誇っていた。だが、突き詰めれば突き詰めるほど次第に評価は“自分”にはなく、“マイケル”であるという動かしがたい事実が立ちはだかり、似せれば似せるほど、あくまでも「模倣品」とされ、その狭間で彼は苦しむことになる。マイケルに夢中になることで得た沢山の仲間と心を通わせ合いながらも、すれ違いや悲しい別れなど、主人公を取り巻く環境は激しく変化していく。自己とは? 芸術とは? 友情とは何なのか? そして2009年6月25日、絶対的な存在であったマイケルの死を迎え、インパーソネーターが最後に導き出した答えとは……

第2回

 埼玉県所沢市は埼玉県南西部にある人口約34万人の施工時特例市である。日本で初めて飛行場が建設された地で、かつて飛行場があった場所には所沢航空記念公園が作られている。

 東京のベッドタウンとして人口が急増している反面、江戸時代に行われた開拓により農地が広範囲に広がり、南部には宮崎駿監督作品の映画『となりのトトロ』の舞台にもなった狭山丘陵があり、豊かな自然にも恵まれている。

 後のインパーソネーターである“彼”こと尾藤一斗(びとう・いっと)は、世界が2つのキング、喜劇王チャップリンとロックンロールのキングことエルヴィス・プレスリーを失った年、1977年5月13日に尾藤家の長男としてこの地に生を受けた。5つ上に姉の舞子。父はサラリーマンで母はカラオケの先生というちょっと変わった一般家庭に育つ。

 両親は低出生体重児で生まれてしばらく保育器に入っていた彼に、せめて一斗缶を軽々と持ち上げるほど力強い男になって欲しいと願い、一斗と名付けた。しかし親の期待も虚しく、彼は家に引きこもりがちな無口で内気な少年時代を過ごす。友達と呼べる友達もいなく、遊び場はいつも空想の世界だった。

#OFF THE WALL

 航空公園駅東口の外観には巨大な掛け時計がある。

 よく見ると針がプロペラの形をしていて、時間を指し示す角度によって飛行機が主翼を広げて空を飛んでいるように見える。だが、妄想は時計台から飛躍して、時空すら飛び越える。

 1955年11月12日夜。雷雨で荒れるヒルバレー。デロリアンに乗ったマーティーが1985年のドクを助けるため、タイムトラベルの時間を10分前にずらしてスタートラインで待機している。

 ドクは時計台の上で外れたケーブルを元に戻そうと一人格闘している。

 数分後に時計台に落ちることになっている落雷を避雷針で掴まえ、道路まで張った電線にデロリアン後部に設置したフック付きポールを接触させ、雷の電流を直接、次元転移装置に流し込むためだ。

 この稲妻作戦を逃したらマーティーは未来に帰れなくなってしまう。

 不朽の名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の手に汗握るクライマックスだ。

 夜10時4分。時刻通りに時計台に稲妻が落ちる。高圧電流がケーブルを伝わる。だがコードはまだブラブラと揺れてつながっていない。ドクが意を決して地上に飛び降りて外れたケーブルとケーブルをつなげようとする。そこへ未来に向けてデロリアンが時速88マイルで通過する。

「頑張れ! ドク!!!!」

 気がつくと僕は自分でもびっくりするほど大きな声をあげていた。

 ハッと我に返ればそこはいつもの通学路。駅から歩いていつの間にか茶畑まで来ていた。中学生の女の子たちが「バカじゃないの」と言ってクスクスと笑って通り過ぎていく。

 またやっちまった。この所沢がヒルバレーなわけがないのに。

 昔からいつもそうだ。自分の世界に入ったらまわりが見えなくなる。しかもあんな大きな声を張り上げたところを目撃されて女の子たちに笑われた。情けない。何ら代わり映えもしない日常と景色。見慣れた茶畑が忌々しく感じられた。

「ただいま」
「……」

 僕の声が小さいのか、反応がない。リビングから母の朗々とした歌声だけが聴こえてくる。きっと今日もカラオケのレッスンだ。学校のカバンを適当に廊下に置いて、昨日食べかけたまま冷蔵庫に残してあったケンタッキーのチキンでもつまみに行く。

「あら、おかえり〜」

 おかえりの「り〜」が、まだレッスン曲のメロディを引きずっていてちょっとイラっとする。

「一斗、お母さん、今日このあとレッスンだから、夕飯は舞子と適当に食べてちょうだいね」
「うん」

 レッスンの日の母は、少しだけ楽しそうだ。仕事とはいえ好きな音楽に携われるのは、心がウキウキするものなのだろう。

 それにしても夕飯ぐらい作り置きしてくれたっていいのに。レッスンとなるといつも他のことがおろそかになる。

 僕が一つのものに熱中し過ぎてしまう性格は母親譲りだ。母は旧姓鈴木と言って、母方の祖先には世界文化遺産である法隆寺の金堂壁画を模写したことで知られる鈴木空如という人物がいるらしい。

 その人は法隆寺に数十回出向き、金堂外陣の土壁に描かれた十二面の壁画を独力で模写したそうだ。当時のことを思えば、かなりの変わり者である。

 ただなんとなくだけど、その気持ちも解らないでもない。

 その後、法隆寺が火災で損傷した際、それまで忘れ去られていた空如の過去の業績が再建するときの重要な参考資料となったそうだ。

 僕がなぜこれだけ詳しくなったかと言えば、空如の特集がたまたまテレビでやっていて母から直接解説してもらったからだ。ウソかホントか分からないが、尾藤家の誇れる唯一の伝説だ。

「こら! 夕飯前にそんなの食べて! またお腹壊すわよ!」

 僕は母の声を無視してケンタッキーのチキンを口に頬ばりながら、自分の部屋にさっさと戻った。

「一斗! ご飯!」

 階下から姉の舞子の甲高い声が聞こえてきた。もうそんな時間か。僕の声は小さい上に尻すぼみで、何を言っているのか聞こえないとよく叱られるが、姉の声は対照的に大きくてよく通る。

 階段の真ん中はきしきしと音が軋むので、外側を意識して降りていく。リビングを覗くとソファーで新聞を読んでいる父がいた。僕が来たのにこちらを向こうともしない。いつの間に帰ってきたのか、無口なだけじゃなく物音も立てずにいるからときどき焦る。

「ご飯は自分でよそって〜。お父さんはもう食べたから」

 もうご飯も食べたんだ。この人は忍びか。

「お母さん、今日は生徒たちとご飯食べてくるって」

 そう言って姉は僕のおかずをてきぱきと食卓に並べていく。実は母が作る料理よりも姉が作るありあわせのものが好きな自分がいる。今日はほうれん草の胡麻和えとサバの味噌煮と豚汁だ。胃腸が弱い僕のことをよく分かっている。

 尾藤家では食事中、テレビは基本的につけっぱなしだ。母と姉はよく喋るけど、僕と父がいるときは間が持たないからだ。テレビは観る以外にも静けさを誤摩化すという役割もある。ソファーにいる父は依然として新聞に顔を埋めたままテレビを観る様子はない。

「いただきますぐらい言ったら?」
「あ、いただきます」

 姉がそう言うとテーブルにある済んだ食器をさっさと洗い場へ持っていった。てきぱきというか、せっかちというか。

 そのときだった。

 テレビの方が騒がしいのでふと目をやると、尋常じゃない数のお客さんを前にド派手な照明のなかで衣装をまとった一人の人間の姿が目にとまった。

「マイケル・%&#! デインジャラスコンサート! %&#$@!!」

 なんだ、あれ。

「んん?? ちょちょ、聞こえない! お姉ちゃんリモコンどこ!?」

 僕は急いでテレビのボリュームをあげた。

「マイケル・ジャクソン! デインジャラスコンサート! ライブ・イン・ブカレスト! NHK BS2にて初オンエア!」

 ブカレストってどこの国だっけ。そもそもデインジャラスって。デンジャラスじゃなくて? さすがNHKだな。

 そんなことよりもなんだ、この熱狂は。会場を埋め尽くすおびただしい数の人。立っているだけであんなに失神者が出るものなのか。

 それはマイケル・ジャクソンが4年ぶりに発表したニューアルバム『デンジャラス』のワールドツアーの模様を近々NHK BS2で放送するという内容のCMだった。

 たった15秒程度の予告編。

 そのなかで僕は『今夜はビート・イット』で赤いレザージャケットと黒のパンツを穿いて四股立ちで左右にジャンプするマイケルのキレキレの動きに釘付けとなった。

 後になって分かったが、それは拍数で言うとわずか二小節の振り付けだった。ダンサーで言うところのワンエイト。ワン・ツー・スリー・フォー・ファイブ・シックス・セブン・エイトで二小節だ。しかしそのたった二小節が、僕の心を激しく揺さぶった。

 まるで時計台に雷が落ちるように、その瞬間、頭のてっぺんからつま先にかけて高圧電流が走った。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は時刻通りだったが、こっちは予告なしの落雷だった。

「お姉ちゃん」
「ん? 何!? 何言っているのか聞こえない!」

 僕は箸を持ったまま呆然として言った。

「うち、BS2入ってないよね?」

第3回に続く

サミュエルVOICE
マイケル・ジャクソンもケンタッキーフライドチキンが好きだったのは有名な話。来日するときは楽屋にケンタッキーを用意するのが第一条件だったそう。一斗の姉が舞子(マイコー)で声が甲高いのは、お察しの通り。実際のモデルは5歳上にお兄さんがいらっしゃいます。