腐敗が進み「ステージ5」の患者は人権を失う…/『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』②

小説・エッセイ

2019/6/22

『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ』(折輝真透/集英社)※第4回ジャンプホラー小説大賞、初の金賞受賞作!

 フィッツジェラルドに憧れるフツメンの大学生・藤堂は、文芸部でラッパーの松尾先輩、モデルでイケメンの白石、元ラグビー部の水口と一緒にゾンビを見に行った先で襲われ、“ゾンビウィルス”に感染してしまう。内臓から少しずつゾンビ化し始めた藤堂は、医者のすすめで入った自助グループ「ゾンビの会」で、足を切断した少女・星宮と出会い、どちらかが「ステージ5」のゾンビになったら殺す約束をしてしまう。そのうち藤堂は自分も「ステージ5」が近いのを知り、最後の青春を謳歌しようと決意。その過程でバンギャみたいな女子大生・江波と知り合い、彼女も文芸部の部室にたむろするようになるが、とある失敗で皆がバラバラに……。

 なにかに夢中になれず、固い絆で結ばれた友達はおらず、彼氏も彼女もほしくない…でも、どこか居場所がほしいと願う人たちに捧ぐポップでせつない青春ゾンビ物語。

 

「体内に侵入したTLCウイルスは白血球を変異させる。この変異型白血球がゾンビ化を進行させていくんだ」

 診察室で、白衣を着た医師は僕と母さんに説明してくれた。

 TLC(=Transform Leukocyte into Curse)ウイルスの素となったものは、アメリカのイリノイ州にある研究所で作られた、悪性腫瘍を破壊するために白血球を改造する新型ファージだった。

 試験管の中の成功を経て、実際に悪性腫瘍を患った犬に注射したところ、その新型ファージ自体が変異しちゃってTLCウイルスとなり、白血球を改悪させてしまった。

 この変異型白血球によってゾンビ化した犬が逃げ出し、全世界がゾンビの危機に陥ったのが、今から五年ほど前のこと。

 危機はすぐに収束した。ワクチンの開発に成功したのだ。

 しかし、蚊の媒介などによって、世界はまだまだTLCウイルスの危険を完全に排除することはできていない。そのため、各国は公共放送などを通し、全人類にワクチン接種を促している。

 こんな経緯があって、各国の国立病院には専門センターが置かれるようになった。このセンター内で医療サービスを提供するのが、ワクチンを開発し、ゾンビ関連の治療及び処理・回収を一挙に引き受けるIRZ(=International Recovering Zombies corporation)だ。ゾンビ市場を独占しているという批判もあるけど、株価は右肩上がり中。

 ここ、品川にある国立病院にも、IRZが入っている。

「TLCウイルスに対する免疫力は、ワクチンの接種によって獲得できる。免疫を持たない感染者には、抗体を投与しウイルスを直接分解する。さっき、君が接種したのは抗体だね、藤堂翔くん。君の身体にはもう、TLCウイルスはない」

「じゃあ、もう治ったんですよね、先生」

 母さんがすがるように身を乗り出すと、医師は浮かない顔で淡々と続ける。

「あらかじめワクチンを打っておかないと、TLCウイルスによる白血球の改造を防ぐことはできません。翔くんの身体には、すでにTLCウイルスによって変異してしまった変異型白血球があります。これは通常の白血球とは異なり、体細胞分裂により独立して増えていく。寄生虫のようなものです。変異型白血球は宿主の身体を蝕み、やがては宿主自体を食い潰してしまう。この過程で見られる症状が腐敗によく似ているから、ゾンビ化と呼ばれている──真の問題は、この変異型白血球にあるんです」

 ちなみにこの変異型白血球、実はID細胞なんて名前がついている。僕の担当医がそう呼ばないのは、それが一体、誰が名付けたものかもわからない俗称だからだ。

「じゃあ、その変異型白血球を元に戻せばいいんですね? 投薬によって元の形に直すのでしょうか。……それとも、手術で取り除く、ということですか?」

「残念ながら、その両者とも現代医学ではできません。翔くんの身体は、これからだんだんと腐り始めていく。それを多少遅らせることはできても、止める術はありません」

「そうですか……」

 母さんが視線を落とすと、医師は僕のほうへ視線を流してきた。僕の反応を待っているようだ。

「……まあ、人はいつか死にますし、早いか遅いかの問題ですよね」

 僕が肩をすくめてみせると、医師はしばらく僕を見据えてから、

「腐敗の度合いによって、ステージが割り当てられている。末期がステージ5。これは大脳皮質の八割を腐らせた状態──変異型白血球に食い荒らされた状態を言う。理性を司る大脳皮質を失った時、すなわち翔くんがステージ5に足を踏み入れた時、君は君を失う。そしてステージ5の患者は人間ではなくゾンビとして扱われ、その人権も剥奪される」

「水口が殺人罪に問われていないのも?」

「君の友人が殺したのは、ゾンビであって人間ではなかった。人の形をしているだけで、変異型白血球の集合体と言ったほうが正しい。殺しても、まだちょっと、動いていただろう? あれは変異型白血球の仕業だ。変異型白血球は神経系にも影響を及ぼすと言われている。映画は正しい。脳みそを破壊しないと、ゾンビは動き続ける」

 酷く事務的な口調の医師だったけど、最後に哀れみを込めて言う。

「闘病するか、どうするか……いずれにしろ、君の選択を私は尊重するよ」

 説明が終わり、僕は診察室を出た。変異型白血球って、何回言われたんだろ……。

 追いかけるように廊下に出てきた母さんは、医師に頭を下げてからドアを閉め、僕を抱きしめてきた。

「ごめんね、翔」

 母さんは泣いていた。まあ、母の手一つで育てた息子が、これから悲惨な運命を辿ることが確定したのだから、涙を流すのも無理はないよね。

 ただ、ここは病院で、看護師さんや患者が行き交っている。向こうではお見舞い客の夫婦がなにやら言い争っているし、母さんの手には安楽死のパンフレットが握られている。

「母さん、わかったから」

 僕がその肩をぽんぽんと叩くと、母さんは「ごめんね」と言って身体を離した。

 もうわかっていると思うけどさ、この時の僕は、自分がゾンビになったという実感がまるでなかった。だって、ほら、まだ見た目も中身もなにも変わってなかったじゃん?

 ああ、僕にとって、医師の話はただの他人事だったね。

 

 

 星宮美也(ほしみやみや)ちゃんに会ったのは、それから二日後のことだった。

 精密検査のために数日間の入院を余儀なくされた僕は、これからゾンビとして生きるため、いや、ゾンビとして死ぬ自分と向き合うために、〈ゾンビの会〉という自助グループへの参加を義務付けられた。IRZの定めた闘病プログラムの一環だね。

 多目的ルームで行われた〈ゾンビの会〉は、その参加者のほとんどが年上だった。車椅子比率が高いのは、腐敗した両脚を切り落としてしまったから。中にはもう、緑色に膿んだ眼帯をはめてる人もいたね。やべーとこ来ちゃったなって感じ。

 いや、べつに僕は外見で人を判断するような人間じゃないよ? 自助グループに対してだって、これといった偏見も持っていない。

 でも、この〈ゾンビの会〉は少しだけ異質なんだ。

 それは臭い。

 参加者は皆、自らの腐敗臭を隠すために強烈なミント臭を纏っていた。あまりの冷涼感に、〈ゾンビの会〉が終わって数時間は嗅覚が麻痺したまんまだったね。

 会合は〈マーチング・ウィズ・ゾンビーズ〉と呼ばれる人権保護を謳った映像を皆で観ることから始まった。ほら、ゾンビという病気に対する差別をなくそうっていう、動画サイトの広告でも流れるあれだよ。最後に髭を蓄えた太った知識人がさ、

〈現代人は、なにかを求めて彷徨い続けている。我々はみな、生まれながらにしてゾンビであると言えるだろう〉

 とか言って、エンドロールと一緒に、ファンシーなアニメキャラのゾンビと人が手を取り合って歩く姿が流れるやつ。

 先輩はいつも爆笑してたよね。僕は頑張って笑いをこらえたよ。

 映像を観終わると、照明が戻り、女性司会者がマイクを取った。

 ちなみに、この女性司会者、すなわちゾンビ患者の心理サポートを担当するIRZ職員のことは、名前を伏せて〈Aさん〉と呼ばせてもらう。いや、ネットで検索すればわかっちゃうけどさ、理由は後々書いていくから、ちょっと待ってね。

「今日は新しい仲間が加わりました。藤堂翔くんです。ほら、藤堂くん、挨拶挨拶」

 笑顔のAさんに言われるがまま、僕は皆の前に立ち、特に面白味のない自己紹介をして席に戻った。続いて参加者たちが名前やウイルス感染した経緯を話していき、そして車椅子に乗った少女に順番が回ってきた。

「星宮美也です。十五歳です」

 女子中学生。三つ編みのおさげを小さな胸へと垂らして、丸い縁のメガネをかけている辺り、ポイント高かったね。文学少女って感じでさ。ぼんやりした表情をしていながら、黒い瞳はパッチリしていて、やぼったくないクリーム色のセーターに身を包む彼女は、意外と可愛かった。

 そしてなにより、彼女の視線──なんていうかさ、僕を見つめて離さないんだ。あ、僕に恋しちゃったなって直感したね。

「藤堂さんは刺殺がいいですか? 絞殺? 薬殺にも、私、対応しています」

 直感って役に立たないんだね。

「あ、はーい。美也ちゃん、自己紹介ありがとねー」

 Aさんにマイクを取り上げられた美也ちゃんは、僕に向かって「おまえを見ているぞ、藤堂翔」なんていうジェスチャーを送ってきた。人差し指と中指で自分の瞳を指し、それを僕に向けてくるあれだよ。

 彼女のスカートからは脚が伸びていなかった。すでに付け根から切断しているみたいでさ、脳みそもかなりのとこまでいっちゃってるんだと、僕は目を逸らした。

 

「へー、やったじゃん。メンヘラだよ、メンヘラ。『小悪魔はなぜモテる!?(イージーA)』だな」

 読者モデルのバイトまでの暇つぶしにと病室にやって来た白石は、鏡を見ながら髪の毛を弄っていた。僕の親戚のおばさんが持ってきてくれたブドウを勝手に食べてるけど、白石から漂う甘い匂いは整髪料のもの。イケメンってこういうところから違うんだよね。先輩がもう少し強くバットで殴ってくれていたらよかったのに。

「……相手は中学生だぞ。エマといえばロバーツだし、そもそも犯罪じゃん。おまえに譲る」

 白石は「ないない」と手を振る。

「バイトの先輩が言ってた。メンヘラとは愛の闇金融。押しつけた愛に高利をふっかけ、包丁片手に取り立てにくる。あいつらが愛しているのは、他の誰でもない自分自身なんだよ。さすがの俺も、メンヘラだけは無理だな」

 ……えっ、最高かよ‼

 金はないけど愛は有り余る僕にとって、メンヘラとかただの天使じゃん‼

「それに俺、ハーマイオニー派な」

 とか言う白石は速攻で追い出したよね。

 

 そうそう、その前に言っとかないといけないことがあった。

 僕は小説が大好きだ。たぶん、先輩よりもこの愛は深い。小説に書かれた人生をかき集めていれば、きっと人生が豊かなものになると信じていたくらいだからね。

 でも、インクの香る文学青年です、なんてことはひた隠しにしてきた。

 だって小説だよ? 読んでるなんてダサいじゃん。書いてるんじゃねって思われたらもっと最悪。本なんて今じゃもう誰も読まないからインテリ気取りもできないし、じめっぽいイメージつけられたら呼吸も止まっちゃう。

 だから僕は中・高とバスケットボールに明け暮れるスポーツ少年で通していた。ハブられたくなかったし、人並に恋とかしてみたかったからさ。皆にいい顔をしながら、陰キャと陽キャの懸け橋としての役割を果たし、自分の立ち位置を誤魔化していた。

 ああ、窮屈だった。レット・イット・ゴーしたかった。

 大学に入ったら、ありのままの自分で行こう。

 ……うん、まあ、文芸部入らなければよかったなっていうのは、時々思うよ。頑張ってリア充グループにしがみつくべきだったかなって、そんな後悔もしている。小説なんてくその役にも立たないんだって、むしろ怒りが湧いたよね。

 そんな僕が、人生で初めて、小説読んでいてよかったーって思ったのがこの瞬間。お見舞いに来た白石に帰ってもらって、病院内の廊下を鼻息荒くして歩いているこの瞬間ね。

 だって、ほら、美也ちゃんも結構本とか読んでそうだから。

 

 美也ちゃんは院内の自動販売機前で車椅子に腰かけながら必死に腕を伸ばしていた。看護師さんも忙しいみたいで、誰も美也ちゃんには気付いていなかった。

 女子中学生でもキラドキッ‼ なんて自惚れていた僕だったけど、実際に美也ちゃんを目の前にしたら色々悟ったね。ああ、ロリコンも才能なんだなってわかった。健気なその姿がさ、僕には妹にしか見えなかったんだ。

 僕が代わりにコーンスープのボタンを押してあげると、美也ちゃんはちょっと驚いたように見上げてきた。子猫みたいに、じーっとね。

「……あれ、違った?」

「いえ、ちょうど藤堂さんに奢ってあげようかなと思っていたので。これでおしるこ買ってもらえますか?」

 さすがの僕も、美也ちゃんの差し出してきた百三十円は断ったよね。

 僕らは中庭に場所を移した。

 夕陽を浴びながら、美也ちゃんはおしるこをすすって顔を上げる。

「腐敗症状には個人差があるんです。ID細胞のDNAは人それぞれですからね。真っ先に大脳皮質を腐敗させていけば、ステージ1から飛び級なんてこともあるんです」

「美也ちゃんは?」

「私はステージ3ですね。腐敗部位の摘出を必要とする状態です」

 美也ちゃんは下腹部を見下ろした。スカートの中で上下に動くのは、付け根部分から切り取られた両脚だ。

「ステージ4になると、重要部位の摘出を必要とします。腎臓や肝臓、心臓などですね」

「へぇ。そうやってステージ5にいかないよう、やんわり死んでもらおうって作戦か」

「安楽死を選ばず完全なるゾンビになったら、専門の焼却施設で焼いてしまうんです。骨もあんまり残らないそうですよ」

 ちょうど白い服を着た作業員が病院から出てきて、IRZと書かれた車に荷物を載せていった。宇宙服みたいなその背中にもIRZと書かれている。特殊衛生処理班の人たちだ。新しいゾンビ発生の通報があったみたい。新米だろう作業員が丸められた遺体袋を落とし、くるくる広がる遺体袋に上司らしき人が叱責を飛ばした。

「求人サイトに載ってました。あの仕事」

 美也ちゃんは目を細めながら、

「誰かに通報されるのだけはご免です」

 特殊衛生処理のバイトは日給一万二千円~。研修でワクチン接種してくれるから、それ目当ての人も多いってさ。

 

 IRZの公式HPには、ゾンビと鉢合わせた際の安全な判断・行動を説明する動画がある。

 埼玉県での先輩の行動を思い出す限り、おそらく先輩も一度は目にしたのだと思う。特殊衛生処理班の到着を待つという適切な判断ができていたからね。

 美也ちゃんの病室。僕はピンク色のケースに収められた美也ちゃんのスマホで、IRZが作ったゾンビ処理の説明動画を見ていた。画面の中では8ビットの特殊衛生処理班の男が、同じく8ビットのゾンビにテーザー銃(スタンガンの飛び道具版ね)を撃っている。

〈これでゾンビはジ・エンド〉と、ナレーション。〈だが、IRZの誇る特殊衛生処理班の仕事はこれで終わらない。ゾンビを遺体袋に入れ、持ち帰ると──うぅ、ゾンビの体液がまだ残っているじゃないか。目に見えない変異型白血球が、この汚物の中に数えきれないほど存在している。う〜、気持ち悪い……。そこで活躍するのが、タンクを背負ったこの男。彼が散布している液体がR4と呼ばれる消毒液だ。研究チームの努力の結晶さ。このR4には変異型白血球を溶解する作用があり──〉

「藤堂さんはもう、安楽死の申請はしましたか?」

「いや」僕はIRZの動画を眺めながら、「美也ちゃんは?」

「考えていないわけではありません。ほら、見てください。ゾンビの死因の実に九十八パーセントが安楽死を含めた自殺なんですよ」

 美也ちゃんが広げているのは、安楽死のパンフレット。覚えてるかな。僕の母さんが握っていたやつだよ。法務省のHPにPDFデータがあるから、気になったら見てみて。その三ページ目にゾンビの九十八パーセントは自ら死を選ぶって書いてあるから。

「残る二パーセントはなんだと思いますか?」

「……不慮の事故など」注釈は小さくて読みにくいんだ。「自らの意思とはかけ離れた──」

「要は他殺です」

「──予期せぬ死……」

 会話のペースを完全に掴んだ美也ちゃんは、したり顔で言う。

「統計を取っているのはIRZです。私たちゾンビ患者の味方になるには、テーザー銃を撃ちまくっている事実を誤魔化す必要があります。だから、予期せぬ死。私たちにとって」「脳みそバーストされたくなければ、大人しく安楽死しろってこと?」

「もっとも、安楽死に使われるルコシーもまた、IRZの開発したゾンビ患者専用の薬品ですけどね。実質、ゾンビってほとんど全員、IRZに殺されているんです」

 美也ちゃんから渡された安楽死のパンフレットをめくってみる。

 ルコシーとは消毒液R4に改良を加えた薬品で、血液細胞を溶解させる効果があるらしい。危険薬品だから取り違えないように赤く着色されているとのこと。そのため、同時に使用される麻酔薬は青色に着色されているそうだ。赤と青の混合色である紫が、ゾンビ患者の警戒心を解く色なのだと書かれている。……つまりは病院側の都合ってわけか。

「私は生きたい。最後まで、この病気と闘いたい。死ぬのなら人間として死にたい。ゾンビとは無関係の死を──IRZの関わらない死を迎えたい」

 美也ちゃんの言葉には質量があった。車椅子生活を送る彼女には、すでに自分の辿る運命の末路が見えていたのかもしれない。

「藤堂さんも、そう思いませんか?」

 ここで振ってくるかと、正直、うろたえたよね。僕はまだ白血球が変異しただけのステージ1だ。変異型白血球──ID細胞による身体への影響が出ていない状態。

 とりあえず、「ああ、そうだね」と答えたら、美也ちゃんは満足したように頷いた。

「藤堂さんが完全なるゾンビになったら、私、藤堂さんを殺してあげます。刺殺がいいですか? 絞殺? 薬殺にも、私、対応していますよ」

 たぶん、その台詞は練習していたんだろうな……。

「銃殺は?」

「銃を手に入れられるんですか?」

「……わかった。薬殺で。苦しまないので頼むよ」

 美也ちゃんは意気揚々に「任せてください」と小さな胸の前で拳を握りしめ、

「では、私は扼殺で。薬じゃないほうです。思いっきり苦しむのでお願いします」

「…………え、僕も美也ちゃんを殺すことになってるの?」

「当然です。自分だけ得をする契約なんて、そんなの詐欺じゃないですか」

「でも美也ちゃん、もう脚ないじゃん。これじゃ、僕が……」

「さっき言ったじゃないですか。飛び級があるって。ちゃんと聞いていてください」

 美也ちゃんには、誰かを殺す気なんて最初からなかった。

 

 その夜、僕は美也ちゃんに頼まれ、彼女を病室から連れ出した。

 エレベーターは六階までしか続いていなかったから、その先は彼女を背中におぶって階段を上がっていった。脚がないからか、美也ちゃんは想像以上に軽かった。

「藤堂さんは、明日、自宅療養に移るんですよね」

「いや、退院するんだ」

 耳元で囁いてくる美也ちゃんは、「ああ、そうですか」と簡単に流した。

「ゾンビ狩りには気をつけてくださいね」

「ゾンビ狩り?」

「去年、コロラド州で起きた虐殺をご存じないんですか?」

 僕の記憶力に、美也ちゃんは最初から期待していなかった。

「地元の自警団が国立病院を不法占拠し、入院していたゾンビ患者を虐殺した事件です。ステージ5のゾンビではなく、まだ人権が認められていた患者が大量に殺された。ゾンビを忌み嫌っていたり、あるいは恐怖にかられて殺そうとしてくる人たちがいるんです。中には、ただの娯楽として殺す人もいる」

「僕がゾンビだなんてわからないでしょ」

「いずれミントの香水をつけ始めれば、一発でわかってしまいますよ」

 僕は軽く笑って受け流したよ。だって、まだ香水つけてないからね。

 屋上には満天の星が広がっていた。病院の近くに入り組む運河が、潮の香りを夜風にのせて運んでいる。……いや、まあ、本当は泥臭いけど、そんなこと言ったらそもそも僕の鼻は美也ちゃんのミント臭で麻痺しているわけじゃん? 演出演出。

 用意していたロウソクに火をつけ、美也ちゃんは手元を照らし出し、ポケットからカッターナイフを取り出した。彼女は無表情のまま、ジジジ、と刃を出す。美也ちゃんの背後で揺れるシーツに、ロウソクの灯りで大きくなった彼女の影が投影された。そのまま切りかかってくるんじゃないかって、僕はちょっと距離を置いていたね。

「TLCウイルスのCは呪いのCです。呪いには呪いで立ち向かいましょう。……聞いてますか、藤堂さん? というか、もうちょっとこっち来てください」

 言われるがままに近寄ると、美也ちゃんは手を差し伸べてきた。僕が伸ばした手を美也ちゃんはがしっと握り、その手のひらをカッターナイフで切りつけてくる。躊躇なく他人の手を切れるやつってそうはいないけどさ、目の前の美也ちゃんはその一人だった。

 だらりと血を垂らすお互いの手で、僕らは握手を交わした。

「血の契約。これで私たちは互いに裏切れません。もし裏切れば……」

「……裏切れば?」

「こうです」

 美也ちゃんはカッターナイフで自分の首を切りつけるジェスチャーを見せつけてきた。

 

<第3回に続く>