退院の日。/『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』③

小説・エッセイ

2019/6/23

『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ』(折輝真透/集英社)※第4回ジャンプホラー小説大賞、初の金賞受賞作!

 フィッツジェラルドに憧れるフツメンの大学生・藤堂は、文芸部でラッパーの松尾先輩、モデルでイケメンの白石、元ラグビー部の水口と一緒にゾンビを見に行った先で襲われ、“ゾンビウィルス”に感染してしまう。内臓から少しずつゾンビ化し始めた藤堂は、医者のすすめで入った自助グループ「ゾンビの会」で、足を切断した少女・星宮と出会い、どちらかが「ステージ5」のゾンビになったら殺す約束をしてしまう。そのうち藤堂は自分も「ステージ5」が近いのを知り、最後の青春を謳歌しようと決意。その過程でバンギャみたいな女子大生・江波と知り合い、彼女も文芸部の部室にたむろするようになるが、とある失敗で皆がバラバラに……。

 なにかに夢中になれず、固い絆で結ばれた友達はおらず、彼氏も彼女もほしくない…でも、どこか居場所がほしいと願う人たちに捧ぐポップでせつない青春ゾンビ物語。

 

 退院の日。

 

 荷物をまとめた後、僕は母さんと一緒に担当医に挨拶へ向かった。いつもの診察室で出迎えた白衣の彼は、僕に二つのことを約束させた。

 一つ、〈ゾンビの会〉には絶対に参加すること。

 二つ、いつでも安楽死できることを忘れないこと。

 これでもかってくらいに頭を下げる母さんが恥ずかしくってさ、僕は外で待っていると言い、先に診察室を出ることにした。

 たぶん、先輩はこう思っていると思う。あー、これ、美也ちゃん看取るお涙頂戴の感動ストーリーだって。よく旬の女優使って実写映画化されるあれだろって。

 正直なところ、僕もさ、美也ちゃんと手を繋つないで鍵盤の上を跳ねるシーンとか思いついてたよ。真実を書いていくと宣言しておく、なんてカッコよく前置きしてたけど、先輩との約束なんて破ったところで痛くないしね。でも、美也ちゃん脚ないじゃん? 僕、ゾンビじゃん?

 だから次に、江波奈美(えなみなみ)さん──エナさんが出てくる。先輩とはほとんど接点ないけどさ、文芸部部室に少しだけ居座っていた女性がいたでしょ? あの人だ。彼女が部室に来た理由は、まあ、白石や水口と同じく、持て余したモラトリアムのせいだっていうのは、先輩もよく知っているよね。

 母さんが戻ってくるまで待合所で時間を潰そうと思っていた僕はさ、中庭で虐められている美也ちゃんの姿を見つけてしまったんだ。

 車椅子に乗っている美也ちゃんは、肩を掴まれ乱暴に揺さぶられていた。背中を丸めてアームサポートを掴みながら必死に耐えている美也ちゃんの姿を見ていたらさ、浦島太郎で亀が虐められてるシーンが思い浮かんだよね。

 虐めているのは少年たちではなく、一人の女性。

 前髪ぱっつんの黒髪に、赤いメッシュを入れた彼女は、どこで売っているんだろうと不思議に思うほどグロテスクな模様のパーカーを羽織っていた。黒のミニスカートに黒のニーソックス。首にはチョーカー。もちろん黒。

 彼女の左手首には包帯が巻かれていた。ご丁寧に、赤い血が滲んでいる。

 そうだよ、先輩。彼女がエナさんだ。

 美也ちゃんには申し訳なかったけど、僕は母さんを呼びに診察室へ戻ろうとしたね。

 でもさ、エナさんの姿に、僕はあの埼玉の廃病院を訪れる、その二時間ほど前の出来事を思い出していたんだ。

 

 あの日、もうすでに日が暮れた後の文芸部部室に集まった僕、白石、水口の前に、先輩は一枚のハンカチを見せつけたよね。そこに刻まれた〈HARUNA〉という刺繍に、僕らは鼻の下を伸ばしていた。

「女子更衣室に置かれた陽沢春奈(ひざわはるな)のバッグから盗んでもらったものだ。そんだけで五千円だぞ、五千円。なんか俺があいつのこと好きみたいな感じに思われたし。そう考えるとだ、どんな匂いがするのかは気になるところだよな。……誰から聞けばいい?」

 僕らは全力で春奈ちゃんのハンカチを奪い合った。

 ハンカチは僕らを嘲笑うように三つの手からすり抜け、悪戯な風にのって部室の窓から外へと飛んでいった。

 落胆する僕らに、先輩は「んじゃ、ゾンビでも見に行く?」と言ったけどさ、あの時、僕らが誰一人としてハンカチを拾いに行かなかったのは、べつにハンカチが行方不明になったわけじゃなかったんだ。

 あろうことか、ちょうど部室棟の外を歩いていたエナさんの足下にハンカチは舞い下りた。

 彼女はそれを拾い上げ、僕らを見上げて鼻で笑い、ポケットにしまってそのまま歩き去っていった。

 そんなわけで、僕は美也ちゃんを助けるために中庭へ侵攻した。ついでにハンカチを返してもらおうとね。

「返してよ、私の薬‼」

「嫌です‼ 私が処方されたんです‼ 最初から、あなたのじゃありません‼」

 エナさんは美也ちゃんから薬をひったくろうとしていた。

 いや、まあ、この時の僕はエナさんの名前を知らなかったよ。ただ、人として腐っていることはすぐにわかった。

 美也ちゃんが僕に気付くと、エナさんも「むっ」とわざわざ鼻を鳴らしてこっちに顔を向け、「あっ」と目を丸くした。

 ここに来て、しまったと気付いたね。女子のハンカチを奪い合っていたなんて美也ちゃんに知られたくなかったからさ。彼女の前では常にジェントルマンでいたかったんだ。

 でも、もう、後戻りできないじゃん?

「僕らを虐めるのはやめてください」落ち着いた口調で僕は言う。「人権団体に訴えますよ」

「いいわ。私は公正取引委員会に訴えるから。皆の薬を独占してるんだもん」

「これは私のです」

 美也ちゃんは胸に抱いたお薬袋をギュッと守った。

 エナさんは「どうしてよ」と美也ちゃんを揺さぶる。

「この前まで、いらないからあげるって言ってたじゃん。自分の言葉には責任持って」

「今はいるんです」

 後から聞いた話だけど、美也ちゃんは僕と血の契約を交わす前まで、安楽死の審査をしていたらしい。後から聞いたばっかだな、おまえ、って言いたい気持ちはわかるけどさ、まあ、あまり気にしない気にしない。

 ふと、エナさんが手を止める。騒ぎに気付いた看護師が何事かと院内から顔を覗かせていた。

「勝手にすれば。どうせ死ぬんだから。足掻いても惨みじめになるだけよ」

 エナさんは僕らに背を向け、すたすたと歩きだした。

 僕は美也ちゃんと顔を合わせてから、エナさんを走って追いかけた。

「すみません。この前、ハンカチ拾いませんでした?」

「ああ、これ?」

 エナさんが取り出したハンカチには〈HARUNA〉という刺繍が施されている。

「よかったぁ。それ、友達のなんです。飲み会で忘れていったみたいで、ずっと探してた。……っていうか、あれからずっと持ってたんですね」

「届けようと思ったけど、学校行く機会なかったからね。私、忙しいし」

「じゃあ、代わりに届けときますよ」

 せわしないビジネスマンみたいに足を止めることなく、エナさんはハンカチを持ったほうとは反対の手を差し出してきた。

「なんですか、その手」

「星宮と同じ薬貰ってるんでしょ?」

「こっちは死ぬんですよ?」

「皆、常に死と隣り合わせなの。メメント・モリ。ラテン語よ。わかる?」

 僕は仕方なくポケットからお薬袋を取り出した。

 エナさんは僕からひったくったお薬袋の中身を覗き込み、ここで初めて足を止めて落胆の息を吐いた。

「痛み止めは?」

「……まだステージ1なので、必要ないんじゃないんですか?」

 エナさんに投げ返されたお薬袋を、僕は慌ててキャッチした。

 

 べつにつきまとうつもりはなかったよ。でも、僕には春奈ちゃんのハンカチを手に入れるという重要なミッションがあったんだ。

 気がつくと、僕は遊歩道を歩きながらエナさんに春奈ちゃんのことを話していた。

 そうそう。先輩も僕と春奈ちゃんとの出会いを知らなかったね。

 まあ、出会いというほどの出会いはしていなかったんだけどさ、エナさんにも話したことだし、先輩にも話しておくよ。

 春奈ちゃんと初めて言葉を交わしたのは、大学に入学したての頃。僕が学食で一人寂しく昼食を摂っていた時のことだ。「ここ、いい?」という声に顔を上げた僕に、笑いかけてきたのが春奈ちゃんだった。

 当時の彼女はまだ友達がいなくて、悲惨な学生生活に片足を突っ込んでいる最中だった。

 でも、わざわざ僕の正面に座らなくてもいいじゃん? 空いている席は他にもたくさんあったんだからさ。もしかしてぼっちな同族を探しているのかななんて期待したけど、彼女は喋りすぎた。

「サークルなに入るか決めた?」「履修登録、ネットでできればいいのにね」「前期は何科目履修してる?」「私は結構、奮発しちゃった」

 僕はテキトーに返答し、食べたらすぐに席を立って次の講義へと向かった。女子と話すことには慣れていたけど、僕は顔面偏差値を学力偏差値が上回るメン。見知らぬ女子が話しかけてくるなんて、宗教とかマルチ商法の勧誘以外にあり得ないじゃん?

 その後、春奈ちゃんはダンス部に入部し、一発逆転、充実したキャンパスライフをエンジョイし始めた。僕とは遠い世界の住人になったのだ。

「え、一回しか話してないじゃん。それって、好きって言うの?」

 先輩も抱いているだろう疑問を、エナさんは口にした。

 足休めに、僕らは近くのカフェテリアに入っていた。チェーン店が嫌だというエナさんの我儘で、やっとのこと商店街に見つけたものだ。テラス席に座ったんだけど、向かいの肉屋から油の臭いが届いてさ、コーヒーを飲むには適していなかったね。

 僕は肩をすくめてみせた。

「そんなのどうだっていいじゃないですか。ハンカチ返してくださいよ」

 エナさんはアイスカフェラテをストローですすってから、左手首の包帯を解いた。生々しい傷痕が並んでいたね。目を逸らそうとした僕だったけどさ、エナさんはわざわざリストカット痕を一つずつ指さしていくんだ。

「これが良吾。広告代理店に勤めているんだって。実際はフリーターだったけどね。これが隼人と、バンドマン。これが隆二で、これが直樹。皆、今、どうしてるんだろう」

 くそどうでもいい話だったけど、彼女は春奈ちゃんのハンカチを持っているわけじゃん?「……タトゥー的なあれですか? 恋人の名前を入れる」

「どうだろう。最初はそうかもだったけど、今はもうなんていうか、惰性? 一区切りつける感じ。いつまでも昔の関係に縛られたくはないから、私。前に進めないでしょ?」

「過去に囚われてはいけない。勉強になります」

「あっ、ニワカと一緒にしないでね。これをつける時はちゃんと死のうとしてるから」

 それだと前には進めないのでは、と思った僕だったけど、エナさんはテーブルに肘をつき、手のひらに顎あごを乗せてため息をついた。

「寂しくなると死にたくなるでしょ? でも、死ぬ時は誰だって一人じゃん。これ、人類最大の難題だと思うんだよねー。どうにかならないかなって、私ずっと考えてる」

「集団自殺に参加すればいいじゃないですか。ネットで仲間募って」

「全く面識のないやつと一緒に死んで、それで慰められる程度の孤独とか、笑えるわ」

 僕はとりあえず愛想笑いを浮かべたよ。納得するように、深く頷いてみせてね。

「藤堂は死ぬんでしょ? いつ?」

「ゾンビの腐敗には個人差があるんです。ID細胞のDNAは人それぞれだから」

 エナさんは春奈ちゃんのハンカチを振ってきた。ちょっとだけ、いい匂いがしたね。

「一緒に死んでくれるんだったら、これ、あげてもいいよ」

 ひょんなことからモテキ到来。

 女子中学生には殺してと言われ、女子大生には一緒に死のうと言われるんだからさ。

 まあ、僕は本気にしていなかったけどね。

 だって、僕自身、誰かを殺すつもりも、自分から死ぬつもりもなかったんだから。