“無戸籍”の女が生んだ“無戸籍”の男の子。5歳で捨てられたその運命とは/『忌まわ昔』“人妻、死にて後に、本(もと)の形となりて旧夫に会ひし語”④

文芸・カルチャー

更新日:2019/7/10

 平安の世から令和の今に、遠く忌まわしき話の数々が甦る。「今は昔」で始まり、「となむ語り伝へたるとや」で終わる「今昔物語集」。これを下敷きに、人間に巣くう欲望の闇を実際の事件・出来事を題材に岩井志麻子が語り直す。時代が変わっても人間の愚かさは変わらない――。収録された10篇の中から、壮絶な人生を送った女の話を5回連載で紹介します。

『忌まわ昔』(岩井志麻子/KADOKAWA)

 この女はいつの間に、そういう綿密な計画や用意周到な犯罪が行える知識や実行力を身につけていったんだろう。必死に学んだのではなく、生き抜いていくうちに自然と備わったのかもしれない。

 しかし本人の物心がつかないうちのあれこれに罪はないとしても、大人になった後は死刑になってもおかしくないことを自覚的にやらかしてしまっている、あの女は。

 警察は妻となっている女を容疑者と断定して指名手配しようとしたが、これまた戸籍と別人なのがわかる。スナックの雇われママと、戸籍上の女はまったくの別人。

 戸籍の女と近しい親族を探し当て、スナックのママの髪の毛などでDNA鑑定をしたら、血縁関係はいっさいなし。とりあえず、この名前を名乗っている女として指名手配をした頃、女はどこか遠くに逃亡していた。

 色仕掛けでヒッチハイクだ。いろんな男と車を乗り継いで、ひたすら遠くに遠くに逃げた。女の母親が生まれ育った某国の途方もない大地に比べりゃ、狭い島国で。

 そうして女は、いつの間にか男の子を産んで連れていた。どの男の子どもなのか、本人にもわからなかったんだろう。

 結婚するつもりがあったから産んだのか、気がついたら堕胎できない時期になってただけか。いずれにしても、男の子を産んだ。

 その子を連れたままある地方都市で、長く連れ添うことになり、最期を看取ってもらう男とついに出会った。

 この男とも、ただそのときを生き延びるために利用しようとしただけなのか、意外と相性がよくて長続きしたのか、それとも互いに本気で惚れたのか。

 ちらっとでも、捨ててきた息子のことは考えたのか。

 そのときはもう、身分証明書もすべて捨てていたし、別名を名乗っていた。演歌歌手みたいな、といつもみんなにいわれる名前だった。覚えてないけど。

 嫌な気分になるけど、死体を放置して逃げたとはいえ、三十年も連れ添って最期を看取ってくれた男のことは本当に好きだったのかもしれない。

 男も、女を愛してたんだろう。なんとなくだけど、死んだ後も毎晩、抱いていた気がする。死体の始末に困って、死を知られたくなかった、というより、妻を毎晩抱きたかったんじゃないか。

 抱かれている女は、そのときだけは腐ってもないし白骨化もしてなくて、いい女のままだったんだ。

 そういう俺は何者かって。ほら、死んだ女は駆け落ちする前、五歳くらいの男の子を連れてたっていうだろ。あれだよ、たぶん。

 なんかぼんやりと、お母さんと呼んでた女と一緒にいた記憶がある。日が暮れると着飾って化粧する母。いろんな男を連れこんでた母。感情的に怒鳴り散らしてた母。泣きながら抱きしめてくれた母。

 母の身の上話も、なんでか詳しく知ってる。覚えてる。本人に聞いたのか、周りの人に聞いた話を継ぎ接ぎしてるのか。

 日本語ではない言葉を話す、怖い男達がいたような気もする。あいつらに聞かされたのか。まさかね。その中に、俺の父親がいたら嫌だな。

 母の元に通ってきた男達の中に、今回捕まった男もいたのかな。あいつだ、と特定はできない。すべて、記憶の中では影法師。男達の区別がつかない。

 ある日突然、お母さんと呼んでた女がいなくなって。俺は他に身寄りがないどころか、同じく戸籍がなかった。母がいつの間にか、誰ともわからない男との間に産んでて、出生届も出してなかったんだから。

 せっかくぶんどった大事な戸籍に、欲しくて産んだんじゃない父親のわからない子を入れるのは嫌だったのかな。いや、もう別人とバレてたからな。入れられないよ。

 そんなわけで出生届が出てなかったから、正確な生年月日も名前もわからなくて、もしかしたら実の子じゃないって可能性もあるから、捨て子扱いっていうか、両親は不明として生年は検査の結果でおおよそを推定された。

 誕生日は、バレンタインデーにされた。なんか、母がちょっと勤めてた店で、うちの子はバレンタインデー生まれといってたのを何人かが覚えてたから。

 いや、適当な噓だと思うよ。この子はクリスマス生まれとか七夕生まれとか、適当なこといって客からプレゼントせしめてた気もするし。

 名前は、戸籍を作った区の区長さんが付けてくれた。まあ、気に入っている。適当感もないし、変に凝ってキラキラもしてないし。

 残念なことに、お母さんと呼んでた人から俺が何と呼ばれてたかは覚えてない。

 高校まで、施設で育った。高校と施設を出てからは、俺も各地を転々とした。何度か逮捕されて、刑務所に入ったこともある。

<第5回に続く>

著者プロフィール
岩井志麻子●1964年、岡山県出身。99年、短編「ぼっけえ、きょうてえ」で第6回日本ホラー大賞を受賞。また、同作に書き下ろし3編を加えた質の高い作品性を支持され、第13回山本周五郎賞を受賞する。恋愛小説『チャイ・コイ』で第2回婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で第9回島清恋愛文学賞を受賞。ほかに『岡山女』『夜啼きの森』『合意情死』『楽園』『恋愛詐欺師』、「備前風呂屋怪談」シリーズ、「現代百物語」シリーズなど多数の著書がある。