再会し抱き合った恋人はすでに腐乱死体だった…。“無戸籍”だった母と息子をつなぐものとは/『忌まわ昔』“人妻、死にて後に、本(もと)の形となりて旧夫に会ひし語”⑤

文芸・カルチャー

2019/7/10

 平安の世から令和の今に、遠く忌まわしき話の数々が甦る。「今は昔」で始まり、「となむ語り伝へたるとや」で終わる「今昔物語集」。これを下敷きに、人間に巣くう欲望の闇を実際の事件・出来事を題材に岩井志麻子が語り直す。時代が変わっても人間の愚かさは変わらない――。収録された10篇の中から、壮絶な人生を送った女の話を5回連載で紹介します。

『忌まわ昔』(岩井志麻子/KADOKAWA)

 いろんな女と暮らした。でも、結婚しようとなったのはあの子だけだ。あの子も、俺ほどじゃないけど恵まれない家庭環境で、親兄弟との縁も薄かった。

 あの子はパチンコ店に住み込みで働いていて、俺も内勤スタッフに雇われた。同僚達は互いの仕事や過去を詮索もしないし、問題にするわけはない。

 そんな二人で、一緒に暮らしてみることになった。しばらくは、本当に楽しく満ち足りていた。幸せな家庭ってのは平凡な家庭ってことなんだなと、しみじみ感じた。

 だけど、なんだろう。俺を生み出した奴らのせいにする気はないから、変な血が騒いだといってしまおう。

 店に営業で来た芸人が呼んでくれた合コンに、けっこう知られたタレントが来た。特にファンだったわけじゃないのに、やっぱり可愛いなぁと近づいたら。なぜか、気に入られてしまった。

 俺は、舞い上がった。タレントはいいマンションに住んでいい暮らししてて、しばらくは結婚もするつもりだったあの子と二股をかけた。

 最初はあの子とタレントとでは、気持ち的にはあの子が多めの半々くらいだったのに。

 次第に割合が変わっていって、完全にタレントの方に傾いた。そのとき、あの子と同棲してた部屋を出て、タレントの部屋に転がり込んだ。店は、黙って辞めた。

 初めて贅沢を覚えて、豪勢な暮らしってのを味わって、もう貧乏などんよりした地味な暮らしは嫌だと泣きそうになった。

 高層階から見下ろす街並みは、やっと俺はいるべき場所に来たぞ、と高ぶらせてくれた。ほんっと、地を這う暮らしだったからな。

 タレントと一緒にいると、注目されてちやほやされて、特別扱いもされるし。そんなの初めてだった。一目置かれるとか、人にうらやましがられるとか、嫉妬されるとか。

 内縁の妻といってもよかったあの子もしばらくは、あなたを信じるといっては泣き、帰ってきてと怒ってわめいたりしてたけど。

「あなたの幸せのために、身を引くわ」

 といってきた。胸は痛んだし罪悪感もあったけど、タレントとの生活が刺激的でおもしろくって、すぐにあの子のことなんか忘れた。

 泥沼の喧嘩をしたんじゃないし、あの子は俺に惚れきっていた。連絡を取りあっていたから、不意に戻っても受け入れてもらえるような甘ったれた期待もあった。

 仲のよかった同僚に聞いてみたら、あの子も出勤してこなくなったようだ。なんか、不安と安心とが両方来た。

 元同僚によると、二人で住んでたアパートにはまだ一人で居続けてるらしい。

 妙に気になって訪ねてみたら、本当に別れたときと見た目も態度もまったく変わりない感じで待っててくれた。まるで昨日まで一緒にいたような、甘い雰囲気だった。

「もう、あっちには帰らない。お前と、ここにいる」

「きっと帰ってくると信じてた。だから待つことは、ちっとも苦じゃなかったわ」

 抱きしめると、なつかしい匂いとぬくもりがあった。その日は抱いて寝たよ。寝入るまで、抱き合っていろんな話をした。

 でも、本当に一晩だよ。放置なんかしてないって。

 だから、どうして死後一週間で異臭に気づいた近所の人に通報されて、なんて展開になったのかもわかんない。

 ましてや、俺が殺したなんて話になってるのが、マジ意味わかんない。しかも俺が、腐ったあの子を抱いていたとか。俺、そんなおかしくなってないって。

 あっそう、タレントの子のほうは、俺なんか全然関係ないといってんだ。まぁ、そりゃ仕方ないな。タレント生命もかかってるし、ばっさり切るよね、俺なんか。

 あの子と違ってタレントは、やっぱりあなたを信じて待つわ、なんていってくれる女じゃなかった。でも、腹は立たない。俺なんかでごめんね、って感じ。

 だからあの子と別れ話のもつれだなんて、そんなのないよ。一方的だったけど、俺からの別れ話をあの子も納得して、すんなり受け入れてくれたんだし。タレントに捨てられてのこのこ戻ってきたら、きつく拒絶されて喧嘩になって、ってそれも違う。

 そういえば、無戸籍の女の事件。あれは近所の人も、まったく臭いに気づかなかったのかな。市販の消臭剤って、そんなに効くのかな。

 ……独房に一人で寝ていると、隣にふっと誰かが寝ているのを感じる。きれいな女じゃなく、好きな女でもなく、死んだ女だ。

 でも、腐ってるというより、白骨化してる。じゃあ、あの子じゃなくお母さんかな。

 女の死体を俺が抱くんじゃなくて、俺が女の死体に抱かれてる。やっぱり、これは五歳の頃に別れたお母さんなのかな。

 俺も、待ってたもんな、お母さんを。絶対に戻ってくると信じてたから。あの子と同じだ。待つのは苦じゃなかった。