本屋で偶然会った同級生は…腐女子?/『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』①

文芸・カルチャー

更新日:2019/8/1

話題のNHKよるドラ「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」原作。
同性愛者であることを隠して日々を過ごす男子高校生は、同級生のある女子が“腐女子”であることを知り、急接近する。思い描く「普通の幸せ」と自分の本当にほしいものとのギャップに対峙する若者たちはやがて――。

『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(浅原ナオト/KADOKAWA)

■第1回 本屋で偶然会った同級生は…腐女子?

 うららかな陽気に包まれた春休み最終日、新宿の書店のレジ前で遭遇したクラスメイトの三浦(みうら)さんは、制服姿の少年とスーツ姿の男が抱き合う絵が表紙の本を女性店員に差し出し、『時の止まった少女』とタイトルをつけて保存したくなるぐらい見事に固まっていた。

 僕がグラビアアイドルの写真集でも持っていれば「こっちも似たようなものだよ」と慰めることも出来たのだけれど、残念ながらミステリー小説の文庫本だった。生ける屍と化した三浦さんに向かって、女性店員が復活の呪文を唱える。

「カバーはお付けしますか?」
「あ、え、い、いいです」

 三浦さんの本の帯には『先生。僕の処女、奪ってくれませんか?』と大文字で記してある。その表紙と帯を丸出しにして本当にいいのだろうか。まあ、本人がいいと言っているのだからいいのだろう。余計なお節介は焼かないことにしよう。

 支払いを終えた三浦さんは、麻薬でも受け取ったかのような勢いで本をハンドバッグにしまった。そしてレジから少し離れたところで僕を上目使いに見つめる。僕は自分の買った文庫本を斜め掛けのボディバッグにしまい、三浦さんに歩み寄った。

「偶然だね」
「……うん」
「好きなの?」

 よくもまあ、ここまで心を抉る四文字を咄嗟(とっさ)に出せたものだと思う。主語も目的語も省略した台詞(せりふ)を三浦さんは瞬時に理解し、肩甲骨の辺りまで伸びたポニーテールを首と一緒にぶんぶん振り回す。

「違う! 妹に頼まれたの!」
「そうなんだ。それじゃあ、また明日」

 僕は三浦さんに背を向けて歩き出した。待っていたから話しかけただけで、別に用事はない。

 だけど三浦さんは、そうでは無かった。

「待って!」

 三浦さんが小走りに僕に駆け寄り、Tシャツの裾をぐいと引っ張った。この一瞬だけを切り取れば普通のカップルに見えただろう。少なくとも、エロ本を買ったところをクラスメイトに目撃された女子高生と目撃した男子高校生には見えないはずだ。

「なに?」
「今日のこと、クラスのみんなには黙っててくれる?」
「妹のBL本買ってたこと?」

 BLとはボーイズラブの略。男同士の恋愛というかまぐわいというか、とにかくそういうジャンル全般を指す用語だ。決してベーコンレタスのことではない。

「……実は、妹のじゃないの」

 分かってる。変に引っ張ってごめん。

「三浦さん、腐女子だったんだ」

 男同士の恋愛ものが好きな女性は、界隈では「婦女子」をもじって「腐女子」と呼ばれる。腐った女子。酷い呼称だ。

「腐女子っていうか……腐女子」

 無駄に一回否定が入った。三浦さんはパンと両手を合わせ、僕を拝む。

「お願い! 他の人には絶対に言わないで!」
「別にいいけど……」

 僕は右の手のひらを上に向けて、三浦さんにすっと差し出した。

「さっき買ったやつ、軽く読ませてくれる?」

 三浦さんがパチパチと目を瞬(またた)かせた。あまり気にしたことは無かったけれど、大きな瞳と丸い輪郭がなかなか愛嬌のある顔をしている。

「興味あるの?」
「別に。ちょっとどういうものなのか、読んでみたいだけ」

 三浦さんは腑に落ちない様子で僕に本を渡した。煩悩全開の表紙と帯を改めて確認し、やっぱりさっきカバーをして貰うよう促せば良かったと軽く後悔する。

 本は漫画だった。とりあえず、濡れ場までパラパラと飛ばす。

 顔から思考回路まで何もかもが小学生レベルに幼い男子高校生が、現実にいたら蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われて物真似ネタ化不可避な物言いをする教師に放課後の教室で告白して、その場で本番突入。謎の潤滑性体液を発する男子生徒の不思議アナルに、教師がギンギンに勃起したペニスを正常位で生挿入。あっさりと性交は成功し、男子生徒は教師の背中に手を回して「先生、気持ち良いよお」と、お前そこ教室だぞと見ていて心配になるぐらいに喘いでいる。

「ファンタジーだなあ」

 つい、感想を呟いてしまった。とりあえず奇跡の同時射精まで読んで、縮こまる三浦さんに本を返す。三浦さんはまたしても、外気に触れたら紙が溶けて猛毒が蔓延(まんえん)するかのように、本を凄まじい勢いでハンドバッグに叩き込んだ。

「本当に、絶対に、誰にも言わないでよ」
「分かってるよ」

 三浦さんが恨めしそうに僕を見る。そんなに気にすることだろうか。少し探せば同好の士がいくらでもいそうだけど。

「三浦さんはどうしてホモが好きなの?」

 何となく聞いてみる。生き方の参考になるかもしれない。―嘘。単なる嫌がらせ。

「どうしてって……なんか、こう、非日常感というか……」
「非日常かな」
「非日常でしょ。わたしの周りにはそういう人、いないもん」

 ―目の前にいるよ。
 当然、言わない。勘違いしてはいけない。彼女が好きなものはホモであって、僕ではない。

「まあ、そうだね」

 僕は話を打ち切り、「それじゃ」と三浦さんに別れを告げた。三浦さんはまだ何か言いたげに唇を歪ませていたけれど、あの不信感は何処(どこ)までいっても拭いきれるものではない。付き合わないのが正解だ。

 三浦さんが腐女子だったことは正直、そこまで意外ではない。

 三浦さんとはクラスメイトとしてもう一年の付き合いになるけれど、僕が彼女と話したことは数えるほどしかない。それでも、どこか裏があるような感じはしていた。人づきあいが悪いわけでもないのに、彼女の人間臭さを感じる話をあまり聞かないからだろう。僕自身がそうだからなのか、軸足を学校に置いていない人間は何となく判別出来る。

 三浦紗枝(さえ)。僕と同じC組に所属する女子。美術部。文化祭で出店の看板を描く係に選ばれるぐらいには絵が上手い。
 ホモが好き。
 クラスメイトの安藤純(あんどうじゅん)がホモであることは、知らない。


【次回につづく】