ゲイであることをカミングアウトしない理由は…? /『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』⑤

文芸・カルチャー

2019/8/5

話題のNHKよるドラ「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」原作。
同性愛者であることを隠して日々を過ごす男子高校生は、同級生のある女子が“腐女子”であることを知り、急接近する。思い描く「普通の幸せ」と自分の本当にほしいものとのギャップに対峙する若者たちはやがて――。

『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(浅原ナオト/KADOKAWA)

■第5回 ゲイであることをカミングアウトしない理由は…?

 僕がミスター・ファーレンハイトの闘病ブログを読んだのは、マコトさんと初めて繋がった日の夜だ。

 その頃、僕のHIVに関する知識は「男同士のセックスで伝染しやすい死に至る不治の病」程度のものだった。だからゴムをしたからほぼ伝染する可能性はないのに、心配になってHIVに関する情報を漁った。そしてHIVとAIDSの違い、今の医学ならばHIVに感染しても十分に寿命を全うできること、HIVに感染してもHIV非感染の子どもを作ることすら可能なことなどを学んだ。

 やがて、HIVやAIDSとの闘病日記を綴(つづ)るブログへのリンク集を見つけた。数多くの闘病日記の中から僕がミスター・ファーレンハイトのブログに目を付けたのは、彼が『ミスター・ファーレンハイト』だからだ。QUEENのファンなのだろうかと思って読み始めたら案の定その通りで、中身は申し訳程度に定期検査結果が書いてあるだけの音楽ブログだった。

 ミスター・ファーレンハイトは、ブログに顔や身体の写真は全く載せていない。出身地や居住地や家族構成なども明かしていない。明かしているのは二十歳の同性愛者の男性で、僕と同じように一回り以上年上の恋人と付き合っていて、その恋人からHIVを伝染(うつ)されてキャリアになったということだけ。

 恋人は既にAIDSを発症している。そしてミスター・ファーレンハイトはその恋人とまだ別れていない。ブログ読者からコメントで「彼が憎くないのですか?」と尋ねられたミスター・ファーレンハイトは、こう返信している。

 殺したいほど、愛しているよ。

 ブログの随所に垣間見える彼の気取った性格を、僕は素直に格好良いと思った。ファンメールを送ったらウマが合い、パソコンのメッセンジャーツールでやり取りをする仲になった。スマホのSNSアプリは使いたくないらしい。会える時は会える。会えない時は会えない。そういう繋がりが好きなんだ。僕は、同意した。

『ジュンは今日、何をしていたんだ?』
『デート』
『僕と同じだね。一緒に桜を見て来たよ。綺麗だった』

 こっちはセックスして別れただけだ。比較して、軽く落ち込む。簡単に比較出来るようなものじゃないことぐらい、頭では分かっているんだけど。

『そっちは何か面白いことはあったかい?』

 面白いこと。レジの前で固まる三浦さんの姿が脳裏に浮かんだ。

『彼と会う前に、クラスメイトの女の子がBL本を買っているところに遭遇した』
『それは酷いな。ちゃんと謝ったのか?』
『なんで僕が謝る必要があるのさ』
『悪いことをしたら謝る。基本だろう』
『別にわざとやったわけじゃないし』
『わざとじゃなくたってぶつかれば謝る。大事なのは結果さ。オナニーを見るような真似をした自覚を持った方がいいよ』

 オナニーを見るような真似。そんな、大げさな。

『そこまでのことかな。腐女子ぐらい別にバレてもいいと思うんだけど』
『それは可哀想だろう。君がゲイぐらい別にバレてもいいと言われたらどうする』
『単なる趣味と人生の根幹を支える性指向を一緒にしないでよ』
『同じさ。男同士の恋愛ものが好きなんて確かに大した問題ではない。だけどそれは君も変わらない。同性愛なんてありとあらゆる生物に発現しうる、取るに足らない自然現象。真に恐れるべきは、人間を簡単にする肩書きが一つ増えることだ』
『人間を簡単にする肩書き?』
『ああ』

 僕は首を捻(ひね)った。ミスター・ファーレンハイトの話は、たまに概念的で難しい。

『どういうこと?』
『そうだな。その子に関して、腐女子以外に何か大きな特徴はあるか?』
『絵が上手いかな』
『そこにその子が腐女子であるという情報が加わると、さすが二次元好きの腐女子は絵が上手いな、となる』

 ああ、なるほど。そういうことか。

『人間は、自分が理解出来るように世界を簡単にしてしまうものなのさ。そして分かったことにする。だけど本当のことなんて、誰にも分かりはしない』
『物理の「ただし摩擦はゼロとする」みたいな?』
『そう。「空気抵抗は無視する」もだね。ジュンはいいセンスをしているよ』

 褒められた。照れに口元が緩む。

『摩擦がゼロなわけはない。空気抵抗を無視して良いわけがない。だけどそうしないと理解出来ないから、世界を簡単にして事象を読み解こうとする。もしかすると今は当たり前のように通っている物理法則の数々だって、人間が自分に理解できるように世界を捻(ね)じ曲げた結果なのかもしれないよ』

 スケールの大きな話になってきた。慣性の法則、運動の法則、作用反作用の法則。僕たちが当たり前のように学んでいる世界の法則は、全て嘘かもしれない。

『君はHIVになる前は、誰にもカムアウトしていなかったんだよね?』
『ああ』
『自分を簡単にされたくないから?』
『理由の一つではある』
『やっぱり同性愛者の肩書きは人を簡単にするかな』
『するさ。例えば、フレディ・マーキュリーは男性とも性交していただろう』

 QUEENのボーカル、フレディ・マーキュリー。老若男女問わない乱れた性生活を送った結果、HIVに感染し、AIDSを発症して死んだ伝説のロッカー。女を抱けるゲイなのかバイなのか分からないので、ミスター・ファーレンハイトは彼の性的指向を表現する時、どちらのスタンスも取らずにぼかす。

 僕はフレディがゲイでもバイでも構わない。ただ、フレディをゲイ扱いされた時に「バイだ。一緒にするな」と怒り狂うファンも存在する。彼らは『グッド・オールド・ファッションド・ラヴァー・ボーイ』を男同士の恋愛歌と解釈することを絶対に許さず、その激昂を以てフレディへの愛を表現しているのだと言わんばかりに、声高に自らの主張を口にする。

 不思議だ。そういう風に女を抱くことを無条件で偉いと思っている連中が、なぜフレディの理解者ぶれるのだろう。彼は死に至るまで七年もの間、ジム・ハットンという男性パートナーと共に過ごしているのに。

『フレディのレベルでさえ、同性愛傾向があったから書けたと言われる楽曲は山のようにある。フレディではなくブライアンやロジャーやジョンが書いた曲に同じことを言う輩すらいる』
『ブレイク・フリーとか?』
『そう。あれはPVのせいもあると思うけど』
『フレディでそれじゃあ、僕なんかひとたまりもないね』
『その通り。本当の自分なんて全く見えなくなるほど、滅茶苦茶にされるぞ』

 本当の自分。本当の僕。

 そんなもの、そもそもあるのだろうか。本当のことは誰にも分からないならば、僕も僕自身のことを分からないのが当然なんじゃないだろうか。

『自分は、自分をちゃんと理解出来るのかな』

 返信が、少し長めに止まった。チャットウインドウに新しい文字列が浮かんだのは、タイプ音の余韻が完全に消えてから。

『難しい質問だね。とりあえず一つ、言えることがある』

 ディスプレイがパッと短く点滅して、メッセージが現れた。

『自分だけは、自分を簡単にしても許される』

 声は聞こえない。そもそも僕はミスター・ファーレンハイトの声を聞いたことがない。だけど芯の通った明瞭な若い男性の声が、僕の鼓膜を震わせた気がした。

『そうだね』

 それから間もなく、僕たちの会話は終わった。風呂に入り、買った文庫本を読んでいるうちに夜中になる。明日から新学期。あまり夜更かしをするわけにはいかない。

 電気を消して布団に潜りこむ。目を瞑(つむ)り、今日のことを思い返す。本屋で三浦さんがBL本を買う場面を目撃して、『’39』でケイトさんと会って、ラブホテルでマコトさんとセックスをして、メッセンジャーでミスター・ファーレンハイトと難しい話をした。なかなか濃くて楽しい一日だった。おかげで明日から始まる窮屈な学校生活も、どうにか乗り切れそうだ。

 学校は苦手だ。学校には、あいつはああだからこういう奴だという「ただし摩擦はゼロとする」が満ち溢れている。全く気が抜けない。

 三浦さんも、そうなのかもしれない。

 彼女も集団の中で自分を偽っている。毎日、気を張って生きているはずだ。さぞかし生きづらいことだろう。

 ―明日、話しかけてみようか。

 前向きな決意をして、意識を闇に溶かす。朝起きた気怠(けだる)さの前にその決意が消え失せることは、眠る前から分かっていた。


【次回につづく】