とても情熱的でロマンティックな恋文の返事の出し方/“二つ折りの恋文が”『5分間SF』⑥

文芸・カルチャー

公開日:2019/8/18

その名の通り、1話5分で読めるSFショートショート。思わずあっと驚く結末と、そしてじわりと心に余韻を残すお話が詰まっています。今回は収録されている16のお話のうち、3つを連載で紹介します。

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『5分間SF』(草上仁/早川書房)

二つ折りの恋文が② ~ノルヴィア人が愛を伝えるロマンティックな方法とは?~

 僕は、ぶしつけにならないように尋ねた。

「友よ、蝶の恋文ってのは、この星ではごく普通のことなのかい?」

 小首をかしげて、真剣に誰かの名前を思い出そうとしていたワノフは、僕の目を見た。

「ああ、シロハチョウの羽化する五月にはね。まあ、なんといったっけ、お国のセントバレンタインデイみたいなものだ。今や、男も女も、シロハチョウの習性を利用して恋を告白する季節なんだよ」

 僕は瞬きした。

「どんな習性を?」

 ワノフは、ため息をついた。

「また説明を求めてるんだな。いいだろう。この蝶は、羽化すると生まれた花の株に帰る。自分が卵として産みつけられた株に戻ってきて、蜜を吸い、また卵を産みつける。その習性を利用して、恋のメッセンジャーに仕立てられたわけさ。五十年ばかり前に、スタイラスのメーカーが始めたって説もあるけど」

 ノルヴィアにも、一応商業主義はあるってことだ。僕は少し安心した。そのためか、つい本音を漏らしてしまった。

「しかし、君はいいなあ。そんなに恋を告白する相手がたくさんいてさ」

 ワノフは、青い目を見開いた。

「友よ、君にはいないのかい」

 僕は、胸にちくりと痛みを覚えた。

「いない。今は」

 愛だの恋だのの話になると、ノルヴィア人は急激に親身になってくる。ワノフは、その例に洩れず、最大限の気づかいを示してきた。

「何と何と、友よ。不機嫌の原因はそれだったのかい。かわいそうに。もしも君さえよければ、僕の蝶の一匹を差し向けてもいいよ」

 ため息が出た。

「心からありがとう、友よ。でも、僕にはそのケはないんだ」

 ワノフは、嘆かわし気に頷いた。

「ああ、そうだったね。偏狭で朴念仁の上にヘテロの友よ。せっかく同室に暮らしているというのに、実に不便なことじゃないか。しかし、あの子はどうしたんだい? ええと、ウェストのきゅっとしまった、栗色の髪の、自然文学専攻の、ああ、ちょっと名前が思い出せないが」

 ワノフがライバルでないことを知って(あるいは、彼はわざと名前を思い出せないふりをしているのかも知れないが)、僕は口を滑らせた。

「アイシャ」

「そう」

 ワノフは、僕のデスクを力任せに叩いた。

「そうとも、アイシャだ。見方によっては、かなり、いや非常に愛らしい子だ。友よ、君はずいぶん彼女にご執心らしかったし、カフェテリアの東C7テーブルのあたりで僕が見聞したところによれば、彼女のほうもまんざらでもない感じだったはずだ。何かあったのかい?」

 これだから、ノルヴィア人は油断がならない。ワノフは実によく僕の交友関係を「見聞」している。

 しかし、こと恋愛関係に関する限り、彼が親身になって相談に乗ってくれることだけは確かだ。

 気が付くと、僕は悩みをワノフに打ち明けていた。三日前の晩、デートしたこと。翌日から彼女が急に冷たくなったこと。ワノフは聞き上手で、心からなる同情を寄せながら、巧みに情報を引き出してくれた。

「何とまあ、偏狭かつ朴念仁かつヘテロセクシャルの友よ。すると、君は彼女から鉢植えをもらったというのかい? それで、その花はどこにある?」

「これだよ」

 僕は、デスクの上を指差した。そこにある小さな鉢植えは、朝からずっと、僕が見つめていたものだ。茶色の鉢から、すっと伸びた茎。らせん状に茎を覆うみずみずしい黄緑の葉。その上に一輪だけ鎮座する何とも可愛らしいピンク色の花弁。

 ワノフは、ぴしゃりと自分の額を叩いた。

「僕としたことが、今の今まで気づかなかったなんて。もっと早く気づいて、適切な助言をなすべきだった。友よ、君は一体何をしているんだ? この季節に、窓を閉め切ったままでいるなんて。しかも、株分けした鉢植えを受け取っておきながらだ」

 株分けだって? 僕は、デスクの上の、掌に載るくらい小さくてはかない鉢を見つめた。さっきもその言葉は聞いたけれど、ワノフが何を言っているのか、理解できなかった。

 そして、僕が理解していないことは、ワノフにも伝わった。

「まったくじれったいにもほどがあるぞ。汝愚かなるものよ」

 彼は、時代がかった仕草で天を仰いだ。

「それじゃ、君の愛しのナイシャが機嫌を悪くするのも当然だ」

 僕は、機械的に訂正した。

「アイシャ」

「もちろん、彼女だ。いいかい、友よ。君は、こともあろうに彼女の愛をシャットアウトしているんだよ」

「シャットアウト?」

 ワノフは、デスクの前の出窓に視線を転じた。

「君には聞こえないのかい? 情熱の声が。彼女の愛の告白が、君の胸の扉を叩いているあの音が」

 僕にはまだわかっていなかった。

 でも、その音なら、さっきから耳にしていた。

 カチン。

 間を置いて、また、カチン。

 僕は出窓を見た。

 白い可憐な蝶が、はたはたと羽ばたきながら窓ガラスにぶつかって来ている。

 カチン……カチン……。

 ワノフは、朗々と声を張った。

「開け放て。さあ友よ、いっぱいに開け放て、君の胸の扉を」

 僕は、芝居がかったワノフの言葉に従って、出窓を押し開けた。

 シロハチョウが、はたはたと舞い込んできて、ピンクの花にとまった。

「朴念仁の友よ。君は今も、彼女の心を傷つけている。彼女の告白を受け止めなかったことで。返事すら出さなかったことで。だが、まだ間に合う。彼女の──君たちの恋を救うんだ。粉々に割れてしまう前に」

 ワノフは、僕にスタイラスを押し付けてきた。

 僕は、ふるえる指で、シロハチョウの羽根をつまんだ。そうっと羽根を広げると、右の翼の内側に、きれいな赤の斑点が見えた。

 そうか、と、僕は思った。二つ折りの恋文は、太古の往復はがきと同じなんだ。

 蝶は、株分けした花の番地を探しに来た。僕のところへ。そして僕の返事を持って、またもとの株に帰るのだ。アイシャのもとへ。

 僕は、できるだけ丁寧に、返事を書き入れた。

 蝶の左の羽根の内側に、赤くて丸い斑点を。

 そして、蝶をそうっと花に戻して、彼女が蜜を吸い終えるのを待った。

 シロハチョウが花を離れ、窓から出て行くと、ワノフが快哉を叫んだ。

 全く、ノルヴィア人ときたら。

 なんて情熱的で気のいい連中なんだ!

●プロフィール
草上仁
1959年生まれ。1981年ハヤカワ・SFコンテスト佳作入賞。短篇『割れた甲冑』をSFマガジン1982年8月号に発表してデビュー。1989年に『くらげの日』、1997年に『ダイエットの方程式』で星雲賞日本短編部門受賞。1997年『東京開化えれきのからくり』でSFマガジン読者賞受賞。近年もSFマガジンに続々と作品を発表している。