妊娠検査薬が陽性。JKビジネスに手をだした女子高生に新たな呼び出しが…/ 松岡圭祐『高校事変 II』②

文芸・カルチャー

2019/9/8

超ベストセラー作家が放つバイオレンス文学シリーズ第2弾! 新たな場所で高校生活を送るダークヒロイン・優莉結衣が日本社会の「闇」と再び対峙する…!

『高校事変 II』(松岡圭祐/KADOKAWA)

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 十八歳になったばかりの嘉島奈々未は愕然とした。妊娠検査薬は陽性だった。

 見まちがいではないのか。蛍光灯の薄明かりのなか、コンビニで買った箱の説明書を読みかえす。検査時期がずれていると誤った反応が表れることがあります、そうあった。該当しない。生理はずっときていなかった。前回からひと月半が経過している。検査結果を否定しうる根拠はない。

 震える手で、妊娠検査薬をゴミ箱に投げこんだ。洗面台で手を洗う。汚れた鏡に自分の顔が映っていた。血色を失い、青白く染まっている。いつしか頬もこけ、やつれきっていた。病床で見た母親の面影が重なる。最後に母を見舞ったのは、奈々未が小学六年のころだった。あの一週間後、きょうのように寒い夜、母は息をひきとった。

 ふいの嘔吐感に前のめりになる。胃液の酸っぱさが口のなかにひろがった。この場に膝をついてしまいそうだった。

 なんとか踏みとどまり、唇を水で洗う。全身がひどくだるい。かろうじて落ち着きをとり戻すと、奈々未は公園のトイレをでた。

 光量の乏しい街路灯が暗がりを照らす。住宅街の狭い公園にひとけはなかった。ダウンを羽織った小さな身体がたたずむだけだった。

 中学一年、十三歳になる妹の理恵が、不安げなまなざしを向けてくる。「だいじょうぶ?」

「平気」奈々未は応じた。

「やっぱり病院へ行くべきじゃない? 明日行ったら?」

「心配ないから」

 奈々未は笑顔を取り繕い、理恵とともに歩きだした。医師の診察など受けられるはずもない。

 児童養護施設は無料ではない。入所費用を負担すると約束した父は、とっくに姿を消してしまった。施設の費用が免除となるのは、両親が災害で死亡したり、刑務所に入ったりしている場合にかぎられる。もとより父は酒浸りで定職につかず、支払いなど不可能だった。

 ボランティアが運営する施設もあるにはあるが、立地条件が悪かった。理恵はいまの施設を離れたがっていないし、転校にともなう苦労もかけたくない。奈々未は父から仕送りがあると嘘をつき、入所費用を分割返済してきた。高校に通いながら、奈々未は人にいえない仕事に手をだしていた。

 また吐き気がこみあげてくる。堪えようとしても、どうにもできなかった。奈々未はその場にうずくまった。

 理恵がすがりついてきた。「ほら。具合がどんどん悪くなるの、見ててわかったもん。絶対お医者さんに相談するべきだって」

 清掃のバイトをしている、妹にはそう話してあった。施設の職員には内緒にするよう、口裏を合わせてもいた。本当は理恵に対しても真実を打ち明けていなかった。

 当然の報いかもしれない。どの客に妊娠させられたか、いまさら特定は困難だった。避妊具を嫌い、生で性交を強いる客は少なからずいた。密室では拒むすべもなかった。店長の城山からは、すべて自己責任だと釘を刺されていた。いつかこんな日がくるとわかっていながら、誰にも相談できなかった。

 理恵の手を借りながら、ゆっくりと立ちあがる。スマホのバイブが唸るように響いた。

 とりだしたスマホの画面を眺める。店長からのメッセージが入っていた。

 十九時半から鶯谷 近くまで迎えに行く

 奈々未はしばし凍りついた。理恵が画面をのぞこうとする。背を向け、すばやく返信を打つ。

 申しわけありません 体調が悪く休んでいます 本当にごめんなさい

 スマホをしまいこみ、奈々未は歩きだした。「行こ」

 理恵が追いかけてきた。「いまのなに?」

「なんでもない」奈々未は話題を逸らしにかかった。「定食屋さんで夕食、ひさしぶりだね」

 怪訝そうな面持ちで見かえしたものの、理恵はほどなく笑顔になった。「ほんと嬉しい。いつも施設でご飯だと味気ないし」

「あの定食屋さんって、そんなに美味しかった?」

「お姉ちゃんとふたりきりなのがいいの。なんでも美味しく感じる」

 ふいにまたスマホが震えだした。今度のバイブは長く、途絶えたのちも反復した。電話の着信だとわかった。ふたたびスマホをとりだす。城山店長、そう表示されていた。

 慄然として足がとまる。奈々未はためらいがちに応答した。「はい」

「おうナナミ」城山の声がぞんざいに告げてきた。「体調不良のところ、すまねえな。具合はどうだ?」

 この静寂のなかでは、理恵の耳に届いてしまう。奈々未は理恵を手で制し、その場に留まらせながら距離を置いた。「すみません。寒くなったので、熱がでてしまって」

「二週間も熱がひかねえのか? ナナミ。毎日学校に通ってるし、いまも外にでてるじゃねえか。ひと働きぐらいできるだろ?」

 思わず目を閉じた。スマホの位置情報で足どりはわかる。発信をオフにしたら、店長の怒りを買ってしまう。児童養護施設に押しかけられる事態は、どうあっても避けたかった。

 路上でスカウトを受けたとき、簡単な接客のバイトと説明された。だがその直後、事務所に半ば監禁状態にされた。もうあとには退けねえよ、そう脅された。

 解放されたのち、交番に駆けこむことも考えた。しかし思いとどまった。バイトでは入所費用の返済ぶんを稼げない。通学している以上、自由になる時間はわずかしかない。

 店長の言葉どおりだった。なにもかも自己責任、弁解はできない。奈々未はつぶやいた。「わかりました」

「クルマで迎えにいくからな」

「それはちょっと……」

「心配すんな。施設から交差点を越えたところに、コンビニがあるだろ。七時に来い。遅れるなよ」

 返事をまつようすもなく、通話は切れた。

 奈々未は重苦しい気分とともに振りかえった。理恵が暗い表情で、たずねる目を向けてくる。

「ごめん」奈々未はささやくしかなかった。「バイト先の人手が足りなくて」

 理恵の顔に失意のいろが浮かんだ。「こんな時間から清掃?」

「そう」

「いまのが職場の人なの? なんだか偉そう。奈々未とか呼び捨てにしてたでしょ」

 源氏名も本名と同じナナミだった。いつの間にかそうなっていた。店に縛りつけておくための手段だったのかもしれない。うかつだったと嘆いたところで、いまさらどうしようもなかった。

 施設へ引きかえすべく、奈々未は歩きだした。「外で食べるって伝えちゃったから、わたしたちのご飯、きっと用意がないよね。なにか買って帰らなきゃ」

 理恵は立ちどまったままだった。「お姉ちゃん」

 振りかえると、理恵の戸惑い顔がそこにあった。奈々未は笑ってみせたものの、目を合わせきれなかった。すべて見透かされてしまいそうだ。あるいはもう薄々気づいているだろうか。

 問いかける勇気はない。奈々未はただ理恵の手をとった。「帰ろ。定食屋さんはまた今度」

 理恵は無言で歩きだした。浮かない表情のままうつむく理恵に、奈々未はなにもいえなかった。降りかかる粉雪が、理恵の髪を白く染めつつあった。

第3回に続く