「藤本さきこの本喰族!! 死と隣り合わせでも、頭の中の自由は奪えない『アウシュヴィッツの図書係』アントニオ・G・イトゥルベ /連載第10回」

文芸・カルチャー

2019/10/13

 私にとって本は、食べて吸収し細胞にするもの。

 食べることと同じくらいを作っていく。

 食物が肉体のエネルギーを作るなら、書物は魂のエネルギーをつくる。

 ひとつだけ違うことは、魂には「お腹いっぱい」という感覚がないこと。

 お腹いっぱいにするために読むのではないのだ。

 この連載「本喰族」では、読んだ本の中から頭に残っている「言葉」から次の本をリレー形式で検索し、魂がピンときた本をどんどん喰っていきたいと思います♡

『アウシュヴィッツの図書係』アントニオ・G・イトゥルベ(著)、小原 京子(翻訳)

 第二次世界大戦末期、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の31号棟で開講された「秘密の学校」で図書係をしていた14歳の少女、ディタの物語。

 この物語は事実に基づき、フィクションで肉付けされている。

 「ディタは今でも健在で、現在80歳。イスラエルの海辺の町で暮らしています」という記述が最初になければ、悲惨すぎて最後まで読み進めることができなかったかもしれない。

 強制収容所に到着すると、子どもも大人もそのままガス室に連れて行かれたが、国際監視団の調査をごまかすため、ナチスが張りぼてとして作った「家族収容所」が1つだけあった。そこでは、「わざわざ」子どもたちを生存させている。期間は6カ月。腕には「6カ月後、特別処理」という入れ墨が入れられる。

 主人公のディタは、「家族収容所」においてリーダー的存在であるヒルシュが秘密で作った学校の図書係になった。机も椅子も黒板もなく、地面に棒で文字を書く「青空学校」のようなもの。

 図書係といっても、ボロボロの8冊の本と、「生きた本」だけ(「生きた本」とは、文学作品をよく知っている大人が、暗記している物語を話し聞かせること)。ナチスに見つかったら即処刑である。

 「家族収容所」には、元教師や、元医者、元建築家などの大人が、秘密の学校の教師になった。何もかもが禁止されている収容所で、ディタは秘密の隠し場所から、毎日、命がけで教師に本を貸し出す。

 外では毎日、処刑される音や、ガス室に送られる人の泣き声が聞こえてくる。仲間が大量に殺害され、焼却される。焼けた肉の匂い、燃えた灰が降ってくる……。

 そんな状況の中、死を待つしかない子どもたちに、かけ算を教えたり、ホッキョクグマの話をしたりすることになんの意味があるのか? 物語を読んであげることになんの意味があるのか? と大人たちは、何度も自問した。

 6カ月後、一緒に暮らした子どもたちは「特別処理」で、ガス室に送られた。「生きた本」さえも、殺されてしまった。奇跡的に「選別」で生き残り組に入ったディタ。秘密の学校の何もかもが、無駄だったと生きる希望をなくしていたディタに、ある先生は言った。

 「あの子たちは幸せだったのよ。たとえ一瞬でも幸せなら、生まれてきてよかったのよ」。

 確かに子どもたちは教師の話を笑顔で聞いていたとディタは思った。この何カ月か、何百人もの子どもたちが世界中を旅行し、歴史に触れ、数学を勉強するのを、8冊の本が助けてくれのだと。

 ナチスのユダヤ人迫害に関するものに触れて、私がいつも思うのは人間の「頭の中」の自由さだ。本を奪われ、鉛筆も紙も奪われ、表現の一切を禁じられ、人間らしさを全て奪われたとしても「想像すること」「考えること」は自分で選ぶことができるという奇跡。

 悲惨な環境や過酷な労働、拷問、食事も衛生も、明日の命の保証さえもなければ、私たちは生きる希望を見失い、動物になり下がってしまう。

 そんな中でも、たった1つの「本」や「話」が連鎖し、「頭の中」の世界を広げてくれる、命の火を灯してくれる。想像1つで、収容所の外に出て、世界中を旅することができるし、恋だってできる。本は、意識を格段に広げる叡智そのものだ。

 あまりにも多くの人が、死んだ。

 あまりにも、悲惨だった。

 しかし、どんなに人を縛り付けても、本当は何も奪えない。

 「選別」でガス室に送られた、「生きた本」の1人、おじいちゃんのモルゲン先生が言っていた。

 「神様は人間が何を考えているか、自分以外にはわからないようにお作りになったのです」。

 なぜ神は、人間をそう作ったのだろう?

 たとえどんな状況でも、自由であることができるように。幸せを見つけることができるように。

 作中には、ディタが収容所に入る前、幼い頃に読んだたくさんの本が出てきた。

 次はその中の1つを喰ってみようと思います!

文=藤本さきこ

第11回に続く