「目の腫れは出窓から」『江戸秘伝! 病は家から』①

文芸・カルチャー

更新日:2019/11/22

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【第一病】目の腫れは出窓から(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 ここは、六角斎の居宅。六角斎とはこれから始まるお話しの主人公、私の祖父の在りし日の通称。そもそも私は、江戸から続く商家の七代目当主、我雅院久志(がびいんひさし)と申します。

 ついにと言うか、五代目だった六角斎爺さんの奇っ怪な生きざまをお伝えしたくて、筆を手にしたような次第で。

 還暦間近となった私がまだ小学生のころ、即ちほぼ半世紀前(昭和の真っ只中)がこのお話しの始まりとなるのです。

 或る朝起きると私の右目の上まぶたが腫れて、チクチクと何かに刺されたような痛みが。仕事一筋の父は「そんなのは水で洗っときゃ大丈夫」のひと声。

 けれど何日たっても一向に良くなるどころか、だんだんと怪談のお岩さんのように。眼帯なしでは人にも会えません。

 そんな折、「御免よっ」と拙宅に立ち寄ったのが六角斎。ちょんまげでない以外は、まるで江戸時代のご隠居さん姿の着流しに板裏ぞうりといったいで立ち。私の症状を確かめたかったようで「どーれ、どれ、」と眼帯を外させて、じーっと腫れ上がった上まぶたを見ています。

 そしてこんなことを言い出したのです。

「ふむ、成る程な。久志よ、最近お前の部屋の窓の辺りに、何か物を掛けるために釘を打ったりしなかったかい?」

「ガビーン!」(私はひどく驚くと口ぐせでそう言うので、六角斎が名付けた愛称が、音から採ったガビーン即ち我雅院なのです。)

 確かに先週、父に買ってもらった野球の帽子とグローブを掛けるために、子供部屋の窓枠に大きな釘を打ち込んでいたのです。

 でも、どうして六角斎はその事がわかったのでしょうか。そして、その事と私の目の出来物とが一体どう関係があるというのでしょうか。

 奇妙なことを言い出した六角斎はエヘンと咳払いのあと、こう話しを始めました。

「わしはな、久志に物心がつくころを見定めて、こうした話しをしようと思っておったのじゃ。丁度お前さんの目が腫れて、説明するにはまあ好都合な訳じゃよ、ハッハ」(人が痛くて困ってるのに、相変わらず六角斎はいい気なもんだな。それで?)

「まあ10才程の子には、ほんの序の口のところを聞かせようかの。それでは、‘窓’の役目とは何だと思うかね? そう、家の中から外を見るためだね。では久志よ、君の‘目’の役目は何じゃ? うん、やはり外の物を見る、同じことだね。そして君の目のひどい腫れは2箇所が盛り上がっているが、一方で窓の右上には案の定ぶっとい釘が2本打ち込まれていたね。何かピンと来んかな?」(うーん、窓と目の役目。2箇所の腫れと2本の釘か。確かに不思議な気もするけど…)。

 それから六角斎は、「とにかく釘は抜いておしまい。グローブとかは茶箱にでもいれておけばいい。あとはお爺ちゃんがよーくお詫びしてしておくから」と言い残して、そわそわと立ち去って行きました。今ならまだ鈴本演芸場で三木助の‘芝浜’の落語が間に合うらしい。

 その翌日、半信半疑ながら言われたとおりに窓枠の釘を抜いてみた時に、驚くべきことが起こったのです。釘を引き抜いてるあいだは強烈な痛みがピーンと走ったのに、釘が抜けたとたんスーッとあれだけ辛かった痛みが噓のように引いてしまったのです!

 そこから1時間くらいで腫れもおさまったので、眼帯も外して登校出来たのです。子供心にも不思議なことがあるんだなあと思いつつ、一方で六角斎の言動が頭から離れない。果たしてこれは偶然だったのか…。

 そしてその日を境に、じつは六角斎の家には“ある目的”で訪れる人達があることに気付くようになりました。出入りする方々の職業はいろいろあれど、皆さん何がしか体の不調、病、怪我等で医者でもない六角斎に相談にやって来るのです。

 では、次回はその現場(六角斎宅)で私が見聞きした事柄をお話しすることに致しましょう。第一病「完」。

<第2回に続く>

我雅院久志(がびいん・ひさし)●江戸時代から続く商家の七代目当主。還暦を迎えた東京生まれの江戸っ子オヤジ。五代目当主だった祖父・六角斎のもとに、病に悩む市井の人々が日々訪ねてくることに気付き、その理由を探ることに。本連載がデビュー作となる。