【道に迷ったとき】『日本人のすごい名言』⑤川端康成「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」

暮らし

2019/11/12

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「はじめに」より

人付き合いに悩んだとき

川端康成「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」名言年齢:89歳

短編集『僕の標本室』(川端康成・著 新潮社)所収「一人の幸福」より

※名言が発表された年を「生まれた」年として、2019年現在何歳になるのかを示しています。

 誰しも幸せに生きたいという願いを持っています。ただし、どういう状態をもって幸福と感じるかは人それぞれです。その人の幸福の基準、幸福観によって、似たような状況でも幸せと感じるか不幸と感じるかは変わるでしょう。

「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば、自分の幸福なのだ」は、川端康成の短編小説「一人の幸福」に出てくる言葉です。

 小説に出てくる「彼」は、決して成就しないとわかっている恋の相手である勝子に、不幸な境遇の弟がいることを知ります。そして、その弟を自分の力で救ってあげようと思い立ちます。この思いつきは彼を幸せな気持ちにしました。それまで勝子に対する思いに悶々とし、悩み、思いつめていたけれど、急に迷いが晴れたようになります。勝子の弟たった一人でも幸福にできるのなら、それが自分の幸福になるのだと感じて嬉しくなるのです。

 小説の中の言葉ですが、川端康成自身の実感でもあると思います。

 川端は幼少期から多くの肉親の死に直面し、孤独と向き合ってきました。1歳で父を、2歳で母を亡くしただけでなく、14歳までに祖父母と姉、すべての肉親を亡くし天涯孤独となってしまいました。「葬式の名人」という短編小説がありますが、主人公のモデルとなったのは川端自身です。

 親戚や周囲の人に親切にはしてもらっても、すべてを受け入れてくれ、甘えられるような存在はいません。母親的な愛は得難い、有難いものとして憧れの対象となっていきます。常に人の顔色をうかがい、心をオープンにできないことを川端は自ら「孤児根性」として蔑んでいました。

 そんな川端の幸福観が表れているのが、「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ」なのです。

■「幸せになりたい」と考えるとキリがない

 他人の幸福が自分の幸福なのですから、自分の快楽を追求するのとは違います。たとえば自分が経済的に成功するとか、自由なライフスタイルを実現するとか、多くの人に尊敬されることではありません。また、他人と比較することでもありません。「あの人と比べれば自分はましだ」と考えて幸福を得ようとするのは、他人の不幸を自分の幸福とするようなものです。

 そうではなくて、一生の間に、たった一人でもいいから誰かを幸福にする。「一生に一人でもいい」と考えればハードルが低いようにも思いますが、川端にとっての母親的な愛がそうであったように、普通だけれど実は難しい。有難いものでもあるのです。

 教師なら、「先生のおかげで救われました」と言ってくれる生徒が一人でもいたら、教師冥利に尽きます。医者なら、患者さんを一人でも助けることができれば、医者になって良かったと思えるでしょう。どんな仕事でもそうです。「あなたのおかげで本当に助かった」と心から喜んでくれる人がいたら、何物にも替えがたい喜びになります。

「幸せになりたい」と考えると、不足しているものに目がいってキリがない感じがしますが、「誰かを幸せにしよう」と考えれば実現のとっかかりも見つけやすいのではないでしょうか。川端の小説「一人の幸福」に出てきた「彼」のように、迷いが晴れ、嬉しい気持ちで満たされるかもしれません。

 それにしても、川端の小説を読むとその日本語の美しさに惚れ惚れします。私は20歳の頃、『山の音』という小説にはまりました。これに出てくる菊子という女性の話し言葉の美しさに心を打たれ、恋をしてしまったほどです。そして、いつか娘が生まれたら菊子と名付けようと決めていました。結局、女の子は生まれませんでしたが。

『山の音』『雪国』なども、その日本語の美しさも味わいながらぜひ読んでほしいと思います。

かわばたやすなり●小説家、文芸評論家。1899生-1972没。東京帝国大学在学中に菊池寛に認められ文壇に出る。横光利一らと『文藝時代』を創刊し、新感覚派の作家として注目を集めた。代表作に『伊豆の踊子』『雪国』など。1968年ノーベル文学賞受賞。

<続きは本で!>