「てんかんの発作から生涯の友に」『江戸秘伝! 病は家から』⑦

文芸・カルチャー

更新日:2019/11/28

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【第七病】てんかんの発作から生涯の友に(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 前回までの六角斎にぶつけた問答で、まだわからないこともあるけれど、なんとなく分かってきた気もします。では今回からは具体的な病のエピソードを述べていくことにしてみます。

 第二次大戦から20年が過ぎ、世の中は明治百年と高度成長に浮かれていた頃、小学校のクラス替えがありました。まさにガラガラぽんと生徒が入れ替わるゆえ、期待と興奮が入り混じっての登校でした。

 担任も今までの若い女の先生から一転して、かつてビルマ戦線で将校だったという、つわもの先生。

 「貴様ら、背の順に整列して一の川(教室の机の縦列のこと)から座れ!」と号令一下。

 そして、私の隣に不安気に席についていたのが生涯の友となるМ君だったのです。お互いすぐ打ち解けて、何でも話し合える仲となりました。

 ある日ふとМ君が

 「実は僕、てんかん持ちなんだ。もしもの時は頼んだよ」

 と言うのです。私は

 「よしわかった。任せておきなよ」

 と、‘てんかん’が何たるかも知らずに応えていました。

 そして梅雨に入っての音楽の授業中、その時がやってきたのです。

 直立の姿勢で合唱の最中に、突然ぐずぐずっとМ君が仰向けに倒れ込みました。

 「キャツ!」と周りの女子達が悲鳴を上げた訳は、М君の全身が小刻みに痙攣(けいれん)していたばかりか、何と口からはまるでカニのようにブクブクと泡を吹き出していたからです。

 こ、これは一体どうしたことかとМ君を抱き起こそうとした途端に

 「バカもん!触っちゃいかん、てんかんだぞ」

 と将校先生の一喝。あとは保健の先生やら救急車やらとバタバタしてМ君は病院へ。何もしてあげられなかった自分をあの時ほど悔やんだ事はありませんでした。

 ただ将校先生の

 「我雅院、お前が付き添って行け」

 の一声で、М君のランドセルも抱えて初めての救急車に揺られて車窓からの雨の景色をぼんやりと見ていました。

 夕方になる頃にはМ君もすっかり回復して、病室で私といつも通りの二人の様子に戻りました。学校からの連絡がどういう経緯で引取り役に六角斎となったのか

 「おー、ここに居ったか。大学病院は広すぎて困る」

 と、現れたのは六角斎と担任の将校先生でした。かのビルマ戦線生き残りの豪傑が、六角斎の何かの後輩らしく普段と違い、えらくかしこまっていました。

 「ふうむ、てんかんとは難儀したろう。で、これが何度目の発作かわかるかな」

 (ははーん、やっぱり六角斎は‘てんかん’の病を突き止めたくてやって来たんだな)と察して

 「М君、心配いらないよ。僕のお爺ちゃんはね、お医者じゃないけど、こと病気に関しちゃ案外いろんな人が尋ねて来る不思議な存在さ」

 と説明を始めたら横から担任の先生が、

 「その通り。実は先生も昔、六角斎殿に助けられたんだよ。てんかんを起こした時にな」

 ガビーン!(将校先生もМ君と同じ‘てんかん’の経験をしてたのか。そして六角斎にお世話になった訳だな。それじゃ六角斎に連絡したのは先生が知らせたんだな)。

 一息ついて先生が言うには、学生時代に講道館で柔道の乱取り(組み合い練習)で寝技をかけられた時に、丁度てんかんの発作が出て泡を吹いて気を失ったそうだ。

 皆は、一本取られて参っている位で見ていたけれど、居合わせた六角斎だけが迅速な対応をし、さらに先生宅に出向き、家でやらかした事柄と‘てんかん’の起きた意味をこんこんと話してくれた。

 それ以来六角斎には頭が上がらず、何とビルマ戦線から無事戻れたのも六角斎の或る助言があったかららしい(この壮絶なお話は何れ別の機会にと致しましょう)。

 さあМ君に戻ります。М君いわく

 「えーと、最初に症状が出たのは確か5年位前だと思います」

 すると六角斎は何やら左手の指をもぞもぞ動かし始めました。六角斎にとって指の動きが計算機替わりになるそうで、きっとМ君の家でなした事柄とМ君の症状とを照らし合わせている様子です。六角斎は

 「ふうむ、やはりこれか」

 と前置きを言ってから

 「戦後つつましく暮らして来た人々が高度成長の波にもまれて、銭湯通いが内湯になったり肥溜め便所を埋めて水洗式にしたり、ガッチャンガッチャン汲んでいた井戸も潰してと、古い木造住宅は様変わりする一方だわい」

 と一気にまくし立てました。そしてМ君には優しく

 「久志から聞いてはおったが、お宅は元お武家の広い屋敷跡に住まわれておるようじゃな?」

 と尋ねます。

 「庭には池もあったそうな。わしの経験からすると……」

 と、チラッと将校先生を見やってから

 「彼の家も同じような配置だったよ。案の定、井戸と池を沢山の土砂で埋め潰してしまった年の瀬に、頑丈な彼が‘てんかん’で倒れたのさ。ずぶずぶずーとか音を出して泡を吹いとったわい。まるで、池の水を土砂で埋める時の音もきっとそうだったろうね」

 ここまでくると、私でさえ六角斎の次の言葉が読めました。

 「М君の家の井戸や池を6年位前に潰してたりしてないかい?」と。

 訪れたこともないのに、ズバリと自分の家で為したことを言い当てられて、М君はしばらくポカンとした様子でした。幸いМ君の症状に新しく出た薬がよく効いて、それ以後は発作が治まり再発もなく今に至っています。

 梅雨も明け、担任の家庭訪問が済むと、将校先生が私にこんなことを漏らしました。

 「あのな我雅院。Мの家庭訪問が最後の順番で、日が暮れる頃だった。終わって木戸を閉めると垣根の端に何かうずくまっている影がある。目を凝らすと、いいか、君のお爺さんが地面にひたいを付けて一心に何か呟いている。思うに、きっとМ宅の井戸と池のあった方に向いて、六角斎殿自らも関わりがあった由縁からかお詫びしていたに違いない。昔、先生の時もそうしていたのかと思うと頭が下がるよ」

 (へー、いい加減を装っているご隠居さんのようで、六角斎案外と律儀な面あるんだな)

 いつも通りМ君との帰り道、今度はМ君がこう言いました。

 「よくよく考えてみたんだけど、確かに久志、君は全くのところ病と無縁だね。誰しも大病したり、家族の誰かが入院してたりと大変なんだよ。そこいくと君は病気知らずで羨ましいよ。秘訣はあのお爺さんなの?不思議だなあ?」

 そうか、そのためにも、この“江戸㊙伝”をもっと知らしめたいなと覚悟したところで、第七病「完」。

<第8回に続く>

我雅院久志(がびいん・ひさし)●江戸時代から続く商家の七代目当主。還暦を迎えた東京生まれの江戸っ子オヤジ。五代目当主だった祖父・六角斎のもとに、病に悩む市井の人々が日々訪ねてくることに気付き、その理由を探ることに。本連載がデビュー作となる。