「南部藩士の末裔って一体誰? 下痢の原因とは。」『江戸秘伝! 病は家から』⑧

文芸・カルチャー

2019/11/29

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【第八病】南部藩士の末裔って一体誰? 下痢の原因とは。(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 国語の授業で

 「世界で一番偉い人は誰だと思う?」

 の問いかけ。小学生の頭でキリスト、野口英世、ヘレン・ケラーとかが出尽くして、担任が言うには

 「先生は、ウー・タントかなあ」

 でした。国連の事務総長だとか。ふーん、成る程ね。

 早速、下校して六角斎を掴まえると、同じ質問をしてみました。出し抜けに何じゃらと言いつつ

 「まあ、これまでに出会った人物の中で答えるとすれば、佐藤昌介先生をおいて他にはあるまいな」

 (またまた一体全体どなたですか?)

 以下、六角斎流の対話でその方の人物像を現してくれました。

 「クラーク博士は知っておろうの?」

 「うん、少年よ大志を抱け、でしょう」

 「そうやって師に励まされた生徒らの中でピカ一の逸材じゃよ。」

 ちょっと知ったかぶりしてみて

 「新渡戸稲造とか?」

 すると

 「ハッハ、稲造など昌介先生には及びもせんわい」

 そして

 「よいかな、昌介先生は今の北海道大学の生みの親じゃ。クラーク博士の銅像なんぞ郊外の丘の上だが、昌介先生の胸像は北大の正面にドーンと置かれておる」

 会ったことあるの?と尋ねると、

 「たった一度だけある。確か安政3年の人だから、大正10年頃は65才位だったかな。紳士即ちジェントルマンとは、まさに先生の為にある言葉だと、当時二十代の自分は、誠におそれ多い方とお見受けした」

 でも、と一息ついて

 「実際に親しかったのは、先生の次男坊の昌植君とのスキー仲間の縁からさ。二人して屯田兵仕込みの一本ストック滑りも習得。大正の頃は竹のストックにわらの靴でもスイスイ滑っておったぞ」

 (そろそろ‘病は家から’の話にして下さいよ)

 今回テーマとする病とは、その男爵(そうか、華族のお方か!)昌植氏の持病たる症状(ひどい下痢)のことだと、六角斎が懐かしそうに話し始めました。

 そもそも昌介先生もバロン(男爵)佐藤の称号でしたが、昌植さんは母方の稲田家(阿波徳島藩筆頭家老、洲本城主)を継いでの十七代当主。世が世ならお殿様。そうした華族のお屋敷に、六角斎は調子よく、そして遠慮なく入りびたっていたそうです。

 決まって落ち葉の季節になると、昌植さんは起き上がれぬ程のひどい下痢を発症します。

 「おい六角よ、貴様は‘病の成り立ち’がどうしたこうしたと妙なことを申すときがあるな。僕の今回の下痢は何が原因なんだい?」

 そりゃ入りびたりで屋敷の隅々までご存知の六角斎、

 「うん、君の広い屋敷周りは、板塀の外側をぐるりと深い溝が掘られている。生い茂る木々の落ち葉が吹き溜まり、溝がつかえて来ると使用人達総出でドブさらいをするよね。まさに、腐ったゴミを掻き出す溝の、屋敷での役目と、君のはらわたに溜まる排泄物の、体での役目とが、僕にはダブって見える」

 「六角よ、それではどうしたらいいんだい?」

 「君は当主だから、年の初めに‘我が屋敷周りのドブさらいを本年もやらせて頂きます。宜しくお願いします’と念じてごらん。」

 すると、

 「なあ六角斎よ、その‘念じる’ことで快方に向かうのなら有難い限りだが、一体どういう訳なの?」

 「大事な点は二つある。先ずは皆が勘違いしがちなことだが、念じれば必ず快方に向かうとは決して思ってはいけないよ。快方に向かうのを当然のこととして念ずるなど本末転倒だよ。だって病が治るか治らないかを、君が決められるわけではないだろうが」

 「たしかにそれは一理あるが。で、二つ目は?」

 「次は、念じてお願いする相手は誰かということ。それは、一番近くは自分の両親に対してだし、果てしなくつながる君のご先祖達へ発する誓いともいえる。あくまでも君がこの地に住んでいるのは、さかのぼればご先祖から受け継いだ地所であるがゆえに、君がする行いは‘お願いしてから行う’ということに尽きるんだ」

 「ふーん、そんなものかなあ」

 「大事なのはご先祖様に感謝するということさ」

 半信半疑ながらそれを聞いた昌植さん、それでも以後は毎年心から只ひたすら、ドブさらいをさせて頂きます。お願いいたします。と念じていたところ、不思議にもひどい下痢が起こることがなくなったようです。

 あれから半世紀が経ち、私の七代目としての商家の営みも今や海外に出向くご時世と相成りました。毎年桜の季節には、ワシントンD.Cにての全米桜祭りに参加し日米交流の一端を担わせて頂いています。

 それは或る年のことでした。 さる協会の理事の中に、唯一日本人とお見受けするご婦人がおられました。米空軍の高級将校とご結婚された由。古希を過ぎても威厳のあるご容貌です。

 その時ふと私は、昔に六角斎が言った‘一期一会’の空気を何故かしら感じたのです。

 「我雅院 久志です。」

 「ご機嫌よう。K・昭子と申します。」

 挨拶後、お互いの経歴や出身地に及び、昭子女史の旧姓は佐藤、岩手の出と……。

 「ご先祖は?」

 「はい、私の曽祖父は佐藤昌介と申し、南部藩士の子。北大初代総長ですのよ。」

 ガビーン!の二乗です! 何という巡りあわせでしょう。

 六角斎が尊敬して止まない昌介先生の曾孫さんと、事もあろうに遥か日本を離れたアメリカの首都でお会いするなど、六角斎が知ったなら彼もガビーン!と発したでしょうね。

 悟ったことは、世の中は必ずみんな何がしか繋がっている。それは、時空を超えても然り。と納得して、今回はここまで。第八病「完」。

<第9回に続く>