東京を離れることは「負け」ではないと教えてくれた、ひとりの写真家による凄惨な“生の記録”と祝祭の風景【読書日記12冊目】

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/26

2015年11月某日

 Twitterで相互フォローだった男性からDMが届いたので会うことにした。私も彼の思考はおもしろいと思っていたし、彼も私の文章がおもしろいと思ってくれているようだった。

 インターネットで知り合って会うのは全然怖くない。ツイートを見ていたら、危ないか危なくないかはわかる。新卒で入った会社を1年で辞めてからのこの半年は家がなく、60リットルのバックパックを背負って友人やその日に知り合って仲良くなった人の家やネットカフェを転々とする毎日だったから、人を見る目が磨かれた気がする。何もかもわかるなんていうのは傲慢だけど、少なくとも危ないか危なくないかくらいはわかる。危なかったとしても絶対に大丈夫。都会でのサバイバル生活で培ってきた変な自信があった。

 逆を言えば、私にはそれしかなかった。家もなければ、お金もツテも実績もなくて、そんな状態でも都会で生きていけるというのが私のつまらない、ただ唯一の自負だった。自分でもこんな生活をいつまで続けるんだろうと思っていた。だから、心配するフリをして「どうせすぐに食えなくなる」と言ったり、嫌がらせをしてきたりする先輩の言葉が、意地悪だとわかっていてもつらかった。先を生きる人間は、自分より遅く生まれてきた人間の未来を人質にとれる。ただでさえ先の見えない生活を人質にとられて、鈍くて重い痛みがいつも胃のあたりにあった。何もない中で、東京で今生きているという事実だけが確かな救いだった。

「明日はどうしましょう」

 そうメッセージすると、彼は「僕の家はお店をやっていて、おもしろいのでぜひ来てください。僕がもてなします」と言う。

 待ち合わせたのは都心から少し離れた駅だった。現れたのは悪い人ではなさそうだったけれど、なんというかちょっと浮世離れした不思議な雰囲気がある。

 はじめましてと挨拶した後はスーパーに直行し、ふたりで水や食材を買い込んで彼の“お店”に行く。連れてこられた“お店”はどう見ても普通のアパートで、さすがの私も少し怖くなってきてしまった。

「すみません、やっぱりちょっと怖いかもしれません、入るの」

 そう言うと、彼は「お気持ちはわかります、でも大丈夫ですから」と言う。何がどんな風に大丈夫なんだろうと思いながら目を落とすと、さっきスーパーで買った水や食材の入ったビニール袋の持ち手が彼の手のひらに食い込んで軽くうっ血していた。全く根拠はないけれど、どういうわけか、私はそのうっ血した手のひらを見て「わかりました」と彼の後をついて部屋に入ることにした。

 彼の“お店”は、入ってみても紛れもないただの“家”だった。お店らしいところはなく、大きな段ボールに黒マジックで太く「お店」と書いてあることだけが心ばかりのお店要素だった。彼は買ってきたばかりのペットボトルの水をコップに注いでくれ、奥からズルズルと重そうな段ボール箱を引っ張ってくる。箱を開けると、そこにはびっしりとCDが入っていた。

「今日はCD屋さんです。ここから好きなだけCDを持って行ってください」

 お金は、と聞くと「何かいらないものが出てきたときに僕にそれをください、このお店は貨幣経済で回っていないので」と言う。やっぱりこの人ちょっと変わっているなと思いながら、CDをいくつか選ぶ。歌謡曲の類は一切なくて、どんな曲かも想像できなかったけれど、『宇宙』というアルバムが気になって手に取り、「Dr.マントルとセックス」という曲をかけてもらう。終始「Yeah,マントルマントル、マントル先生とセ~ックス」と言っているだけの曲。地球の核とセックスをして白い閃光を放つ絵が目に浮かぶ。

 なんてエロい歌なんだと思って火照った頬をしきりに擦っていると、彼が、「ののかさんはこれからずっと東京で書き続けていくんですか?」と尋ねてきた。私はすっかり憂鬱になって「まぁ、できる限りは東京にいたいですけど」と肩をすぼめながら答えた。田舎出身で、田舎が嫌で東京に出てきた私にとって、東京にいられなくなることは負けを意味する。CDプレイヤーはまだ「Yeah,マントルマントル」と歌っている。寄る辺のない不安は繁殖して充満し、私はだんだんと苛立ってきた。

 私の不安を察したのか、彼はこう言った。

「あ、僕が言いたかったのはね、ののかさんにとって東京がもしも小さく感じたら海外に出てもいいんじゃないかなってことです。ののかさんが東京をどんな風に思っているかはわからないですけど、どこにいるかって創作するうえで重要なものだと思ったので。これ良かったら読んでみてください」

 彼が差し出してくれたのは、小野博さんの『世界は小さな祝祭であふれている』(モ・クシュラ)だった。

『世界は小さな祝祭であふれている』は、写真家の小野さんが浪人時代から上京した東京での生活と、その後オランダに移住してからの生活について綴られているエッセイがメインで、ところどころ東京とオランダで撮影された写真が挟まれている。

 小野さんの東京での生活は悲惨というよりは凄惨なもので、美大浪人時代に占い師に騙されて7万円の印鑑を買わされた話や、ポーカーゲーム店のバイトで“飛んで”いく人を目の当たりにした話、女性が線路に飛び込む瞬間に立ち合ってしまった話、日給2万5千円の工場でのバイトで身体に限界が来て血尿が出るようになってしまった話など、これでもかというほどの惨事に見舞われる。東京での生活について書かれたエッセイには低いうなり声が連綿と流れていて、東京という街が金属製のコンテナの中のように暗くて狭い閉じられた世界として感じられた。小野さんを含めてすべての人が希望を持って上京し、バッタバッタと無念のうちになぎ倒されていく。いくつもの希望たちが折り重なるようにして亡骸になっていく様を眺めながら、いつか自分もそこに骨を埋めるのだろうかと喉に鉛を詰まらせたように重たい気持ちで読み進めた。

 しかし、“Amsterdam or Die”まで追い詰められた小野さんが見事奨学金を受け、アムステルダムでの生活を始めた頃から、物語のトーンは一変する。文体もエッセイから日記調に切り替わり、生活がより一層身近に感じられるようになる。東京編ではモノクロだった写真も色彩を帯びるようになる。

 小野さんのアムステルダムでの生活も傍で読む限り、凪のように穏やかなものではない。肉屋のムハンマドさんに脂まみれの手でギュッと手を握られ、近所のインド人が経営しているスリナム料理店に行けばラムカレーを注文して50分以上待たされる。女友達に「サウナに行こうよ」と言われて行ってみると混浴で腰を抜かす。日常が決して平凡なものではないのは変わらないけれど、アムステルダムでの生活には人と人との交流による摩擦で、確かに熱が生まれていた。

 特に印象的だったのは、パリでアラブ系の若者に暴行を受けたときのエピソードだ。カメラを狙われ、理不尽にも何度も何度も蹴りを入れられた小野さんは、その後、助けてくれようと声をかけてくれた黒人のおじさんにまで敵意を向けてしまいそうになる。しかし、道行く人たちに「大丈夫?」とやさしく声をかけられるうちに、頑なだった心が融けて少しずつ自分を取り戻していく。もしも東京で同じような目に遭ったとしても、少なくとも小野さんの視点から見てきた東京では、そのようなあたたかさを感じることはなかっただろう。

 また、小野さんがアムステルダムに移住してからの最も大きな出来事のひとつに、3.11がある。震災が起きてからの数日のことが綴られているほか、あとがき以外で3.11について触れられてはいない。1冊の本にしても良いほどの日本の大テーマが、他の出来事とほぼ並列で綴られている。小野さんはそのことを「無責任かもしれない」と書いているけれど、言葉にしなくても、あたたかなアムステルダムでの生活の中にあっても、絶望と悲しみが流れているのをしっかりと感じた。それでも、小野さんはこんな風に読者を励ます。

“正しいと思うことを叫んでいきましょう、明るいと思う方向に歩いていきましょう。きっとそこには今よりずっと気持ちがいい、もっと優しい世界がボクらを待っているはずです”

 誰にとってもアムステルダムが素晴らしい場所なのかはわからない。けれど、凄惨な東京での生活に文字通り殺されそうになっていた小野さんが『世界は小さな祝祭であふれている』を表題にし、生活を描写する言葉や写真に色を重ねていく様子は手のひらの上で希望になった。

 虚勢を張ってはいたが、正直に言って息苦しかった。しかし、この本を読んでから、逃げ道はあっても出口はない現状にストロー1本ほどの空気口を見つけられた気がした。絶望し尽くしている。しかし、希望もある。日本から遠く離れたアムステルダムという未踏の地に祈り、暗い足元を小さく照らした。

 その本を借りて読み終えた頃には、本の主である彼とは疎遠になってしまった。返しそびれたこの本は今も私の手元にある。

 自宅の本棚のお気に入りコーナーに差した本の背表紙が目に入るたび、彼が添えてくれた言葉を思い出す。

「東京は悪い場所じゃないですよ。ただ、東京で才能を開花させることができなかったら、それはあなたにとっては東京が合わなかったというだけのことです。場所さえ間違えなければ、あなたは絶対に咲ける人なので」

 あれから4年が経った。今のところ東京に殺されてもいないけれど、開花してもいない。私は東京が好きだし、まだまだこの街に住み続けると思う。でも、いつか思い立ったら、地元でも、東京でも、その他の地方都市でもない別の居場所があるかもしれないという希望は、私の凸凹な日々をささやかな祝祭に変えてくれているのだ。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。Twitter:@sasakinonoka