牛の足に手足を縛りつけ八つ裂きに… 織田信長の残忍な一面/『日本の歴史人物 悪人事典』①

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公開日:2020/2/15

小説やマンガ、映画の世界では、 正義のために戦うヒーローがいれば かならず敵対する悪役がいます。 歴史上でも同じように、 世の中を動かしたスゴい偉人の裏には、いつの時代も悪人の存在がありました。だから、「悪人」を知れば 教科書にはのっていない歴史の秘密が見えてくるかも――? 大泥棒、独裁者、裏切り者、詐欺師、悪女、テロリスト… 日本史上の悪人40人が大集結! こわいけれど、おもしろい。「悪人」たちの世界へようこそ。

『日本の歴史人物 悪人事典』(河合敦/ワニブックス)

人気ナンバー1! 日本史のカリスマの裏には残忍な一面も……

織田信長

生没年:1534~1582年
享年:47歳
出身地:尾張

 日本の偉人の中で、織田信長は圧とう的な人気をほこっています。混乱した戦国時代に天下統一を目標にかかげ、鉄砲や鉄船などの新兵器を用いて領地を拡大し、あと少しで日本全土を平定する勢いを見せたからでしょう。

 また、安土城という美しい総石がきづくりの巨大な城をつくったり、ヨーロッパから伝来したキリスト教を積極的に認めたり、関所※をてっぱいして城下で自由に商売をさせたり(楽市令)と、ざん新な政策を次々と打ち出だしていきました。

 また、決断力に優れていたり、強大な敵の包囲網にもくっしないという強い性格も人気の秘密なのかもしれません。

 ただ、その一方でかなり残こくなことをしているのです。たとえば信長は、能力がある者は豊臣秀吉や明智光秀のようにどんどん取り立てましたが、重臣であっても能力のない者には容しゃしませんでした。佐久間信盛や林秀貞などは、家老※として長年織田家に仕えてきたにもかかわらず、その能力のなさを書面でボロクソにけなし、織田家から追放しています。

 自分に敵対する人間や組織にも容しゃしません。1571年には大きな勢力を持っていた比叡山延暦寺を焼き打ちし、多くの僧侶を殺害しました。一向一揆※に対しても、みな殺しを命じています。数年間におよんだ伊勢長島の一向一揆では、敵がこもる二つの城をてっ底的に包囲し、にげられないようにしたうえで火攻めにし、2万人の門徒たちを焼き殺してしまいました。まさに大虐殺です!

 自分に逆らった一族や家臣も許しませんでした。たとえば、謀反を起こした弟・信勝をだまして自分の屋しきに呼んで殺害していますし、敵にねがえったおばをつかまえ、逆さ磔の刑にしています。これは、磔の刑の中でも特に残ぎゃくな刑です。

 あるとき、重臣の荒木村重が謀反を起こして有岡城に立てこもりましたが、攻防の末、城を落としました。すると信長は、人質にした村重の家臣を小屋の中に閉じこめ、周囲にまきを積んで火をつけて蒸し焼きにしたり、多数の女性と子どもを磔にしたり、数頭の牛の足に手足をしばりつけ、牛を走らせて八つざきの刑にしたのです。人質ですから、罪のない人たちですよ。こんなひどいことを淡々とおこなえるとは、なんとおそろしいことでしょう。

 現代ではたいへん人気のある織田信長ですが、じつは数え切れない人びとの命をうばった悪人でもあるのです。

用語解説

【関所】国境などに設置され、通行人や荷物の取り調べをおこない、通行料を徴収する施設。

【家老】家臣の長。

【一向一揆】一向宗(浄土真宗)の門徒たちが、支配者である大名と戦った一揆。

<第2回に続く>