仕事はできるのに掃除はできないのはなぜ… 終わりのない家事との向き合い方/『どんなずぼらさんでも「これなら絶対! 」片づく技術 』④

暮らし

公開日:2020/3/3

今までの「片づけ本」では片づかなかった人、 家事が苦手で「どこから手をつけていいのか」途方に暮れている人…必見! 世界中の「ずぼらさん」を感動させたベストセラーが、ついに邦訳。「お皿を洗う」――たったそれだけの小さな習慣が人生を変え、 家事・片づけが絶望的に苦手なわたしを救った――。ずぼらあるあるが、ちょっとしたコツでスッキリ解消!

『どんなずぼらさんでも「これなら絶対! 」片づく技術 「たった1つの習慣」で人生が変わる』(ダナ・K・ホワイト:著、大浦千鶴子:訳/マガジンハウス)

そうじは「一生に一度の大プロジェクト」ではない

幻想

いつかまるまる1カ月、家の片づけに専念できたら、ピカピカに仕上げてみせる。

現実

家事に終わりはない。絶対に。

仕事はデキるのに、そうじができない人

 結婚前に、子どもたちに舞台演劇を教える仕事をしていたときのこと。

 わたしの個人オフィスは、例によって散らかり放題でしたが、作品づくりには自信を持っていました。

 舞台では役者も裏方も、どこで何をするか正確に把握していなくてはなりません。スケジュール管理は必須です。そのうえで、1つの場面を60回はくり返して稽古します。ひたすら、演技の完成度を高めるために。

「プロジェクト」となると、わたしは夢中になってしまうのです。それ以外のことは何もかも一時停止。プロジェクト完了のとき、舞台袖で割れんばかりの喝采(かっさい)を心ゆくまで味わう瞬間が何よりも楽しみでした。

 こんなわけで、もともと「演出家のわたし」を知っている人は、「家事の先延ばしグセがついた、ずぼらなわたし」をなかなか理解できないかもしれません。

 大きなプロジェクトを終わらせるのが好きな自分。全力でがんばり、終わったら幕を引き、その(がんばった結果の)輝かしい瞬間の記憶を胸に、残りの人生を生きていく。

 舞台のように1つを終わらせて、次へ行くというのが好きなのです。一度ちゃんと終わったことをやり直すなんて、なんだかつまらなくてイヤだと思ってしまう。

 本書は「脱ずぼらプロジェクト」についての本だとはいえ、家事のひとつひとつは「プロジェクト」ではありません。家事に終わりはないからです。

 わたしは自宅を1つの巨大なプロジェクトと見ていましたが、家のことをプロジェクトと見るのは意味のないことです。

 たとえば、わたしだってホームパーティのような目標がはっきりとあれば、そうじの計画を書き出し、それに従って行動できます。お客を中に招き入れるときは(わたしの家はいつだってこんなふうに片づいているのよ、という顔つきで)、完璧にもてなします。

 だけど頭の痛い問題は、パーティの3日後。

 パーティに向けてそうじを始める前よりひどいありさまだからです。ガラクタが再びどこからか現れ、皿は流し台に山となり、床には汚れた靴下が散らかります。

 あんなに必死にがんばったあげく、わたしはまた自分に裏切られたのです。失敗のたびに、自己不信感が募っていきます。

 どうしてこうなった? たぶん「パーティの準備完了」と「散乱状態」のあいだの3日間が原因です。その3日間が、わたしの「ずぼら脳」内のブラックホール。

 一度プロジェクトが終わったのだから、また全力で取り組むべき新たなプロジェクトが発生するまで待てばいい――これが「ずぼら思考」です。

 汚れた皿の山が高くなって、いよいよ「お皿を洗う」という名のプロジェクトを立ち上げるときまで、わたしはひたすら待ちました。

現実をくもらせる「ずぼらさんの視界」

 ずぼらさんには、ずぼらさん特有の「ずぼら視覚」があります。

 2、3枚ほど積み重なった皿は目に入りません。じわじわと進む散乱は、見えないのです。

 美しくきれいに整っている状態と、めちゃくちゃに散らかった状態は見えますが、その中間を脳が検知することはありません。

 もちろん、ふとした瞬間に、散らかった様子が目に留まることもありますよ。

 しかし、そんなときでも、それが緊急を要する光景には映らないのです。なんといっても、家のなか全体が「いつもよりずっといい感じ」。この「いつもよりずっといい感じ」のときは、なぜか、皿洗いをさぼってもいいよね? と思ってしまうのです。

【パーティ前の3週間にわたしが全力を注いだこと】
①そうじすること
②ものを処分すること
③カウンターに皿を積み上げないこと

 だとしたら、

【パーティ後の3日間のわたし】
①まだそうじしなくてもいい
②まだものを処分しなくてもいい
③まだ皿を気にしなくてもいい

 しかし、現実はそうはうまくいきません。

 2つの「片づけのプロジェクト」のあいだが長引けば長引くほど、「片づけのプロジェクト」は圧倒的に大変になり、ますます先延ばしにしてしまいます。

 これを打開する方法は何でしょう?

 お皿を洗うことです。

 わたしが受け入れるべきは、家事は壮大なプロジェクトではないという事実。

 むしろ退屈で、平凡で、いつも同じことのくり返し。家のなかをいつもきれいにしている人というのは、こういう退屈で平凡なことをコツコツとくり返しているわけです。

 これは、かなりうんざりとする現実です。とりわけわたしのように、仕事においてはそれなりに有能だという自信があり、なににつけてもよりよく改善できる方法をつかんでいるという確信があって、目標設定に向かってイキイキとがんばれる人間にとっては。

 でも、いいニュースもあります。

 食器を洗うとなったら、わたしはかならず2、3時間はかかると踏んでいました。

 食洗機に食器を何度も入れては出し、ありったけの鍋やフライパンを手で洗ったところ、なんと、全部がきれいになった段階で食器類が戸棚に収まらないという事態が起きました。

 わたしには「汚れた皿の算数」がわかっていなかったのです。当然、家のなかの皿を1枚残らず洗うには何時間もかかります。

 ところが翌日は、小皿が10枚にグラスが12個、コーヒーカップ3個とパスタ鍋1個と小鍋1個ですみました。そうなると、あら不思議。全部まとめて、食洗機に収まってしまいました。

 1回分なら、食洗機から食器を出して戸棚に片づけるのに5分もかかりません。それに、また食洗機に食器を入れるのも5分だけ。

 あわせて、たったの10分です。

 だけど2日分の汚れた食器は、一度に食洗機に収まりません。だから、毎日やれば10分で終わるのに、1日あけたら(入りきらない分を手で洗うことになるから)20分はよけいにかかってしまいます。

 3日分たまると、どうなるかって?

 当然、何時間かけても終わらない状態に逆戻りです。

 というわけで、新しい目標は、

「食器洗いが巨大なプロジェクトにならないように、毎日コツコツ洗うこと」。

 じつは、基本的な家事がプロジェクトじゃないと気づいたとたん、人生は変わります。

 毎日、食器洗いを続けると、洗い物をためてから「プロジェクト」として行ったときよりずっと短時間で終わってしまい、精神的な負担も少なくなります。

 そう、これでほかの「本当にやるべきこと」のための時間ができました。

 バスルームの模様替えをしたり、本を書いたり、子どもたちといっしょに裏庭の花壇に苗を植えたり、そういうわたしの好きなことのための時間が。

 まるで魔法のよう。

「ええ~? ただ食器を洗うだけなの?」だなんて、わたしがあまりにも単純に考えていると思いますか?

 心配はいりません。そこのところを、これからくわしく詰めていきましょう。

<第5回に続く>

この記事で紹介した書籍ほか

どんなずぼらさんでも「これなら絶対! 」片づく技術 「たった1つの習慣」で人生が変わる

著:
翻訳:
出版社:
マガジンハウス
発売日:
ISBN:
9784838730780