【宇垣美里・愛しのショコラ】板チョコは反抗の証/第2回

小説・エッセイ

更新日:2020/4/30

 板チョコは反抗の証だった。

 例えばテストの点数が悪かったこと、納得できない理由で怒られたとき、あんなに頑張って練習したのに選ばれなかった演奏会のソリスト。そんなどうにもならないもやもやを抱えてむしゃくしゃしたら、早めに発散するに限る。溜め込みすぎると心の中でどろどろに腐って見ないふりした自分に返ってきてしまうから。

 物に八つ当たりするのは心が痛むし、人に伝えたところで本当の痛みは共有できやしない。グレるには冷静すぎたし、泣く程のエネルギーがあるわけでもない。

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 だから私はチョコレートを食べる。この時のためにとっておいたとっておきの板チョコ。美しい包装紙をバリバリはがして豪快に犬歯で噛み砕く。なんて罪深い。いつもは一粒一粒を宝石のように味わうようにしている。板チョコだって、まず手で食べやすいサイズに割ってから口に運ぶのが定石だ。

 でも、たまにはいいじゃない。今日の私はちょっとむしゃくしゃしてるんだから、海賊のように贅沢に、ざくざくと一思いに食べたって。口元で割れるときのパキっという音!これこそが板チョコを食べる際の醍醐味だ。

 間にフルーツのソースが挟んであるタイプは、割った瞬間から甘酸っぱい香りが辺りに広がって、うっとりする。アーモンドやドライフルーツ、ピスタチオがあふれんばかりに乗ったものは、まるで宝箱のようできゅんきゅんが止まらない。美しい文様や香り、味わいで頭の中はいっぱいになって、そのちょっと前までくるしいほどに詰まっていたはずの苦い記憶は、容量オーバーでどこかに飛んで行っちゃいました。残念。

 それでも忘れちゃいけない悔しさにはカカオ濃度の高い、ビターな板チョコを選ぶようにしている。口の中いっぱいに広がるカカオの苦みが、その時の怒りを激情を、悲しみを強烈なまでに私の脳裏に刻み付ける。

 学生の頃、進路について親と揉めては、塾の自習室にこもって板チョコを頬張っていたなあ。大人になっても、あのカカオの風味にざらついたビターチョコレートを口にすると、あの時教室に響いていた、生徒たちの走らせるシャーペンの音が聞こえるような気がしてしまう。

 気づけば次の反抗期用にと板チョコを買い集めるようになった。お気に入りはオレンジの風味やラムの香りが漂うタイプのもの。フルーツがいっぱいにプリントされたものや、かわいい動物のイラストに一目惚れしてジャケ買いしてしまうことも多い。海外旅行では今まであったことのない板チョコに出会えるまたとないチャンス。シャンパン味のものや、ローズオイルの配合されているもの。その土地ならではの板チョコが大好物で、中東ではデーツが入っているものやラクダミルクで作られているものも!

 「これはグレない私の唯一するワルイコトだから…」と値段を気にせず買うようになったらもっともっと楽しくなった。家には常時ストックの板チョコがたんまりある。これでどんなもやもやが私を包んでも大丈夫。酒に溺れて体を壊すこともなければ、ヤケになって危ない遊びに手を出すこともない。板チョコを一心に、後先考えずにぺろりと食べてしまうことが、きっと私なりの復讐なんだろう。

 未だに仕事やプライベートでへこむと板チョコに手を伸ばす。どんな天気の日も決まってベランダに出て食べるのがマイルールだ。だって、反抗しているのにソファでコーヒー片手に食べるなんて、ちぐはぐじゃない。

 悲しみの真っ只中にいる時は噛むという行為すら億劫で手を出せないけれど、悲しみが怒りに変わった今は全てを薙ぎ払うパワーを手にしてる。だから、解けるように柔らかな口溶けじゃだめだった。夢のようにおぼろげな存在じゃ救われない。この歯ごたえが私には必要だった。

 夜風を浴び、街の光をぼんやりとながめながら、板チョコをバリンバリンと噛みくだく。
 見えない何かに木刀を振り下ろすように、機関銃を撃ち放すように。

 ばりん。私は無敵。

【筆者プロフィール】
宇垣美里(うがき・みさと)
兵庫県出身。2019年3月にTBSテレビを退社し、4月からフリーのアナウンサーとして活躍中。チョコレートのほか、無類の旅好き、コスメ好きとしても知られる。週刊誌、WEBサイトでコラムやエッセイなど多数連載中。19年にはファーストフォトエッセイ「風をたべる」を刊行。

撮影=中村和孝(まきうらオフィス)/ヘアメイク=AYA(LA DONNA)/スタイリスト=小川未久(宇垣さん衣装)、片野坂圭子(雑貨)/編集協力=千葉由知(ribelo visualworks)

衣装協力=【ドットスカート】メゾン イエナ(スカート / 03-5731-8841)、その他 スタイリスト私物