「灰は灰に、猫はメイドに」『魔法で人は殺せない』①

小説・エッセイ

更新日:2020/3/21

 森に佇む広壮な邸宅で、伯爵夫人の無残な遺体が発見された。捜査に赴いたダベンポートは、魔法による事件ではないと踏んでいたのだが…。王立魔法院捜査官が数々の事件に挑む1話完結の新感覚・知性派魔法ミステリー6話収録。多彩なキャラクターが織り成す奇想世界が、遂に出現する。

『魔法で人は殺せない』(蒲生竜哉/幻冬舎)

(1)

 バルムンク邸事件から一ヶ月後。
 

「ただいまリリィ」

 魔法院でのペーパーワークを終え、ダベンポートは自宅のドアを開けた。

 ダベンポートの自宅は魔法院の敷地内にある、借家の一つだ。

 王立魔法院は戸建ての家を敷地内に多数所有しており、それを上級職員に無料で貸し出していた。サイズは様々、六人家族向けの大きな家もあれば、ダベンポートのような独身者のための小さな家もある。官舎のようなものだったが、それぞれの家が離れて建てられているのは有り難かった。おかげで周りの物音に煩わされることなく研究に没頭する事ができる。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 すぐに奥から住み込みのメイド、リリィがトタトタと走ってくる。

 リリィの歳はよく知らない。多分二十歳くらいだろう。

 リリィをはじめとする各住宅のメイド達も皆、魔法院から紹介されたものだった。一軒に一人。魔法院の借家には必ず住み込みのメイドがついている。これは家事に感けている暇があったら少しでも多く研究せよという魔法院からのメッセージだったが、確かにこれはありがたい。

 リリィは大人しいが全ての家事をそつなくこなす優秀なメイドだった。掃除、洗濯、食事の準備に、必要なときには話し相手まで。

 ダベンポートが目覚める朝の八時頃までにはちゃんとフルサイズの朝食の準備が終わっており、帰宅する頃には暖炉に赤々と石炭が熾きている。夕食は九時。リリィと二人で食事を摂った後、十二時過ぎまで趣味の研究をしてから就寝というのがダベンポートの毎日の流れだった。

 全てにおいて批判的なダベンポートから見てもリリィは美人だと思う。背の高さはダベンポートの肩くらい。細身の割に豊かな胸、蜂蜜色のブロンド、白い肌。大きな青い瞳に上品な唇。

 メイドをしている女性は多くの場合、貧困層出身の女性だ。

 だが、リリィが日々のパンにも困って路地を徘徊していたとは到底思えない。

(不思議だ)

 魔法院はどこからリリィのようなメイドを見つけてくるのだろう。ダベンポートはリリィを見るたびに不思議に思う。

「リリィ、今日の夕食は何かね?」

 制服のインバネスコートをリリィに脱がせてもらいながら訊ねる。

「今日はステーキにいたしました。グリーンペッパーソースのサーロインステーキミディアムレア、付け合わせは人参とポテト、それにグリーンピースです」

「スープは?」

「グリーンピースのポタージュです」

「誠に結構。美味しそうじゃないか」

「ありがとうございます」

 リリィがペコリと頭を下げる。

「それでは、残りの準備をしますので、旦那様はリビングでお寛ぎください。新聞はティーテーブルに置いてあります」

「ああ、そうさせてもらおうかな」

 ダベンポートはシャツのボタンを緩めながらリビングへと向かった。
 

 二人で頂いた夕食の後、ダベンポートは自分の書斎に引っ込んだ。

 地下室のキッチンからリリィが皿を洗う水音がかすかに聞こえる。

「♪〜」

 リリィが鼻歌を歌っている。

 ダベンポートはリリィの鼻歌をこうして遠くから聞いているのが好きだった。なんとも暖かい気持ちになる。

 ダベンポートの仕事は魔法が関係している事件を扱う王立魔法院の捜査官だ。扱う事件は陰惨なものが多く、ダベンポートはたまに自分でも人の心の持ち合わせが不安になる事がある。

 リリィはそうしたダベンポートの心の拠り所だった。リリィが居れば、ダベンポートは家にいる間だけは人間に戻る事ができた。

「……さて」

 いつものようにノートを開き、本棚から分厚い魔導書のうちの一冊を取り出す。

 魔導書とは言っても、これはどちらかというと過去の判例集に近かった。全三十冊を超えるこの書物には過去に行使された魔法の全ての魔法陣がアーカイブされている。しかも、この書物は毎年魔法院によって更新されていく。基本的には後ろに新しい魔法陣が追加されていくだけだったが、数年おきに全冊入れ替えられていた。

 流石にこれを全て頭の中に叩き込む事は不可能だ。なので、この書物には別途で上下二冊のインデックスが添えられている。

 ダベンポートの今の趣味はこのインデックスを辿って、過去に呪文の跳ね返りを治療した記録がないかどうかを辿る事だった。

 バルムンク事件によって、バルムンク家のメイド長は手酷い跳ね返りを受けた。効果は人猫化。まだ尻尾は生えてきていないが、それも時間の問題だろう。今は耳だけだし、知能も影響を受けていないようだが、何かしない限り絶対に跳ね返りは止まらない。いずれ手足の形が変わり、知能は衰え、体形も変わっていく。

 ダベンポートは自分でも、なぜバルムンク家の「元」メイド長の人猫化を止めたいのか良く判ってはいなかった。

 全ては単なる気まぐれ、完全なる思いつきだ。

 バルムンク家の「元」メイド長、ヴィングが跳ね返りを受けたのはバルムンク伯爵夫人を毒殺し、その死体を隠滅する目的で絶対の禁忌である人体爆縮攻撃を行った結果だった。

 無論、毒殺は許されるべき事ではないし、ましてや禁忌呪文の行使の対価はその身を以て贖ってもらうしかない。

 だがそれでも、ヴィングがただ猫化していく事をなぜかダベンポートは坐視する事ができなかった。

 バルムンク夫人の死は翻ってみれば自身の冷酷さが招いた、自業自得の結果だろう。それに対し、ただ娘たちを守ろうとしただけのヴィングがなぜ罰を受けなければならない?

 法廷が何を言おうが、これはダベンポートの正義からすると正しい事ではない。

 これは、ダベンポートの正義に対する挑戦だった。

 ならば、受けて立とうではないか。

 ダベンポートは黒いシャツの袖を捲り上げると、昨夜しおりを挟んだところから再びインデックスを辿り始めた。

第2回へつづく