「灰は灰に、猫はメイドに」『魔法で人は殺せない』②

文芸・カルチャー

公開日:2020/3/21

 森に佇む広壮な邸宅で、伯爵夫人の無残な遺体が発見された。捜査に赴いたダベンポートは、魔法による事件ではないと踏んでいたのだが…。王立魔法院捜査官が数々の事件に挑む1話完結の新感覚・知性派魔法ミステリー6話収録。多彩なキャラクターが織り成す奇想世界が、遂に出現する。

『魔法で人は殺せない』(蒲生竜哉/幻冬舎)

(2)

「旦那様?」

 夜半過ぎ、いつものようにリリィがダベンポートの書斎にやってきた。礼儀正しい四回ノック。

「やあ、もうそんな時間かい? リリィ」

 立ち上がり、書斎のドアを開ける。

「旦那様、お茶の時間です」

 リリィはトレイにティーポットとティーカップ、それにお茶菓子を載せて静々と入ってきた。

 ティーテーブルにお茶菓子のショートブレッドとティーマットを広げ、ダベンポートの傍に置いたティーカップに丁寧な仕草でお茶を淹れる。

 どうやら今晩はダージリンのようだ。

 お茶好きのダベンポートは常に四種類程度の茶葉を切らさないようにとリリィに命じていた。モーニングブレンド、アールグレイ、ダージリンは外せない。その他にもリリィは街に買い物に出るたびにお茶屋さんを覗き、珍しいお茶があると少量ずつ買ってきてくれる。

 この前買ってきたのはマンゴーの香りのエキゾチックなお茶だった。その前は少し酸味のあるバラのお茶、東洋のお茶を買ってきたこともある。

 一体いかなる尺度で選んでいるのかはダベンポートにも測りかねたが、リリィのお茶に関する選別眼は確かだった。

 それにそれぞれの時間に淹れるお茶の選択もいい。リリィは必ずその時ダベンポートが飲みたいお茶を淹れて持ってくる。

(これはもう、ある種の特殊能力だよな)

 と、ダベンポートは思う。

 リリィは一杯分のお茶をティーカップに注ぐとティーポットをティーマットの上に戻し、ティーコジー(ティーポット保温用のカバー)を被せた。

「それでは旦那様、わたしは先にお休みさせて頂きます。旦那様もあまり夜更かしなさいませんよう」

 トレイを身体の前に抱え、ペコリと最敬礼。

「ああ、ありがとうリリィ。今晩は冷える。暖かくしてお休み」

 これは毎晩の手続きのようなものだった。

 リリィは一日の仕事の仕上げに必ずお茶を淹れてダベンポートの書斎に現れる。少し雑談することもあれば、今日のようにすぐ引き上げることもある。これはどうやら、ダベンポートの忙しさとも関係しているようだった。

 ダベンポートが忙しく調べ物をしたり書き物をしている時、リリィは絶対に長居しない。逆にダベンポートが退屈しているときは、街に買い物に出た時にどんなことがあったのか話してくれることもある。

 この気遣いはありがたい。

 これができないメイドだったらとっくにクビにしているところだ。

 だが実のところ、ダベンポートはリリィとの生活に大変満足していた。

「はい」

 リリィが頷く。

「この前買って頂いたおふとん、暖かいです。ありがとうございます」

「東洋の医者によれば、靴下を穿いて寝たほうが身体が温まるらしいよ」

 ダベンポートは何日か前に同僚に教わった雑学を披瀝した。

「判りました、試してみます。……それでは、お休みなさいませ」

 リリィはもう一度頭を下げると、静かに書斎のドアを閉じて出て行った。

 リリィの寝室は二階の屋根裏部屋だ。本来屋根裏部屋は男性使用人の寝室なのだが、ダベンポートの家には男性使用人がいない。そこでダベンポートは屋根裏部屋全体をリリィの好きに使わせていた。

 今頃、彼女はフックを使って屋根裏部屋に続く急な階段を下ろしているはずだ。その後階段を上げてしまえば後は朝までリリィは自由になる。

(リリィは夜に何をしているんだろう)

 ダベンポートはインデックスを手繰る手を休めると、お茶を飲みながらぼんやりと考えた。

(薄暗い屋根裏部屋で読書をしているとも思えないし、かといって他にすることも考えられないし。すぐに寝てしまうんだろうか……)

 外でフクロウが鳴いている。

 ひょっとしたら、リリィはこういう夜の音を楽しんでいるのかも知れない。

 ダベンポートはしばらくティーカップで両手を温めながらのんびりとした時を楽しんでいたが、やがてお茶を飲み終えると再びインデックスに向かった。

「……続けるか」

 閉じていたインデックスを開き、指で辿りながら手がかりを探す。

 ダベンポートはもう一ヶ月近く今のテーマで苦戦していた。

 苦戦するのには理由がある。

 そもそも、禁忌呪文を使った記録はほとんど残っていなかった。禁忌呪文のに関した研究はさらに少ない。

 実際、ヴィング元メイド長は非常に稀有な例なのだった。

 禁忌呪文の行使に成功し、さらに跳ね返りを受けたにも関わらず五体満足で生きている記録はひょっとしたらヴィングのケースしかないのかも知れない。

 だとしたら、過去の記録から辿るのはお手上げだ、と思わずダベンポートは宙を仰いだ。

 過去事例がないとしたら、それはコトだ。

 全く新しい魔法を一から作らなければならなくなる。

 他にも頭痛の種があった。

 ヴィングは今も騎士団の監獄に囚われている。

 仮に跳ね返りを解決したとしても、死刑囚として絞首刑になっては元も子もない。

 現状、ヴィングはおそらく貴重な研究材料として魔法院の庇護の下にある。

 だが、いつ状況が変わるかは神のみぞ知る、だ。

(脱獄か。牢を抜けるのはおそらく簡単だが、その後が面倒だ。何か追っ手がかからない方法を考えないと……)

 ダベンポートは生ぬるくなってしまったお茶の残りを飲みながら、再びインデックスの解析に没頭した。

第3回へつづく