「灰は灰に、猫はメイドに」『魔法で人は殺せない』③

小説・エッセイ

更新日:2020/3/23

 森に佇む広壮な邸宅で、伯爵夫人の無残な遺体が発見された。捜査に赴いたダベンポートは、魔法による事件ではないと踏んでいたのだが…。王立魔法院捜査官が数々の事件に挑む1話完結の新感覚・知性派魔法ミステリー6話収録。多彩なキャラクターが織り成す奇想世界が、遂に出現する。

『魔法で人は殺せない』(蒲生竜哉/幻冬舎)

(3)

 結局、昨夜は一時近くまでインデックスを解析していた。二分冊の上巻はもう解析してしまった。今は下巻だ。

 だが、下巻が扱うのは上巻よりも瑣末な事例ばかりだ。上巻は大きな魔法に関する派手な記録を中心にアーカイブされているのに対し、下巻はより学究的な、細かい内容が多い。

(下巻を洗うのは骨が折れるな……)

 寝室で制服に着替え、二階から一階に降りる。

 ダイニングではいつものメイド服とエプロンドレスに身を包んだリリィが朝食の準備を終えてダベンポートが降りてくるのを待っていた。

「おはようございます、旦那様」

 ペコリと朝の礼。

「ああ、おはようリリィ」

 ダベンポートはあくびをしながらリリィに答えると自分の席へと向かった。

 すぐにリリィが飛んできてダベンポートの椅子を引いてくれる。

 今日の献立はシリアルに半熟の目玉焼き二つ、ベーコン三枚にソーセージ、ベイクド・ビーンズ。お茶はモーニングブレンドだ。朝はミルクティーと決まっているダベンポートのためにポットに入ったミルクも添えられている。

 早速リリィがダベンポートのティーカップにお茶を注いでくれる。ダベンポートはそこにミルクを足して、ミルクが多めのミルクティーにした。

「ふわ……」

 つい、あくびが漏れる。

 今日は早寝にしよう、とダベンポートは決めた。寝不足ではいい仕事は出来ない。

「旦那様、昨日は遅かったのですか?」

 とリリィが気遣う。

「ああ、一時くらいかな。気づいたら思ったよりも遅くなっていたのですぐに寝たよ」

「暖炉は十二時くらいに燃え尽きるように石炭をくべています。あまり遅くなるようでしたら早めに言って頂ければ……」

「いや、いいんだよリリィ、いくら何でも一時は遅い」

「ならいいのですが、暖炉が落ちてしまうと寒いので」

「そうしたら、寝るさ」

 ダベンポートはリリィににこりと微笑みかけた。

「わかりました。でも、遅くなるときは気兼ねせずに教えてください。石炭を焼べ足します」

 リリィはそれ以上深追いすることはせず、ダベンポートの背後の定位置に戻った。
 

 ボリュームたっぷりの朝食は美味しかった。昼はリリィの持たせてくれた新大陸風のサンドウィッチに事務所の紅茶、三時のお茶菓子はスコーン。

「ああ、クッソ!」

 ダベンポートがティーセクションでスコーンをつまんでいる時、隣の席のトーマスが悲鳴をあげた。

「どうした?」

 ティーセクションから戻り、トーマスのデスクを覗き込む。

「魔法陣を上書きしてしまった。やり直しだ」

 印刷物に残す魔法陣は専用のプロッターに描かせる。パラメーターの設定が面倒なのだが、この機械を使えば綺麗に魔法陣を書き残すことが出来た。

 だが、今トーマスが持っている魔法陣は二重に描かれてしまって無残な変形七芒星魔法陣になってしまっている。領域の定義も無茶苦茶だ。

「あー」

 残念な魔法陣に思わず苦笑が漏れる。

「やり直しだな」

 ダベンポートは気のいいトーマスの肩を叩いて慰めた。

「ぼんやりしていてしくじった」

「まあ、もう一度描けばいいじゃないか」

「そうなんだがね……ああ、面倒だなあ、また一時間待つのか」

「御愁傷様」

 にこりと笑って見せる。

 だが、頭の中でダベンポートは別のことを考えていた。

(呪文のオーバーライトか。これは考えなかったな。今日はこれを重点的に調べてみよう)

…………
 

 足早に帰宅し、夕食もそこそこに─ちなみに今晩はサーモンのムニエルだった─お茶を片手に書斎に閉じこもる。

 ダベンポートはインデックスの下巻から、呪文のオーバーライトに関するセクションを見つけ出した。

 思ったよりも多くのページが費やされている。

 どうやら呪文のオーバーライトは比較的よくある事故のようで、これによる跳ね返りの例なども本文の方には詳細に記述されているようだ。

 ダベンポートはインデックスを頼りに本文の方の文献を取り出した。

 インデックスには見出し語しか書かれていない。詳細に調べるには本文に当たる必要がある。

「♪〜」

 どこかからリリィの歌声が聞こえてくる。

(ふふ、街で何かいいことがあったのかな?)

 ダベンポートはどこか気分が良くなるのを感じながらインデックスに指定されている文献を取り出した。

(呪文のオーバーライトか。つまりはこれを故意に起こせということだな……)

 パラリ、パラリ……と文献を読み進める。

(なるほど、オーバーライトするにしても、前の魔法陣を消すためには条件がありそうだ……)

 パラリ

(結局はエレメントと領域か。エレメントが違うとオーバーライトの事故はより酷くなるようだな……)

 パラリ

(逆にエレメントが同じなら、後から詠唱された呪文の領域が優先される訳だ……。後発優先。面白い)

 パラリ

(跳ね返りがすでに起きていても、エレメントが同じならオーバーライトした呪文の規模と効果が優先されるのか。その場合跳ね返りはどうなるんだろう……。これは深掘りする価値がありそうだ)
 

 没頭するあまり、今晩のダベンポートはリリィのお茶の時間をすっぽかしてしまった。

 どうやら上の空でリリィのノックに返事だけはしたらしい。

 気がつけば、ティーテーブルにはティーコジーを被ったティーポットとお茶菓子が置かれていた。

 ポットにはちゃんとティーカップも添えられている。

「しまった!」

 思わず声が漏れる。ひっそりと冷めつつあるお茶セットを見て、ああ、とダベンポートは宙を仰いだ。

 リリィにはかわいそうなことをしてしまった。

 今日は夕食の間も考え事をしていたし、リリィとほとんど話していない。

 無視した訳ではないのだが、ダベンポートには集中すると他のことがどうでも良くなるという悪い癖があった。

(明日はもっと優しくしないとな)

 ただでさえ同僚やグラムからは人の心が足りないと言われているのだ。

 ダベンポートはリリィにまでそうは思われたくなかった。

(とはいえ、これを終わらせないことにはどうにもならんか)

 ダベンポートは自分でお茶をティーカップに注ぐと、お茶を飲みながらさらに文献を読み進めていった。

第4回へつづく