家族や夫婦間こそ注意! 「なんだか嫌だな」と感じたら…/『NOを言える人になる』③

暮らし

公開日:2020/4/1

あなたから自由を奪うすべてにNOを言い、自分の人生を取り戻すときだ――。会社の同僚、上司、家族といった人間関係や社会に、どうNOを言うべきか。どうすれば、あなただけのルールで生きられるようになるか。生きづらさを抱えた多くの人々の生存戦略を、わかりやすくご紹介します!

『NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法』(鈴木裕介/アスコム)

まず、他人からのラインオーバーに敏感になる

 もしあなたが何らかの生きづらさを抱えていて、かつ「自他の境界線が、自分でもよくわからない」「境界線が正しく機能していない」と感じているなら、まず、「他人からのラインオーバー」に敏感になってみよう。

 そもそも、どういう状態が「ラインオーバー」なのかわからない場合は、自分の「快・不快」の感覚や、相手とのやりとりの後に感じる「もやもやとした気持ち」に注目するといいかもしれない。

「なんだか嫌だな」「むなしいな」「徒労だ」「バカにされたような気がする」「利用されているのかな」「その言い方はないんじゃないかな」「息苦しいな」……。

 そういった、やりきれないネガティブな気持ちを感じたなら、それをきちんと自分で認め、受け入れよう。

 このとき決して、「自分の気のせいかもしれない」「自分が気に障ることをしたのかもしれない」「自分にも落ち度があるし」「あの人がそんなことをするはずがない」「あの人にはお世話になっているし」などと、自分で否定してはいけない。

 たとえば以前、こんなことがあった。

 ある友人と居酒屋で話しているとき、つい盛り上がりすぎて、声が大きくなってしまったのだが、隣に座っていた、彼女連れの強面の男性が、「お前ら、マジで静かにしろよ!」と、急に語気を荒げて言ってきたのだ。

 僕は「声が大きくなってしまったのは申し訳ない」と思いながらも、相手のその言い方に対しては、非常に不愉快な気持ちになった。

 最初に穏やかに注意して、それでも僕らが聞かなかったなら、声を荒げるのもわかる。

 でも僕らがその男性に注意されたのは、そのときが初めてだった。

 こういうとき、いつも、「こちらの落ち度はあるけど、普通に言ってくれたらいいのにな」と思うのだ。

 自分の言い分をはっきり伝えることと、相手を不快にさせるような言動をとることはまったくの別問題だ。

 不快な言い方をされたとき、自分の側に非があったり、自分が相手に対して弱い立場にあったりすると、人はついつい「言われても仕方がない」と、相手の不快な言動もそのまま受け入れてしまいがちだけど、それは違う。

 このケースだと、「大きな声で迷惑をかけた」のはこちら側の責任であり、男性にはこちら側に不快であることを伝え、注意をする権利がある。

 だが、「わざわざ乱暴な言い方をした」のは男性側の責任であり、こちら側には男性に不快であることを伝え、注意をする権利がある。

「大きな声を出し迷惑をかけた」ことを反省することはもちろん大事だけど、だからといって、「乱暴な言い方をされ、不快に思う気持ち」まで自分で飲み込み、なかったことにする必要はないのだ。

 あなたが何らかのネガティブな感情を抱いたという事実は、あなたの領域の中では絶対的に正しいことであり、他の誰にも侵されない「真実」だ。

 だから、「こんな感情を感じるべきではないんじゃないか」などと思わずに、自然に湧き上がってきた感情の方を採用し、なぜそう感じたのかを考えてみよう。

 すると、相手の言動によって自分の境界線が侵害されたことに気づくはずだ。

 あるいは、起こった出来事ではなく、相手との関係そのものを客観的に観察するのもいい。

「この関係は、ギブアンドテイクのバランスが悪いのではないか」
「自分だけがリスクや責任を背負っているのではないか」
「相手の言い分ばかり聞いている気がする」

 そういった「もやもやしたもの」を感じたら、その関係性は公平ではないかもしれない。

 もし、「相手が体調を崩していて、あなたが面倒をみている」など、何らかの事情で一時的に公平じゃない状態に陥っているのだとしたら、その関係性がふだんは公平なものなのか、将来的に公平であることを目指せる関係なのかを考えてみよう。

 ただ、関係性が公平であるかどうかの判断は、パートナー関係や血縁関係にある人に関してはなかなか難しい。

「愛のある関係」ほど、「愛」に目くらましされて、ラインオーバーに気づきにくいからだ。

 パートナーや家族との関係性においてもやもやした感情を抱いた場合も、「愛しているから」「パートナーだから」「家族だから」などと否定することはない。

 愛する相手であろうと家族であろうと、もやもやした感情を持つことは普通のことだし、むしろ、もやもやを率直に言い合える方が、より「愛のある関係」だといえるだろう。

「家族である」「夫婦である」「パートナーである」というのは、単に関係性を記述する肩書きにすぎず、それが本当に公平で健康的な人間関係を担保してくれる保証はまったくない。

 むしろ、その関係性の肩書きに甘えて、どちらかが一方的な要求を押しつけたりしているというケースの方が多いのではないだろうか。

 相手の言動や相手との関係性にもやもやを感じたら、その段階でラインオーバーされている可能性を考えよう。

 自分の感覚や気持ちに素直になり、心の声に耳をすまし、もし「ラインオーバーされている」と確信したなら、その事実をしっかり認め、受け入れていこう。

 今まで気づかなかった、あるいは気づかないふりをしていた他人からのラインオーバーに敏感になるにつれ、自分が何をされたくないのか、自分にとって要らないものは何か、自分が本当は何を心地良いと感じ、何を求めているのかがわかりはじめ、あなたにとっての「自他の境界線」「守るべき自分の領域」が明確になっていく。

 それこそが、他人(社会)からのラインオーバーを防ぎ、あなたの心や身体や生活を守り、自分のルールで自分の物語を生きるための、最初の、そしてきわめて重要な第一歩だ。

 そして、自他の境界線や、守るべき自分の領域が明確になれば、自分がラインオーバーして他人の領域に立ち入ったり、他人の責任まで背負ったりすることも、防げるようになるはずだ。

<第4回に続く>