戦国時代の子どもは意外と忙しい!? 明智光秀の少年時代/『誤解だらけの明智光秀』①

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/11

歴史は時としてウソをつく。「そんなバカな」と思う人こそ、要チェック!2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に抜擢されて、大注目の明智光秀。東京大学史料編纂所で歴史研究に勤しむ本郷和人教授が明智光秀が生きた戦国時代の“リアル”を愉快に解説します!

『誤解だらけの明智光秀』(本郷和人/マガジンハウス)

少年・光秀は山城でどんな暮らしをしていたか?

 来る日も来る日も戦に明け暮れているイメージのある戦国時代。

 しかし、戦国時代を生き抜いていくには、政治、経済、治世、軍事、外交など、幅広い知識と教養が必要でした。

 そこで武士の子どもたちは寺に通ったり、寺から僧侶に出張してもらったりして、まだ幼い頃から学びはじめます。

 光秀は、京都を往来する武士たちのマナー本『明智家中法度』を書いたかと思えば、連歌会を開いたりと、高いレベルの知識人・教養人だったようですから、子どもの頃から中国の古典『四書五経』などを音読して丸暗記していたかもしれません。

 さて、光秀が生まれ育ったと言われる山城は、江戸時代的な城郭のイメージとは違い、奥深い山の中に造られた館のような城です。

 東濃は木曽川水系の湧き水が豊富で、少し山奧に入れば滝や谷川があり、ふもとに近い丘陵地に降りれば、美しい棚田が広がっているところもあります。

 こうした美しい東濃の山も、いざ戦となれば地形を活かした防衛施設の役割を果たしたり、東濃攻略の拠点となったりします。

 平和なときに山中を駆け回ってのびのびと遊ぶことも、山の地形を覚える大切なトレーニングです。学問所に通い、武芸を磨くだけでなく、自然からも学ばなければいけないわけですから、山城に住む子どもたちは、忙しい毎日だったのかもしれません。

教養を身につけるため、学問所に通い、『四書五経』などの中国の古典に親しんでいた!?

<第2回に続く>