「ばかね、こんなにSNSの情報をあけっぴろげに公開して」ターゲットは入社5年目、秘書室勤務の女『忍者だけど、OLやってます』⑤

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/10

 OLの陽菜子には秘密がある。実は代々続く忍者の里の頭領娘だが、忍者の生き方に嫌気がさして里を抜けだしたのだ。ある日、会社の上司・和泉沢が重要書類を紛失してしまう。話を聞くと、どうやら盗まれた可能性が。会社のためにこっそり忍術を使い、書類を取り戻そうと奔走する陽菜子だが、背後には思いもよらない陰謀が隠されていて…!? 人知れず頑張るすべての人に贈る、隠密お仕事小説!

『忍者だけど、OLやってます』(橘もも/双葉社)

だが。

 しょぼくれた和泉沢の顔が脳裏に浮かぶ。どうしよう、とすがるように陽菜子を見た、あの眼差しが胸を刺す。

「ま、いいんじゃなぁい。前の彼氏と別れてから3年でしょ。ヒナちゃんもそろそろ新しい恋をするころよね」

「だから、わたしがいつ好きな男がいるなんて言ったのよ」

「だって昔から、ヒナちゃんが積極的に術を使うのは、決まって誰かのためだもん。ヒナちゃんに友達はいないから、残る可能性は男でしょ」

「失礼な……」

「あら、反論があるなら受けつけるけど?」

 口をへの字に結んだ陽菜子に、穂乃香は勝ち誇ったように笑う。あるわけがない。陽菜子にとっては穂乃香が唯一の家族であり友達だ。

「……もう、いいから出てって。わたしはわたしで、することあるんだから。ていうか穂乃ちゃん、仕事は? お店行かなくていいの?」

「今日はお休み。だから手伝ってあげられるよ? 久しぶりだといろいろ勘も鈍ってるでしょ?」

「いらないってば! 休みの日くらい、はやく寝なよ。はい、おやすみなさい!」

「あっ、やだ、ちょっとぉ!」

 無理矢理に部屋から穂乃香を締め出すと、陽菜子はきっちり鍵をかけた。

 ねえヒナちゃん、一緒に住もうよ。あたしは夜出勤だから、生活もかぶらなくて気楽じゃない? 家賃はんぶっこしたほうが、いいとこ住めるしさ。

 大学を卒業する1カ月前、穂乃香はおもむろにそう言った。幼いころから姉妹同然に育った穂乃香がそばにいてくれるのは、家族と縁を切られた陽菜子にはとても心強かった。だが反面で、彼女は父の命でそれを申し出たのだということを、陽菜子は知っている。陽菜子が里の秘密を外に漏らすようなことはないか、誰かに情報を売ることはないか、その監視を命じられているのだろうということも。

 ──報告、されるかな。

 でもそれでもいい。契約書をとりもどすのは、和泉沢のためだけでなく、陽菜子やほかの社員のためにも必要なことだ。知ってしまった以上、無視はできない。

 ──要は、目立たなきゃいいのよね。

 ノートパソコンを開くとそこにはターゲットの写真が50枚ほど並んでいた。

 杉原美波。入社5年目。松葉商事秘書室勤務。わざわざ会社の広報ページのリンクをシェアしてくれているから、彼女の仕事ぶりもまるわかりだ。きのうは三井という専務取締役について、工場の表敬訪問をしていたらしい。

 ──ばかね、こんなに情報をあけっぴろげに公開して。

 Instagramは誰でも見られる状態だし、連動しているFacebookの公開設定は「友達の友達」まで。陽菜子は彼女の友達ではないが、当然、和泉沢とはつながっているので簡単に見ることができる。ふだんめったに見ることはなく、一度たりとも投稿をしていないどころか、基本情報も最低限しか入力していない陽菜子だが、なにかにつけ便利なので「友達」の数はやたらと多い。そろそろ五百人は突破しそうだ。

 自分の情報はほとんど明かさないまま、他人のプロフィールは際限なく覗き見られる。まったく便利な世の中だ。

 ざっとここ1年の投稿歴を眺めただけでも、美波に仲のいい妹がいること、半年前に彼氏と別れたこと、最近はサイクリングにハマっていることがすぐにわかる。

 それからもう一つ、酒が好きで、水曜の夜は行きつけの飲み屋で開催される〝ビール大学〟という講座に参加しているということも。

 会場となっている居酒屋「アルゴ」のホームページによると、樽生ビールを何種類も常備している世界中のビール専門店で、ただ飲んだくれるだけの集いではなく、産地や製法を学びながらどんな食事にどのビールがあうのか、飲み方や注ぎ方などを学んでいくらしい。

 水曜は、明日だ。

 すぐさま申し込みフォームを開く。参加費5000円の文字に一瞬躊躇するも、しかたなく財布からクレジットカードをとりだした。

 ──カード番号くらい暗記していろ。無駄な動きで情報は簡単に漏れるぞ。

 不意に、もう何年も思い出したことのない声が耳元でささやいて、陽菜子は無意識に身体をこわばらせた。俺だったら今のお前の指の動きだけで簡単にカード番号も暗証番号も盗める。本当に危機感がない。お前は心底、忍びには向いていない。

 そう言った男の、父よりもさらに底冷えする氷のようなまなざしを思い出し、心がずんと沈むのを感じる。

 けれどそれを懸命にふりはらい、美波の写真を隅から隅まで眺めながら、五段重ねのメイクボックスから必要な道具をとりだした。アイシャドウはオレンジとベージュのグラデーション、眉毛は薄いグレーで太め、アイラインはペンシルとリキッドの二本使い、ナチュラルに見えるつけまつげを三種類ほど、彼女の顔になるための道具を次々と迷いのないしぐさで選び出す。

 たぶん会社の人は誰も、陽菜子が毎朝の化粧に2時間もかけているなんて想像だにしていないだろう。里にいるときも、大学時代も、今の会社に入ってからも、陽菜子はいつだって〝最大公約数〟の顔になる。化粧だけじゃない。髪形も服装も、立ち居振る舞いまですべて、その場所でいちばんありふれていて、印象に残らないものをつくりあげる。それはもう、陽菜子に染みついた呪わしき癖であり習慣だった。

 誰も陽菜子の素顔を知らない。つきあっていた彼氏にだって、一度たりとも見せたことはない。

 そんな陽菜子だから、できる。

 この女から契約書を奪い戻すことができるのは、陽菜子だけだ。

<第6回につづく>

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