五臓六腑を自分の手で掻き出す…!? 秀吉も感服した武将の豪胆すぎる死に様【柴田勝家】/『残念な死に方事典』③

文芸・カルチャー

2020/4/20

残念な死に方事典

監修:
出版社:
ワニブックス
発売日:

猛将と讃えられた男でも、最後はあっけなかった! 鎌倉時代~幕末までに登場する武士の死に方を、コミカルなイラストとともに辿ります。歴史的人物の最期を通じて日本史はもちろん、生き方も学べる1冊です。

『残念な死に方事典』(小和田哲男:監修/ワニブックス)

織豊時代
一生を軍事に捧げた武将の無念の死

柴田勝家

死に方:切腹

享年62?(1522年?~1583年)

PROFILE
織田信長の重臣。数々の軍功を重ねるも、織田信長が没すると主導権を羽柴秀吉に奪われ、賤ヶ岳の戦いで敗れる。信長の妹で妻のお市とともに自害。

死を覚悟した酒宴を開く武勇に秀吉も感服

「上様、かように武勇を天下へ顕せし柴田勝家殿でござりまする。ここはなんとか助命してみてはいかがでしょうか?」

 家臣の一人が羽柴秀吉におそるおそる進言した。

 すでに秀吉軍に完全包囲されているにもかかわらず、勝家が籠もる北庄城は織田信長から拝領した名宝で派手に飾り立て、死を覚悟した最後の酒宴を開いていた。

 秀吉は宴の華やかな歌や楽器が鳴り響いてくる城を眺めていた顔を家臣に向ける。

「馬鹿者が! そのようなことをしてみろ。我が城の池辺に毒蛇を放ち、庭前に虎を養うが如しじゃ!」

 強い声で罵倒して一蹴し、

「皆の者っ! 総攻撃じゃ! 今こそ柴田を滅ぼすのじゃ!」

 秀吉は勝家の豪胆さに感服しながらも、喚き叫んで兵に檄を飛ばし、強攻を命じた。

自らの五臓六腑を手で掻き出して自害

 天正十一年(※1)。信長亡きあと、賤ヶ岳の戦いで秀吉と戦って敗れた勝家の最期の時がいよいよ近づこうとしていた。

 勝家は前妻を病気で亡くし、以降は独り身だったが、本能寺の変のあと、信長の妹のお市を後妻に迎え入れている。酒宴の最中で、そのお市が勝家に優しく笑いかける。

「今宵は本当に楽しゅうございまする」

「――なあ、お市よ。お前は信長殿の妹じゃ。秀吉とて命までは取らんであろう。どうか落ち延びてはくれんか?」

 心から吐露する勝家の言葉に、お市はきっぱりと首を振る。

「いいえ。私は最後まで勝家殿と一緒でござりまする。その覚悟は変わりませぬ」

 もう勝家はなにも言えなかった。直後、城内に攻め入ってくる秀吉軍の怒号が轟いた。

「――では、そろそろ参るか?」

「はい――」

 勝家の呼びかけに静かに答えるお市は、寄り添うようにして席を立つのだった。

 そうして勝家は二百ほどの精鋭を引き連れて天守に籠もって最後の防戦を試みるが、秀吉軍の圧倒的な兵力には衆寡敵せず(※2)、お市と共に天守の九重目へ登っていく。

 もうなにも言葉を発するでもなく、勝家はおもむろに愛するお市を刺し殺す。

「す、すまぬ――」。涙を零して詫び、続けざまにお市の血で染まる刀を自らの左脇に刺し立て、背骨に引きつけて切り裂き、胸から下腹部にかけて深く断ち切ったかと思うと、

「ふんぬううううぐごうぅおおおおおぉおおぅう――」

 絶叫しながら己の五臓六腑を両手でずるずると掻き出し、とどめとして側近に首を断ち落とさせるという凄絶な割腹死を果たすのだった。

 天下人・信長のもとで、一生を軍事に費やした屈指の武将の無念の死に様であった。

※1 西暦1583年
※2 多数と少数では相手にならないということ

<第4回に続く>

この記事で紹介した書籍ほか

残念な死に方事典

監修:
出版社:
ワニブックス
発売日:
ISBN:
9784847099021