「自分の人生には何もいいことがない」未来が見えるほど憂うつになりやすい!?/『憂うつデトックス 』③

暮らし

公開日:2020/5/10

“自粛”続きで心が疲れてしまった。嫌な状況が長く続くと延々と終わらないように思い、最悪の事態を想像してしまう――。そんな人も多いのではないでしょうか。いつも最悪の事態を想像して行動していると「心の準備」をしている気がしますが、実際には心を余計にすり減らしているだけ。こんな状況だからこそ、憂うつな気分から自分を解放して「今を生きる」方法を学びましょう。

『憂うつデトックス ‐ 「未来の不幸な自分」が幸せになる方法 ‐』(大嶋信頼/ワニブックス)

1-3 未来が見えるほど憂うつになりやすい

いいことは何ひとつ予測できない

 私は、子供の頃から「未来を見る」ということをやっていて、遠足などのイベントがあると「遠足の前に熱を出していけなくなってしまったらどうしよう」と熱を出している未来を見てしまって憂うつな気分になりました。

 幼稚園でも小学校でも「遠足は楽しい!」とみんながワクワクしているときに「遠足の途中で調子が悪くなったら」という未来が見えてしまう。さらにその気持ち悪さ、具合が悪くなってみんなに迷惑をかけている自分のみじめな姿が見えてしまうから「遠足に行くのが憂うつだ」とみんなと同じように楽しめず、いつの間にか仲間外れになっていました。

 そして、遠足の前日に熱を出して「やっぱり自分が見ていた未来は正しかった!」となります。ある時は、バスに酔って調子が悪くなり「みんなに迷惑をかけちゃった」と、見ていた未来と全く同じで「やっぱり思っていた通りになった!」とみじめで最悪な気分になりました。それをきっかけにみんなからいじめられのですが、それも私が見ていた未来の姿で、「思っていた通りになった」と自分が憂うつな気分になってみていた未来の自分は全部その通りになっていたんです。

 10歳の時には、父親が運転をする車の後部座席で「自分は高校受験に失敗して落ちこぼれの学校に進学して、大学受験もできない」という未来を見ていました。そして、就職もままならなくて36歳で人生の幕を閉じる、という未来の姿が私の唯一の救いでした。

 36歳までだったら、苦しみがそれほど長く続かなくて耐え続けられるかも、というのが自分にとっての救い。でも、そんな未来が見えているからいつも憂うつな気分になって「勉強なんかしてもしょうがない」と勉強をする気持ちにもなれない。未来が見えてしまっているから、全て投げやりな感じで「どうせ自分はみじめな人生を送って36歳で幕を閉じる」という感じであきらめモード。

 中学生の時にクラスメイトがクラス対抗の合唱コンクールで一位を取った! と喜んでいても、私には自分がこれから体験する不幸な人生が見えてしまっているから「みんなは楽しそう」と全く他人事で、私の気分は憂うつそのものでなにも楽しめない。こうして憂うつな気分になればなるほど「不幸な未来がどんどん見えてくる」となり、試験の赤点、そして先生から軽蔑される場面、さらには両親から殴られて泣きながら苦しむ姿、などの未来が見えて、さらに憂うつな気分になっていました。

 一方、実際にそれを体験している時は、あんなにさんざん見ていた未来の自分なのに「これが夢であってくれたら」と目を閉じたくなります。夢であることを願って目を閉じてみて、再び目を開けてもそれがゆるぎない現実で、私が見ていたそのままの未来のみじめな自分の姿なのです。

 私は「自分には未来を予知する特殊な能力でもあるのかもしれない?」と思っていました。でも、いいことは一つも予測できず、不幸なことはいくらでも予測することができて、それが本当に現実になる、という自信があったのです。

挑戦していないのにあきらめの境地

 こんな私がカウンセリングの仕事をやるようになって「あ! 憂うつな人って私と同じように未来が見えている人が多い!」ということに気がつきます。

 ある日、転職をして相談にいらっしゃった憂うつな方は、転職したばかりなのに「この職場ではうまくいかないんです!」と、3カ月後~1年後の未来が見えてしまっている。

 普通だったら「転職したばかりだから、そんなのやってみなきゃわからないでしょ!」となります。しかし憂うつな方は「誰にも自分に見えている未来をわかってもらえない!」と一人で悩み苦しんでいました。私はそのお話を聞いて「うん、わかるなー! 私と一緒だ!」となっていました。

 1年以上先が見えてしまうと「すごく憂うつな気分だ!」と私が学生時代に体験していた「何もかもあきらめの境地で何もする気になれない」となってしまいます。何をしたって無駄で「仕事で失敗したり人間関係がうまくいかなくなったりするのはわかっている!」と、全く挑戦もしていないのにあきらめの境地になってしまう。

 私は周りの人から「あんたが努力しないからだろ!」とか「自分で工夫をして自分自身がうまくいくように挑戦してみたらいいじゃない!」などと散々言われてきました。でも、何度挑戦してみても結果は私がみていた未来の通りで「だから無理だと言ったじゃない!」になります。

「未来を見ている」自覚がない

 ものすごく憂うつな方がいらっしゃった時に「自分の人生にはもう何もいいことがない!」とおっしゃるのは、憂うつな気分でテンションが落ちてしまっているからだけではありません。年齢が若くても老後の未来や、人生の終わりの未来が見えていることを誰にも理解してもらえなくて「本当にダメダメな未来が見えてしまっているんです!」と心の中で叫んでいます。

 ところが、憂うつな方は「自分には未来が見えている」という自覚が実はあまりなかったりします。「悪いことばかり考えてしまっている」と思うのは、周りからそんな風に言われるから。「物事を悪い方向に考えすぎだよ!」や「前向きに生きないから、嫌なことばかり起きている気がしているだけだよ!」などと普通の人から言われちゃいます。

 なぜなら、普通に楽しく生きている人であればあるほど「今」を生きていて「未来のことなどちっとも考えられません!」となっているから。だから「未来が本当に見えている」なんて未知の世界なのです。

 理解できない現象であり「そんなことありえない!」と思ってしまう。でも、実際に憂うつな人は未来が見えている。そして、先が見えれば見えるほど憂うつになり、未来をただ黙って受け止めるしかできなくなってしまうんです。

<第4回に続く>