「安全第一」には続きがある! 第二と第三はどのような言葉が続く?/毎日雑学

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更新日:2021/1/3

「安全第一」には続きがある! 第二と第三はどのような言葉が続く?/毎日雑学

 

 身近なのに意外と知らない身の回りのモノの名前の由来や驚きの事実。オフィスで、家庭でちょっと自慢したくなる、知っておくだけでトクする雑学を、毎日1本お届けします!

 工事現場などでよく見かけるスローガンに「安全第一」というものがありますよね。あまり知られていませんが、実はこのスローガンは日本で生まれたものではありません。また、「安全第一」の後には「第二」「第三」と続きがあるのです。

 

安全第一には続きがある

 それではさっそく「安全第一の続き」について解説していきます。

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 安全第一には「品質第二、生産第三」という続きがありますが、日本ではあまり知られていません。日本で知られていないのは当然であり、実は元々はアメリカの企業で使われていたスローガンだからなんですね。

 日本では「安全第一」の部分だけが使われることが多く、実際に工事現場や工場などでは「安全」と「第一」の間に緑十字を挟み、「安全 十 第一」と表記されています。

「安全第一」というスローガンが掲げられるようになってからは、実際に労働災害による死亡者数が1,000人を下回っています。現代では信じられないかもしれませんが、高度経済成長期には労働災害によって亡くなる人が6,000人を上回ったこともあるのです。

 

元々は生産第一だった

 先ほど「安全第一」はアメリカで誕生したスローガンだと解説しましたが、当初は安全が「第三」となっていたのです。

 1900年代初頭にはなんと「生産第一、品質第二、安全第三」というスローガンで、安全よりも生産性が重視されていたのです。当時のアメリカは不況に見舞われていたため、労働に従事する人は過酷で劣悪な環境で仕事することを与儀なくされていました。

 そして、それらの過酷な仕事には命の危険が伴うことも多く、労働災害によって命を落とす人が後を絶たなかったんですね。当時、世界の中でも圧倒的なシェアを誇っていた製鉄会社である「USスチール」でも、安全は二の次とされていたことから、労働者の多くが苦しめられていました。

 そんな労働者たちの姿を見た社長のエルバート・ヘンリー・ゲーリーは大変心を痛めていたそうです。

 ゲーリーはキリスト教徒でもあったため、労働者たちが苦しむのを放っておけず、1906年にスローガンを「安全第一、品質第二、生産第三」に変更しました。そして、スローガンが変更された影響によって、労働環境が改善されて、実際に労働災害はみるみる減少していったのです。

 その後、USスチールが世界的企業であったことから、「安全第一、品質第二、生産第三」は瞬く間に世界中へと広まっていきました。

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安全第一は100年の歴史を持つ

それでは、日本ではいつ頃から「安全第一」というスローガンが使われていたのでしょうか?日本にこのような考えがもたらされたのは1912年(大正元年)のことであり、実は100年以上の歴史を持っているんですね。

「安全第一」を日本に持ち込んだのは、古河鉱業足尾鉱業所所長であった小田川全之(おだがわまさゆき)氏だとされています。当時、アメリカで掲げられていた「セーフティ・ファースト(安全第一)」のスローガンを「安全専一(あんぜんせんいち)」として日本に持ち込んだのです。

 それまでの日本には「安全第一」という考えはなかったことから、日本でも労働災害の数が減っていったそうです。ちなみに、安全第一の間に掛かれる緑十字のデザインは「安全旗」と呼ばれるもので、1919年に採用されてから2019年で100周年を迎えました。

 以上が「安全第一には続きがある」というスローガンにまつわる雑学でした。

 

まとめ

 安全第一というスローガンには「品質第二、生産第三」という続きがある。

 元々このスローガンはアメリカで生まれたものであり、当初は「生産第一、品質第二、安全第三」というスローガンだった。

 しかし、生産を重視するあまり労働災害が多発していたことから、現在の「安全第一、品質第二、生産第三」に切り替えられた。

 日本にこのスローガンが入ってきたのは1912年のことであり、当初は「安全専一」と呼ばれていた。

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