読書をしてても内容が頭に入ってこない。同級生のアノ言葉ばかり考えるから…/熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス②

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/11

顔よし、からだよし、性格よし。そのうえ読書家。なんだか現実味のないイケメン、熊本くん。仲のよい「わたし」は、どうやら熊本くんが、ゲイ向けアダルトビデオに出演している、という噂を聞く…。第4回カクヨムWeb小説コンテストキャラクター文芸部門大賞受賞の小説から、その一部をお届けします。

『熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス』(キタハラ/KADOKAWA)

 熊本くんはいま、カレーを作っている。

 わたしは床に寝転んで、本を読みながら、出来上がるのを待っていた。内容が頭に入ってこないのは、おいしそうな匂いが部屋中に漂っているせいだけではない。

「アダルトビデオだよ、男同士の」

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 最後まで名前を思いだせなかった同級生の言葉が引っかかっていた。むしろそのことばかり考えていた。

 熊本くんにはどこか、まわりと違う雰囲気がある。秘密を抱えていて、それを隠すために所作や笑顔が浮世離れしているような。人はそういう人間をすぐに見つけだしては、どうにかして暴いてやろうと野蛮なことをする。相手の準備を待つ間もなく、自分なりの理屈をつけて、「友達だから」「悩んでそうだから」「なにも後ろめたいことなんてないよ」なんて胡散臭いいたわりを見せたりする。

 つまりはみんな、暇なのだ。自分のことを見たくないから、他人のことばかり気にする。

 字面を眺めていたら、眠くなってきた。

 インドの金持ちってこんなんじゃなかろうか。かすかにカレーの匂いを感じつつ、エアコンの効いた部屋でまどろむとか。カレーからのインド、という想像力のかけらもない思いつきに情けなくなる。わたしは、とてもつまらない人間だ。

「できたよ」

 台所から声がした。熊本くんが皿を二つ持ってやってきた。

 熊本くんはさっさとあぐらをかき、スプーンでカレーを混ぜだした。

「なに読んでたの」

「『欲望という名の電車』」

「映画もいいんだよね」

 名画よりマーベル・シネマティック・ユニバースのほうが似合いそうな、熊本くんはいった。

「なんだろう、このカレー、どっかで食べたことがある」

 本の感想を訊かれても、コメントできそうもないので、わたしは話を変えた。

「小学校の給食にでたカレーっぽくない?」

 熊本くんはいった。そういわれれば確かにそうだった。

「なにか工夫した?」

「いや、ただの市販のやつ。でも甘口にしてみた」

 熊本くんはわたしがくるたびに、ごはんを作ってくれる。そういえば、ふたりで外食をしたことがない。スーパーで買い物をしたこともない。熊本くんの部屋の冷蔵庫にはいつでも食材が詰まっている。

「じゃがいもを多めにしたのが正解だったかな」

 熊本くんは満足げに頷いた。

「ところで前から気になっていることがあるんだけど」

「なに?」

「なんでカレー、そんな親の仇みたくかき混ぜるの?」

 皿にはかつてカレーライスだったなにか、があった。熊本くんはしばらくそれを見つめ、いった。

「こうすると、まんべんなくおいしいよ」

 さわやかに微笑まれ、わたしは言葉を失った。彼はカレーのときだけ、少々品が悪い。

 テレビのない熊本くんの部屋にいると、無言の時間が多い。自分の部屋にいるとき、FMラジオをつけっぱなしにしておくほど音にまみれているわたしとしては、はじめ、とにかく音が欲しかった。お互い勝手に本を読んでいるとき、熊本くんが物音を立てるとほっとした。

 こんなに静かな場所に長い時間いるだなんて耐えられないなあ、と思っていた。それなのに、どうしたことか、この静かな部屋にいる時間は特別なものになっている。

 熊本くんに好きな人がいるのか、訊ねたことはない。異性がその質問をするとき、期待やいやらしさが纏わりつくように感じる。そう捉えられでもされたら心外だった。

 わたしと熊本くんがつきあっていると勘違いしている同級生のことを思った。

 校舎で一緒に歩いているのを、彼女たちはどう見ていたのだろう。不釣り合いなカップル、と誤解していたのか。

 他人のことをあまり考えないようにしよう。そうわたしは決めていた。おかげで大学に友人は、熊本くんしかいない。

 わたしは本から目を離し、ベッドの上で壁にもたれている熊本くんを眺めた。

「なに?」

 わたしの視線に気づいて、熊本くんは顔をあげた。

「いまなんの本読んでるの」

「『燃えるスカートの少女』ってやつ」

 文庫の表紙をわたしに見せた。

「面白い?」

「いいなって思うフレーズがたくさんあって、こんな」

 文庫にはたくさんのドッグイヤーがついていた。熊本くんの読み終えた本は端が折れ、線が引かれている。その本を借りて読む行為は、彼の驚きや感動を追体験させる。

 あのとき、わたしは彼女にこういった。

「で?」

 彼女は一瞬ムッとして、そのまま立ち上がった。

「知ってたんだ。ごめんねえ」

 足早に立ち去る彼女の背中を見ていたはずなのに、思いだせない。あの子、今日どんな服を着ていたんだっけ。

<第3回に続く>