垢抜けない芋っこ女/『運動音痴は卒業しない』郡司りか③

小説・エッセイ

公開日:2020/7/15

 小さい頃、私は「よ。」という言葉に縛られていました。

 どういうことかと言うと、例えば、

「せんせいあのね。きのうはかぞくで魚つりに行ったよ。お父さんはつりが上手で、わたしにおしえてくれたよ。お母さんがカメラでしゃしんをとっていたよ。わたしはおなかがすいたけど、がんばったよ。」

 というような、文章の語尾は全て「よ。」で終わらなくてはいけない、言いたいことも言えないポイズンな世の中だと勘違いしていたのです。

 話し言葉では「よ。」以外の言葉でも話せるのにおかしいな。先生のプリントは「よ。」は載ってないけどおかしいな。

 何かがおかしいと思いつつも、「よ。」でしか表現できない悲しみに、もう文章なんか書きたくない!!と思ったのです。

 はい、今あの頃と全く同じように、思ってることを文章にできなくてもがいています。

 そうだ、この連載の担当者さんに大宮エリーさんとリリー・フランキーさんの本を読んでみてくださいと言われたんだった。

 食料の買い出しついでにスーパーの上にある本屋さんに自転車で行きます。いつもは駅の近くにある大きな本屋さんを物色するので、近所にあるこの小さな本屋さんに来たのは高校生以来です。

 もはや懐かしい私の高校生活は、2年生から本格的に始まりました。

 関東に引っ越してから毎日が忙しく、その大半の時間を生徒会と水泳部に使いました。

 私は運動はからきしですが、水泳だけは3歳になる前から習い始めたので、今でも唯一できる運動となっています。

 朝ドラを見てから家を出ても通える学校を選んでしまったので、ギリギリ8時13分まで視聴、ラストは見られず猛ダッシュ。お気に入りの赤いリュックを背負って限界スピードで走るけど、後から来る小学生にどんどん抜かされます。

 ブレザーと膝上10センチのスカートで女子高生っぽくしていても、水泳部あるあるのゴーグル焼けの逆パンダ顔。肌は真っ黒でショートカットの姿は、まったく垢抜けない芋っこ女です。

 あ、「芋い」というのは後に妹に言われて知った言葉ですが、私のJK姿は芋だったというのは自他共に認められています。

 ああ、忘れてた、大宮エリーさんとリリー・フランキーさんの本探さなきゃ。

 けれども芋に対して言い訳するなら、まず環境がいけない。

 だって仲良しの友達がほとんどショートカットで、みんな、可愛いを目指すというよりは、単に短ければ短いほどいい!!みたいな競い合いをしていたんだもん!

 それに負けるもんかと、私もどんどん髪をショートにしてしまったから。

 あと、例えばそれっぽいJKナチュラルメイクをしたとしても(1度もしなかったけど)、プールに入れば落ちた化粧で目の周りが黒くなり(予想)、どちらにしろパンダ顔になるので、身なりや化粧に関して全く興味が湧きませんでした。(単に面倒臭かったというのは黙っておく。)

 そんなわけで、お小遣いの使いどころがなくて、近所の本屋さんで本や雑誌を買っていました。

 本が好きです。けれど、本より好きなものは他にも沢山あります。テレビっ子だし、漫画も好きだし、なんなら携帯ゲームで1日を終えることもあります。

 それなのに、本を読むことに時間を使う理由は、私は表現の自由を得たいからです。

「よ。」でしか自分を表現できなかった小学1年生の私は「わかったさんのドーナツ」を読んで、「なるほど、文章って『です。』で終わってもいいんだー!!」と人生最大の発見をしました。

 それからは、自分の気持ちが自分の知ってる範囲の言葉にないとき、本を読むようにしています。

 モヤモヤと霧がかった気持ちや考えに言葉で名前を付けたとき、その時もっていた苛立ちや不安から解放されるのです。

 つまりは感情のコントロール手段にお小遣いを使っていたJKだったということです。

 ああ、待って。言いたいことはわかります。エリーさんとリリーさんの本ですね。この本屋さんには見つからなかったので帰ります。

<第4回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々