「私が心療内科?」あまり眠れない、胸が苦しい…これってただの疲れじゃないの?/「薬に頼らずに、うつを治す方法」を聞いてみました②

暮らし

公開日:2020/7/17

復職後再発率ゼロの心療内科の先生に、”うつ”についてのあれこれを聞いてみました。「こころの病気」や「うつ病」、「いかに、うつを治すか」などについて学びながら、回復していくプロセスをわかりやすくリアルに伝えます。

『復職後再発率ゼロの心療内科の先生に「薬に頼らずに、うつを治す方法」を聞いてみました』(亀廣聡、夏川立也:著/日本実業出版社)

疲れじゃなくて、こころの病気!?

 破れたジーンズなんて、お医者さんらしくはないなと思いながらも、おじさんをまじまじと凝視しました。

「医者なんです」という言葉に思わず、立ち止まってしまったのは、突然の汗に動悸にめまいに悪寒に……、とにかくさっき突然訪れた症状に、私は少なからず不安を感じていたからかもしれません。おじさんは続けます。

「こんなところに、しゃがみ込んで、見るからに具合が悪そうだから……」

「急に体調が悪くなって……」

「急に?」

「そう、満員電車で圧迫されて、胸がザワザワして、ギュゥゥッと締めつけられて、めまいや、動悸や……」

 おじさんのメガネの奥が少し光りました。

「もしかして、ここのところずっと忙しかったりしなかった?」

 よくぞ聞いてくれたと思いました。おじさんが、お医者さんだということに安心したのかもしれません。

 飛び込み営業が苦手で苦手で、考えるだけでストレスだと話しました。おじさんは大きくうなずきながら話を聞いてくれます。

 次に、ノルマに達しなかった翌月は、会社に戻ってから翌日の行動計画表を提出するために毎日残業だと、思わず愚痴もこぼしていました。

 おじさんはとても聞き上手で、初対面にもかかわらず、信じられないくらいにいろいろと話す自分がいます。ひとしきり話し終わると、おじさんは尋ねました。

「夜はよく眠れてる?」

 そう言われて考えてみると、ここのところちゃんと眠れていないような気がします。

 おとといなんて、目覚ましが鳴る1時間も前に目が覚めてしまったのです。こんなことは、今までにないことでした。

 もう眠れない気がしたので、出社の準備をしようとしますが、身体が全然言うことをきいてくれません。起きようと思っても、身体がずっしりと重い。ベッドのへりに座るだけで精いっぱい。そのまま目覚ましが鳴ったのを合図に、なんとか準備をして、はうように家を出たことをおじさんに伝えました。

「なるほど……。ところで、いつも朝は気持ちよく起きられてる?」

(これまた、そうでもない……)

 そう思ってから私は答えます。

「目が覚めた瞬間、お腹の上に砂袋が乗っているような感じがすることがときどきあって、そんな日はとくに起きられないんです」

「ふ~ん、なかなか、ストレスがキツそうだね……」

 そう言った瞬間、おじさんのオシャレな黒ぶちメガネの奥の眼光が心なしか鋭さを増したのです。でもそんなことより、話したい気持ちがまさっていた私は続けます。

「朝起きてからずっと、ワッサワッサと胸の中で何かが動いているようなときもあるんですよ」

「なるほど……」

「心臓と肋骨との間の狭い部分に膿が溜まっているような違和感で、怖くなって近所の病院で診てもらったんです」

「結果はどうだった?」

「異常なしだと言われたんですけど、やっぱり何か内臓の病気じゃないかと心配しているんです」

「そうなんだ……」

 ひと通り話を聞き終わってから、おじさんはあっさりと言いました。

「それは、きっと内臓の病気じゃないね」

「本当ですか!」

 おじさん、もといお医者さんのその言葉に、身体のどこか悪いのかと思っていた私は少し安心しました。

「病気じゃないんですよね! やっぱり、私、疲れてるんですかね」

「いや、そうだけど、そうじゃないんだ……」

 そのイエスかノーなのかよくわからない言葉に、私の頭の上に疑問符が浮かびます。

「おそらく、こころがちょっと弱ってるんじゃないかな」

(こころが弱っている?)

〝こころの問題〟なんて考えたこともなかったので、私は驚いて聞き返します。

「え? 疲れているだけじゃないんですか?」

 ここでおじさんはキッパリと告げました。

「いや、メンタル不調かもしれない。今度うちの診療所に来てみてよ」

「診療所って……」

「こころを治すクリニック。心療内科ってやつだよ」

 おじさんはサラッと答えます。

 私は去年メンタル不調で長期休養に入った会社の先輩のことを思い出しました。その先輩は見るからにドヨーンとして覇気が全然なく、いつも落ち込んだような感じで、光を感じられないうつろな目をしていました。

 今の私は、さすがにそんな感じではないはずです。私は、あわてて否定しました。

「私が心療内科? 大丈夫ですよ」

「いやいや、こころが弱っていて、身体に症状が出はじめている気がするから。これは放っておかないほうがいい」

「いやいや何を言ってるんですか? 私が? メンタル? 勘弁してくださいよ」

「誰でもみんな最初はそう思うんだよ。事実、体調が悪くなって、こうしてしゃがみ込んだりしてるでしょ」

(たしかに……。でもそれは疲れ……。こころって?)

 黙り込んでしまった私に、おじさんはたたみかけます。

「誰にでもあるんだよ。こころが骨折するようなものだから」

(こころの病気が〝こころの風邪〟みたいな言われ方をするのは聞いたことがあるけど、〝こころの骨折〟って何?)

 でも、骨折と言われて私の気持ちは少し軽くなりました。こころの病気って、もっと何か恐ろしい専門的な病名を聞かされるかもしれないとおびえていたら、そうでもありません。何より骨折なら、そのうちに完治しそうです。

「こころも、知らない間につまずいたり転んだりして、運悪く骨が折れてしまうようなことがあるんだよ。これは誰にでも起こりうることなんだ」

「誰にでも起こりうる」と聞いて、私の気持ちはさらに軽くなりました。メンタル不調になるのは、こころが弱い人間だと思っていたのかもしれません。

「だからさ、心療内科と言っても、かまえなくていいんだよ」

 そう言うおじさんの顏を見ながら、私はここ最近の自分を振り返りました。

(そう言えば、少し前から気分が乗らないようなときがよくあった)

(1日中、胃が痛くてしかたがなかったこともある)

(朝、起きられない自分がイヤで自責の念に押しつぶされそうになったこともあった)

(なぜか、急に涙が出ることがあった)

(わーーーーっと叫び出したくなるときがあった)

 ここ最近のさまざまなことが、私の脳裏を行ったり来たりします。ハッと我に返った私は答えます。

「かまえなくていいって言っても、やっぱり心療内科って言われると……」

 おじさんは、そんな私を無理に説き伏せようとせず、相撲で勝負が決した相手を最後にそっと寄り切るかのように、おだやかに言葉を続けました。

「まぁ、駅のホームでナンパされた人とお茶するくらいの気持ちでおいでよ」

(それも十分、私にとってはハードル高いんですけど……)

 おじさんは、ためらっている私のことなど気にせず、続けます。

「来週の土曜日の午後1時は大丈夫?」

「は、はぁ……」

 そして1枚の名刺を私に差し出しました。名刺には、「ボーボット・メディカル・クリニック院長 亀廣聡」と書かれています。

「カメヒロ先生ですか?」

「そう、鶴は千年、亀は万年のカメヒロだよ」

(ちょっと言い回しが古くさいんですが……)

 そう思いながらも、ふだんの仕事のクセで思わず名刺を差し出してしまう私です。

(つかみどころがないけど、ときどきすごみを感じて、この先生、仙人みたいだな)

 そう思った私のこころの中で、亀廣先生は〝亀仙人〟と名づけられました。

「晴野ひなたさんですね。お待ちしてますよ」

「亀せん……、いや亀廣先生……。あっ、はい」

 こうして私は、自分には絶対に縁がないと思っていた心療内科の門を、人生ではじめてくぐることになったのです。

<第3回に続く>