読書の効能は副次的なもの。おもしろいと思える本を読むことが大切/「記憶力」と「思考力」を高める読書の技術⑦

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/22

忙しい人でも簡単にできる、法律家のすごい読み方を伝授! 木山 泰嗣氏が仕事にも学びにも効く読書法を紹介します。読解力はもちろん、記憶力、思考力のすべてを鍛えることができる著者独自の手法が満載です。

『「記憶力」と「思考力」を高める読書の技術』(木山泰嗣/日本実業出版社)

6 「本がもつ価値」は自分で発掘する

「読みたい本」はいつでも、どこでも読める

 さまざまな効用のある読書ですが、わたしは文章を速く読めるようになるためだけに本を読んだというわけではありません。長期的スパンで過去に遡って振り返ったときに、結果的に読書の習慣を30代になってからつくったことで、仕事で文章を読むのも自然に速くなり、正確に読み取れるようになったのです。

 わたしが続けていた読書は、法律に関連するものだけではありません。自由きままな興味関心のあるもの、好きな文章を書く作家、面白い切り口の本を書く著者、心の琴線に刺さる物語を紡ぐ小説家などの本を「読み漁る」というものです。

 「弁護士の仕事をしながら本を読むなんて、大変ではないか」と思うかもしれません。しかし、通勤の往復の電車の時間(ホームで待つ時間も含みます)、お昼休みの時間、仕事が終わった後の時間(家に直帰はせずに、必ずどこかのカフェに立ち寄って、1時間以上の読書をしてから帰宅していました)、さらに帰宅してからの夜の寝るまでの時間などを使って、毎日細切れですが、本を習慣的に読んでいました。これで、1日数時間以上の読書ができました。さらに、土日は基本的には休みだったので、平日以上に長時間の読書をすることができました。

 わたしは休みの日にどこか遠くへ出かけるということはしないので、もう15年近くですが、土日などの休日は、家の近くにある行きつけのタリーズ(タリーズコーヒー)にまず行き、そこで1時間から2時間くらいコーヒーを飲みながら読書をしています。その後も、カフェの梯子をしたり、大きな書店のある神保町や新宿や東京駅周辺(丸の内、八重洲、大手町など)に行ったりしますが、その移動の電車の中でも、また書店で本を買った後に立ち寄る近くのカフェでも、本を読み続けます。

 本を読まない人は、日常生活の中で本を読むことは難しいと思うでしょう。でも実際に、わたしはそういう生活を15年近く続けています。普通にできています。ただし、このような読書を習慣として続けるためには、趣味として誰からも強制されることなく、むしろ誰にもみられたくないくらいのこっそりとした感覚で、「読みたいものをただ読む」という読書を習慣にすることが重要になると思います。

 なぜかといえば、他人から強制されたり、仕事に必要だからと無理に読んだりするような姿勢では、それは苦痛になるので長続きはしませんし、できれば読みたくないと思うようでは、疲れているときはまず読まなくなるからです。

 わたしは現在、勤務先の大学へ電車で通勤していますが、往復の通勤時間には、論文などの自分の書いた原稿をプリントアウトしたものを読んでいます。そのような書き物がないときは、「やったー。本が読める!」と嬉しくなって、本を読みます。カバンの中にはどんなときでも、本が最低2冊以上入っています。休日は10冊近くをカバンに入れてカフェめぐりをします。そのなかで気分に合うものを自由に読みます。

 そのようなとき、読み終わるか読み終わらないかなど気にしませんし、複数の小説を併読することもありますが、感想文を書いたりするような面倒なことは、もちろん一切しません。1週間に何冊以上読むなどのノルマなども一切課しません。そんなノルマをつけたりしたら、きっと雑に読んでしまうからです。

 読書がテーマの本書に書くことすらはばかられるくらい、単純にわたしの人生の楽しみが読書なのです。そして、そのようなスタンスで読む本というのは、まったく自分の自由に選択することになります。読んだ本について人に話すということもしません。読書は極めて個人的な作業だと考えており、むしろ何を読んだかを人に知られたいとすら思わないからです。

 ただし、わたしは週末に子どもと一緒にカフェに行きます。何も話さずにひたすら本を読んでいますが(子どもが2、3歳のころからずっと同じスタイルです)、外を歩くときは、自分がそのときにカフェで読んだ本の話を子どもにしたりします。わたしは村上春樹の小説を愛読しているのですが、短編を読んでいるときなどは「いま、こんな物語を読んだんだよね」といって、ストーリーを子どもに聞かせます。

 すると、「それで、どうなったの?」「そうなんだ。変だね、その渡辺昇って人」「また出てきたの? 渡辺昇って人?」などと反応があるので、ほかの本を読んで知り得たエピソードを踏まえて「渡辺昇って人物は、村上春樹の本ではたくさん出てくるんだよ。例えば……」といって、登場する本を次から次へと並べて、「この渡辺昇って名前ね、数年前に亡くなった安西水丸さんという村上春樹の本の絵を書いていたイラストレーターの本名なんだって」と説明を加えます。そうすると、「なんだ。本名をバラしちゃってるじゃん。せっかく安西水丸にしたのに」と返ってくる。そんな会話をします。

 こんなふうに、わたしの場合は子どもには本のことを話しますが、それは極めて身近な存在だからです。あとは村上春樹好きの学生がいれば話すこともありますが、そのような機会は税法教員のわたしにはほとんどありません。しかし、読んだ本のことを他人に話したいとは思わないので、読書会などが仮にあったとしても行かないと思います。わたしは、人と群れをなすことが苦手だからです。

 というより、多くの仕事で時間がないなかで、すき間時間を至福の趣味である読書にあてるため、その時間を他人に奪われたくないと思っています。また、本は小説に限らず、自分の知らない世界、例えば歴史や心理学、ビジネス、経済学、会計学、文学(小説以外では文芸評論)、作家のエッセイなど、いろいろなジャンルを読みますので、そのような読書の習慣がある人間からすると、人と話す時間よりも、本を一人でじっくり読むほうがはるかに正確で大量の情報を得ることができると感じています。

「読書の価値」の見つけ方

 少し話がそれましたが、読書の価値は、あなたが独自にみつければよいということです。この本においても、読書の価値を決めつけるつもりはありません。じつに、さまざまな価値が読書にはあると思っているからです。

 例えば、恋愛小説などを読めば、男女の機微や(自分とは異なる)異性の心理を自然と知ることができます。また、ドロドロとした経済小説などを読めば、仕事でふだん接している人たちも本音では何を考えているかわからないし、仕事以外では別の顔をもっていて当然であるとわかるようになります。つまり、小説を読むと、人間に対する理解が深くなるため、自ずと、日常生活で遭遇する他人の見方に厚みが出てきます。それだけでも、小説を読む効能はあるでしょう。

 しかし、繰り返しになりますが、それは副次的な効果であって、あくまで読書は読みたいものを自由に読むことが大切です。なぜなら、このような読書の効能が得られるのは、ただ面白いと思って本を読み続けた結果にすぎないからです。

 わたしは村上春樹の小説はすべて読んでいますが、同じ小説を何度も何度も読んでいます。また、松本清張の小説も好きで、多作すぎるため全作は読めていませんが、200冊くらいは読んでいると思います。渡辺淳一の小説もほぼ全部読んでいます。三人とも長編も素晴らしい作家ですが、短編になると天才的だと思っています。

 このように、小説には長編と短編があることや、その間の中編的なものがあること、そして、さまざまなジャンルがあることなども本を読んでいれば自然とわかります。

 小説を読んだら、その後に二次資料としての評論やその作家のエッセイも読むと面白いです。好きな作家のものであれば興味津々で読めるはずです。周辺情報が広がっていくため、自分の頭の中で一人の作家をめぐる世界観がどんどん広がっていくでしょう。「定点観測」ともいいますが、自分の読書の軸になる好きな作家の本を何冊も何冊も読む。そんな深掘り的な読書も、おススメです。さまざまな作家の本を読むことも面白いと思いますが、一人の作家を深掘りしていくと、その軸でほかの作家や本を評価できるようになります。誰かに発表するわけでなくとも、自分の世界観が人にみられない心の奥で充実していきます。

 「読書をする人は幅広い仕事ができる」とか、「経営者や突出したスポーツ選手などには読書家が多い」といわれます。読書は、その人の外からは見えない世界観を構築してくれます。また、仕事で深い悩みに直面する人や苦しい生活環境にある人は、読書を習慣にしていれば、日常的に本に救われると思います。

 そういう意味で、自己啓発本や人生論について記述された大御所の著名本(すでに亡くなっている人が生前に執筆したロングセラーの本でもよいです)なども、日本人に限らず外国人の翻訳本も含めて読んでいると、自分の悩みや苦しみなどは、すでに過去の人たちも同じように直面していたものであることがわかり、悩みや苦しみの重さが少し軽くなるはずです。

 また、そうした本から生き方のヒントや、社会生活を円滑に送るための知恵を授かる機会に恵まれるでしょう。

<第8回に続く>